2010/10/25(月)23:13
雨酔い
Jack Roseはまだ早いかなと思って、マティニとかスティンガーとか飲んでうかうかしてると、いつの間にかシーズンに追い抜かれていることに気づく。生きることのペース配分は追い越し追い抜かれて長距離や山登りのようでもあるが、ゴールは死であることを忘れないようにしないと。
カクテルグラスを飾る水滴は、まるでテントの結露のようだ。
まっかなもみじの葉っぱは、赤ちゃんの手にたとえられるけれども、こんな手をした赤ちゃんがいたとしたら、そりゃ地球人ではなかろう、なんてことを考えながら山を歩いていた。
熊出没に注意!!なんて看板もあったけど、野生のパグの群れが襲ってきたら楽しいだろうな、なんて妄想にとらわれていると、あっという間に高度がかせげる。
これはいい作戦。
今夜は一杯の甘夏的なシャンパンをいただいたお礼に一枚の絵を残してきた。ただの自己満足である。満足でもないか。
何をいわんかとしているかと言うと、うまく言えないのだが、頭の中も世の中も混沌としていて、信念というか拠り所というかそういうもののないことがちょっと不安なのだ、たぶん、きっと。そんななんらかの結論を求めようとしてこの無意味な混乱に終止符をうつだけ。
そんな時には、潤の耳の後ろの毛の柔らかい毛をまさぐることが救いであったりするのだ。
触感、味や匂い、痛みやかゆみ、それらをていねいに味わいたいと思う。