BARで描く絵日記

2007/12/02(日)20:39

快楽理論

メルトダウン(94)

 mixiにも載せたのだけれども、人類の歴史に名を残しそうなとてつもない発見をしてしまったので、このブログにも原文のまま掲載することにしました。      ちなみに、絵はおまけであり、下記の内容とは全く関係ありません。   アイロンをかけている最中って、いろんなことを考えます。シャツのしわが消えていくように、とりとめのない思考がだんだん形を成していきます。  アイロンをかけながら、生命の本質を見出しました。  生命の本質は、快楽を求めることにある。  人間には、いや、人間に限らず、生き物にはいくつかの根源的な欲求があります。その代表が食欲と性欲。「古典的快楽」とでも呼びましょうか。  でも、一番の欲求は、存在し続けたいという欲求です。そのまま「生存の快楽」と名づけることにします。  存在し続けることが最大の快楽である。  生存していれば脳内に快楽物質が分泌され続けている。  存在することが快楽である生き物たちは、現在も地球上に存在し続けている。当たり前ですが、生存しないことを快楽とする生き物は存在できないのです。  ですから、生物が生きる目的というものを持っているとしたら、それは快楽を求めることです。  生存を目的とした快楽は、いつのまにか二次的な目的、三次的な目的を達成することへと姿を変えていきます。  食欲というものは基本的な欲求ですが、ある程度満たされている状況では、単に食べられれば快楽が満たされるものではなくなってきます。  さらにおいしさという快楽を求めます。甘いものに快楽を得る者、花のような香りに快楽を得る者、快楽のバリエーションは増えていきます。「快楽の多様性」と呼びます。  激しく求め合うことに快楽を感じることもあれば、穏やかな愛撫に快楽を感じることもあるでしょう。  快楽は無数です。  犬はただ、仲間の体に寄り添っているのが気持ちいいのです。酵母は、頭から芽を出すことが気持ちいいのです。  権力は、生存や食欲や性欲を満たすための手段だったかもしれませんが、いつのまにか権力そのものに快楽を得るように変化します。独占したり、ただ敵を痛めつけることに快楽を感じる人も出てきます。「快楽の変容」です。  人間の脳ほどに複雑なネットワークを形成すると、回路のつなぎまちがいや、スイッチの誤作動などは日常茶飯事。苦いもの、痛いもの、悲しいものに快楽を感じたり、存在しないことに快楽を感じるような状況におちいることもあります。そんなときには存在をやめたくなることもあるわけです。  宇宙環境において、星と星との引力さえ、僕らには理解できない一種の快楽なのかもしれません。  素粒子は反発しあったりくっつきあったりすることが快楽なのかもしれません。  ただ、存在自体が快楽だから、存在している。存在しないことを快楽とするものは存在しえない。  たぶん、こんな快楽理論を唱えた人は、過去にもいたのではないだろうかと思います。人類初めてとは到底思えませんから。そんな思想家や哲学者を知っていたら、ぜひ教えてください。

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