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学力向上・勉強のコツ・学習計画など受験勉強法を教えています。

<教育の力と学習者の心>

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   <教育の力と学習者の心>


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 教育の力は学習者に何をあたえられるのでしょう。それはその学習者
の見聞や知識を広め、彼らに対して、教えたことを上達させることでは
ないでしょうか。


 例えば英語担当教師であれば、はじめて習う外国の言語や文化を、
日本語や日本文化と比較しながら、わかりやすく学習者に伝えます。


 そして英語を上達させるために、学習者には繰り返し読ませ、発音を
マスターさせ、頭の中に英語の枠組み(スキーマ)をつくるために、
教科書の丸暗記や単語の暗記テストなどをさせることもあるでしょう。


 数学担当教師であれば、はじめて習う定理や公式を十分学習者に理解
させるために、その導き方をわかりやすく、ていねいに解説するでしょう。


 そして数学を上達させるために、学習者にその公式や定理を使った
問題の例題を示し、そのあと学習者に数多くの類題演習をさせることも
あります。


 このように各教科の担当者は、まず学習者がその教科をうまくマスター
し、上達していくことに力を注ぎます。その指導過程においては、たんに
担当教科の範囲にとどまらず、学習者の生活や精神面にも影響を及ぼし、
よい習慣を身につけさせることもあるでしょう。


 そういったことも含めて、教育者の教育の力は、学習者を広い範囲に、
教えたことを上達させることに、全力をあげて使われるのです。そういう
意味で、学習者を上達に導くことができなければ、その教育者に教育の力
があるとはいえないのかもしれません。


 それでは教育の力をずっと持ち続けるには、教育者は何をしなかれば
ならないのでしょうか。それは教育者が教育の力を持ち続けるためには、
常に学び続けなければならないのです。


 確かに一度学びそれをマスターした人は、そのことに関して他人に
教えることはできるかもしれません。しかしその人が過去に学んだこと
だけにとどまり、現在は学ぼうとしなければ、その学習者を上達させ
学ばせることはむずかしいのです。


 ほんとうの教育の力を持つ教育者は、自分の担当教科だけでなく、
読書を通じてはば広く学び続けています。それではなぜそれらの人は
学び続けるのでしょう。それは学ぶことが楽しいからです。


 学ぶことの楽しさを知っている教育者は、学習者に学ぶことの楽しさ
を伝えることができるのです。これが教育の大きな力になります。


 例えば教育力のある英語担当教師であれば、英語を一生学び続ける
だけでなく、読書を通じて、グローバルに幅広く見聞や知識を深める
ことでしょう。


 数学担当教師であれば、担当教科の問題解決に集中するだけでなく、
コンピューターの見聞や知識を深めたり、その問題解決にあたことも
するでしょう


 つまり教育者は学び続け、学ぶことの楽しみを知っていなければ
なりません。そうでなければ、学習者に学ぶことの楽しさを伝える
ことはできないのです。そういう意味で学び続けない教育者は、
ほんとうの教育の力があるとはいえません。


 さらに教育者は無報酬であっても、学習者に自分の時間を提供できる
人でなければなりません、例えば学校の教師や塾の講師は授業時間以外
でも、無料で課外や補習を行います。


 必要と判断すれば授業時間がとっくにすぎていても、授業の延長を
長々とすることもあるのです。また学校の先生が無報酬で、クラブ活動の
部長を引き受けることもあるでしょう。


 もちろん教師はその道のプロです。それで生計が成り立っています。
だから最低限の生活費用は必要です。しかし教育力を持つ教師は、
サラリーマンのかたのように、それ以外に時間外手当を要求するような
ことはほとんどしないようです。彼らにとって学習者への無報酬の
サービスは、当たり前になっているのです。


 例えば彼らにとって授業に使う教材などを、時間外で段取りすることは
、ごく当たり前のことなのです。彼らは仕事の時間以外でもせっせと資料
集めをしそれをいといません。


 これらのことはとうぜん学習者に自然に伝わります。教育者が自分の
学習者から先生と呼ばれるために、必要なことなのかもしれません。


 以上のように自ら学び続け、学習者が上達していくためには、無報酬の
サービスでもいとわない人が、ほんとうの教育の力を持つ教育者なのです。


 それではこういうスーパー・ティーチャーが、教育の力を駆使すれば、
すべての学習者は、教えられたことに上達していくものなのでしょうか。


 それはもちろんその学習者は、何らかの形で上達はしていくことに
なります。しかしその上達は、学習者により差が生じてしまうのもまた事実
なのです。


 それは人には生まれながらの能力や才能に差があるからだと、考える人も
いるかもしれません。確かにそのこともあると思います。


 ところが多くの教育者は、そういう風には考えません。彼らは多くの
指導経験から学習の上達者たちの共通の特徴に気づいているのです。
それは能力や才能ではありません。


 彼らに共通する特徴とは素直であること、本気であることそして問題に
あたったとき、そのこと自体を重大視するのではなく、解決することに
集中するのです。


 学習者が素直であることは、教育者が学習者にその内容をすべてマスター
させるために、とても大事なことです。学習者が素直で、教育者の指導内容
をさからわずにすべて受け入れるのですから、とうぜん指導内容が学習者に
伝わりやすくなります。


 また学習者が本気であることはその人の上達をはやめます。例えば将来
医者になりたいと思っている人にとって、学習を上達しマスターすることは
必須といってもよいでしょう。それだからこそ学習に対して、まじめになり
本気になれるのです。


 最後に問題があることを重大に思うのではなく、それを解決することに
集中する人は、すでに上達の道に入っている人だともいえます。そういう
人は自尊心があり、自分にはできると自己を肯定しているのです。


 このように、はやく上達していく学習者の共通点は、生まれながらの
能力や才能というより、むしろ精神的な心構えの差が、そのまま上達の差
になっているといえます。 素直な心、本気の心、自尊心があり自己を
肯定する心が、その学習者の上達をはやめているといえるのです。


 確かに生まれながらの能力や才能、生まれながらの体や容姿などは
変えることはできないかも知れません。しかし精神的な心構えは誰にでも
変えることができるのです。心を変えることによって、能力や才能以上に
学習上達者になることができるのです。


 人は一貫性のルールに従います。怠け心、遊び心や浮気心があれば、
現状維持メカニズムが働いて、今のままであろうとします。しかし
ひとたび心を変えれば、これも一貫性のルールに従い、今度はその変えた
心を維持しようと現状維持メカニズムが働くのです。


 とはいってもスポーツや音楽を学ぶことと、勉強することとは少し
ちがいます。、スポーツや音楽ならば素直な気持ちになり、本気になって
それに取り組むことができます。テニスをすることやギターを弾くことは
、それを学び、それが上達していくことがとても楽しいからです。


 それに対して勉強は”強いてつとめる。”と書くように、強制されていると
感じるからなのでしょう。学ぶことの楽しさが音楽やスポーツのようには、
なかなか伝わらないのです。


 しかしそれでも心を変えることで、勉強する習慣を身につけることが
できるのです。一度身につけたよい習慣は、一貫性のルールに従い、
現状維持メカニズムが働きます。


 いってみれば学習者の心と教育者の心が一致することで、計り知れない
ほど、上達がはやまるのです。それは教育者が教育の力を磨き、学習者が
心を変えることで達成されるのです。

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