2010/09/15(水)21:03
続・シャガール展
そういえば、シャガール展ではシャガールだけじゃなくて、同時代のロシアの画家たちの作品も展示されてたんですよ。
キュビズムとかスプレマティズムとか。
キュビズムとは、すべての物体を立方体とか円柱とかのシンプルな積み木に分解したのちに組み立てなおすというバカバカしい遊びです。昔は面白いと思った時期もあったんですけど、久しぶりに見たら芸術家たちのキュービックチューブブームみたいなもんで、子供っぽい熱狂に過ぎねーな、と思いました。20世紀少年のトモダチと一緒。
スプレマティズムなんて、ひど過ぎます。
単なる黒い四角とか、○と■とか、複雑になってもせいぜい十字架とか。具象をどんどん排して抽象を突き詰めていった結果たどりついた境地らしいですよ。もちろんそういう方向性も理解できないわけではないんですけど、幼稚じゃね?
3歳児だってもっといい絵を描きますよ。
オタクもここまで来ると優れた芸術家として一流の美術学校の教授なんてできるほど高尚なものとなるんですな。いかにエキセントリックになれるかを競っていた時代なんでしょうか。
カンディンスキーの若いころの絵なんて絶頂期と同等にステキでしたよ。
絵には具象も抽象もない。抽象を目指すってのは変です。
クレーは抽象ですが、あの色彩感覚は切なくなったりいじらしくなったりするほど胸キュンしちゃうじゃないですかあ。あれは抽象なんだけど、具象なんです。ああいう色の配置を工夫するのがホントに好きなんだろうなあって思う。
モディリアーニの首の長さは具象じゃないかもしれないけれど、彼はその感じが好きで彼にとってはそれがリアルなんでしょう。
キュビズムの爛熟期やスプレマンティズムは、禍々しいというか意地汚いというかイヤラシイというか、世界で最も美しい音は大腿骨を第二指の中指骨で叩いた音だみたいなボーンコレクター的な気持ち悪さがある。
キュビズムなんて、同じキュビスト達の中で誰がもっともキュビレるかのゲームに過ぎないんじゃね?
オレはもっと現実に生きないとだめだ、惑わされないぞ、こんなもやつらに・・・と志を新たにしました。別に志があって描いてるわけじゃねーけど。
その点ではあの女々しいシャガールでさえ100倍も良かった。
夏休みに実家に帰った時に3歳の姪っことコラボした絵を載せておきますね。
右は彼女の絵の模写なんですけど。左の絵は嘘っぽくて、彼女も、ナニこれーっ、お化けーっ、って言ってました。左の僕が描いた彼女の肖像よりも、彼女が僕を描いてくれた右の方がずーっとずーっと具象なんですよ、彼女にとっては。