ハリセンボンの独り言 その日の気の赴くままに

2004/01/11(日)22:41

忘れられない日

今日は平成16年1月11日。あれから丁度5年が経った...そう、あの忌わしい日から丸5年。忘れ様にも忘れられない平成11年1月11日。1並びなのだ。普通は縁起が良さそうな1並び。でも私にとっては忌わしい記憶...そう、私がこんな事になってしまったあの日なのだ。あの日私達はクリスマスと年始休暇中、他のオフィススタッフはまだ休み。南半球のナミビアでは夏休みだ。私とパートナーのカナダ人は、その休暇を利用してナミビアから近隣諸国へ営業とダイビングに出掛ける為に、早朝6時頃ナミビアの首都ウィンドックを2台の車で出発した。最初の目的地は馴染みのダイブスポットのあるナミビア北方の湖、Otjikoto Lake。2泊程ダイビングを楽しんでから、次の目的地アンゴラに入るつもりだった。普段でも街中を抜ければ空いている道。休み中なら尚更だ。街中を抜けフリーウェイに入る。最初の数キロを過ぎるとほぼ直線道路。車線は少ないが、行き交う車も少ない。快適なドライブ。すぐ隣の町迄はおよそ70km。早朝なので道の両側にはまだ太陽の上らない涼しい内に水場へ行こうとする獣や鳥達。ナミビアは砂漠が多い為、余程北へ行かない限り猛獣は殆ど目にする事はない。そこらにはノンビリ草を食むインパラやオリックス、1列になって車が通り過ぎるのを待って、渡ろうとする微笑ましいイボイノシシ親子。(ライオンキングに出て来るプンバとは違い、本当は頭が良い)夕方や早朝にはそんな何気ない馴染みの風景が、この日もその道にはあった。そんな光景を横目に急ぐでもなく、目指す隣の町のオカハンジャに着いたのが8時頃。給油と軽い朝食を取り、車中で食べる昼御飯や飲み物を買い出発。飲み物は大量に持っていないとひどい目にあう。南西アフリカの車は殆どがエアコンの装備がない。昼間は外気は40℃位迄上るのだが、砂漠気候でカラッとしていて日陰に入ると涼しいし、日が落ちると途端に気温が下がる。だから車も家もエアコンはない。窓さえ開ければ車でも充分涼しいのだが、乾燥しているので昼間はやたら喉が渇く。次の街までは130km一寸。ここからが悲劇の始まりだったとどうして私に予感出来たろう。何度もダイビングに行った慣れた道だからか、、、オカハンジャの街中を出て20kmも行かない処だった。周りに何もない道に出て、そろそろスピードを上げようとシートベルトに手を伸ばそうとしていた頃だと思う。(思うと言うのは実は私の頭にはその瞬間の記憶が戻っていないのだ。だからここからは同行していたパートナーと、たまたま後を走行していた別の車のドライバーの話を総合した物だ。)車列は前にパートナーの車、私の車、そして後続車の3台。対向車線は車無し。急カーブもないいたって見通しの好いハイウェー。そこに落とし穴が潜んでいた。前述のイボイノシシやカモシカ系の動物やダチョウ等は体が大きいのですぐ視界に入る。ところが路肩の草むらには何が潜んでいるか解らない。突然私の車の前に何かが飛び出したらしい。後から聞いた話によると、どうやらホロホロチョウの様だった。連中は群になって常にそこらにゴロゴロしている。他にも地リスやウサギ、ジャッカル等の小動物は草むらにいくらでもいる。小型の鳥類もしょっちゅう車のフロントガラスを横切ろうとする。普段の私なら自分の命が惜しいから、そんな輩が飛び出して来ても引っ掛ける。小鳥ならフロントガラスに手を当てて、衝撃でガラスが割れるのを防ぐ手立ても心得ている。だけどその日に限っては、魔が射したとしか言い様がない。バカヤローのホロホロチョウが目の前に飛び出して来たらしい。何時もの様に瞬間ガラスに手を当てる代りに、私は咄嗟にハンドルを右に切ったらしい。それだけならスピンした位で済んだのだろうが、場所が悪かった。ハンドルを切った先には道路の真ん中に穴があった。その穴に前輪をモロに突っ込んだらしい。車は数回横転し、まだシートベルトをしていなかった私は車外へ放り出されたらしい。パートナーの車は前を走っていたせいで、その瞬間は見ていなかった。後続のドライバーが慌てて警笛を鳴らしてくれて、バックミラーで気が付いた。私には外傷らしき物は殆ど無かったらしい。せいぜい右手中指の骨折と、周囲の草や石でのすり傷程度。しかし既に意識不明だった様だ。不運の中にも運はある。ベルトをせずにいたお陰で車外へ放り出された私は、逆にハンドルによる圧死を免れた。周囲に何もない開けた場所だった事、車に荷物が目一杯積まれていて、横転がすぐ止まった事、街からの距離がまだ20km無かった事、後続車がいてくれた事が幸いした。今の様な優秀な携帯ではないが、街が近かったのですぐに救急車が飛んできた。脊髄をやられた私はその街の病院で応急処置され、これ以上の手当てはここでは無理という事で、首都ウィンドックに緊急搬送された。ここでも私の強運が続いた。街で一番設備の整った病院に搬送された私の元に、事前に事態を知らされた病院の緊急手配で医師達が集まったのだが、その中に私を良く知るダイブ仲間の麻酔科の医師がいたのだ。彼は私の緊急手術に出来る限りの専門医を招集し、ベストメンバーを組んで処置してくれた。勿論意識不明の私にはそんな事態は知る由もない。私は事故の瞬間から丸4日間、生死の世界を彷徨っていたらしい。麻酔が醒めて意識が戻った私は、その時点ではまだ事の重大性に気が付いていなかった。目を開けた私は、思いもよらぬ所にいた。体中に輸血や点滴のチューブ、人工呼吸器、心電図のモニター、その他あらゆる医療機器が繋がれていた。喉には穴が開けられ、流動食用の管が通されていた。事態が飲み込めない私は理解出来ぬまま、又深い眠りに落ちて行った。私が全ての真相を打明けられたのは、それから又2日後の事だった。脊髄損傷、胸椎の4番。胸から下は完全麻痺。肺には穴が開き、中はひどい出血だったそうだ。口も利けない。声が出せないのだ。仕方ないので筆談用に紙と筆記用具を頼む。ナースが用意してくれたが、受け取ろうとした私の目に映った私の両手は、まるで手袋をはめた様に手首から先は紫色で、右手の中指は骨折の為のギブスが当てられていた。全身に鳥肌が立った。雷に打たれた様な衝撃。翌日になって前述のダイブ仲間の麻酔医からようやく真実が語られた。もしあの事故の時、誰もいなくて後30分発見が遅れていたら、もし事故現場がもう少し遠かったら、そしてもしその病院に後30分到着が遅れていたら、私は確実に死んでいた事。そして私は今後一生車椅子で過ごさなければならない事を...

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