|
カテゴリ:パブデ著「飲酒論」
さらに続けよう。 中学までは健全で無菌の少年であった僕だが、高校はいわゆる越境入学で、親元を離れて下宿した。ここで世間を知ることになる。部活の先輩や下宿の先輩たちの厚いご指導のもと酒を飲み始めるようになる。 酒を飲んで酔っ払って吐くことは、恥ずべきことでもなければ、誇れることでもない。ごくあたりまえのことであると刷り込まれた。 主にホワイトかレッドだったが、たまには角やカティサークに手を出すこともあった。角は大人の味がしたし、カティサークはエロスの匂いがした。 大学でも当然のようにそれは続き、社会に出てもやはり同じであった。酔っ払ってもう飲めません、なんていう言い訳は通じなかった。それは飲みが足りねえからだ、と言われ飲まされた。そう言っている先輩達自身が吐きながら飲んで、みんな身を持って正しい飲み方酔い方?を教えてくださった。先輩達を見習い、酔っ払って騒ぎ踊り脱いだ。酒の名前など教えてくれる人はいなかった。 そんな中でも、たまには友人や女性と飲みに行けば、聞いたことのある名前のカクテルやバーボンを頼み、くどくつもりがその子の部屋のトイレで朝を迎えるテイタラク。 考えてみたら、40になるまで、自分が好きな酒を好きな量だけ好きなペースで飲むということがなかったような気がする。 その時に『なぜ酒を飲むのか』と問われれば、楽しい人間関係のためというのが答えだったかもしれない。でも、そんな理由など真剣に考えたことはなかった。でもそんな飲み方をしながら、日常的飲酒習慣が築きあげられたのだ。 父はよく友人達を家に招いて酒を飲んでいた。挨拶に来いといわれたり、酒を注げと言われたりするので嫌だった。最近はやらなくなったが、昔は昼にそばやに入っても、そばを頼む前にビールを頼む人だった。ある意味欧米人のようだな。 この間テレビを見ていたら、癖や習慣は遺伝的影響が大きいという話をしていた。たまたま生まれたときから全く別々の家庭で育てられた双子の生活を調査してみると、貧乏ゆすりの癖、爪を噛むくせ、好きな音楽、好きな色、得意な教科、音楽に合わせてリズムをとるしぐさなどが一致することが多いという。それも、年をとるに従ってより似てくるのだそうだ。 確かに自分の子供達をみていると、妙なところが自分に似ているなあ、あるいはかみさんに似ているなあと不思議に思ったりすることはある。 僕の父も決して酒が強いわけではないが、赤い顔をしてよく飲んでいた。ああいう姿になりたくはないものだな、と昔は思っていたけれど、いつの間にか同じ道を歩いていたのかもしれないと、近頃は思う。 自分の息子が酒飲みになって欲しいかどうかよくわからないが、酒場の居心地よさを知る人間にはなって欲しいかな。 もし、酒を飲むことが遺伝であれば、『なぜ』などという疑問は無意味かもしれない。まさか遺伝だけってはずはあるまい。 次回は、『なぜ酒を飲むのか』と表裏一体のテーマ『なぜバーに行くのか』について論じてみたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[パブデ著「飲酒論」] カテゴリの最新記事
|