Google トップページ パート19 (八木秀次 生誕130周年)
今日の Google トップページ は八木アンテナの発明家八木秀次博士の 生誕130周年です。屋根にアンテナがニョキニョキ生えまくるアニメ仕立てです。八木アンテナってのは、ラジオやテレビなどの電波を特定の方向から強く受け取ることができそのおかげで周囲の電波との干渉を避けることができています。私達がテレビを快適に見ることができたのも八木アンテナのお陰だということですね。Doodle によると、初期のスケッチ・アニメはコレでした 参考資料 Doodle(ドゥードゥル)八木アンテナは1925年、八木秀次と宇田新太郎によって開発されたアンテナで、正式名称は 八木・宇田アンテナ です。実は、八木秀次が、単独名で国内外の特許を出してしまったため当時は「八木アンテナ」と呼ばれたそうです。現代のモラルでは容認できないような特許のとりかたであることから現代では八木・宇田アンテナと呼ばれるようになったそうです。八木アンテナの逸話八木アンテナは発表当時、日本の国内ではほとんど注目されなかった。むしろ欧米の学会や軍部が八木アンテナに注目したのだった。それは、当時、各国がレーダーの開発に力を入れており高性能なアンテナを必要としていた。そこで八木アンテナの性能が注目されたのである。第2次世界大戦において日本軍はレーダーの開発に遅れを取ったため苦戦することになるが日本軍は八木アンテナの存在を知らなかった。皮肉にも日本軍が八木アンテナの存在を知ったのはイギリスが植民地としていたシンガポールを陥落させた1942年で見たこともないアンテナがあり焼却炉に残っていたレーダーの技術資料らしいノートを押収した。そのノートは日本国内に送られ、兵器本部で調べられた。しかし、文中に出てくる「Yagi」の意味がわからない。どうやらアンテナの種類らしいが専門家でも知っている者がいない。ノートの製作者は捕虜としてシンガポールの収容所にいた。尋問すると、書いた本人は驚き「本当にYagiを知らないのか。Yagiは日本人であり、アンテナの発明者ではないか」とあきれたという。急遽、八木アンテナを使ったレーダー開発に着手するも時すでに遅しこれに驚愕した日本軍部は、ことの重大さに気づき急遽八木アンテナを使ったレーダーの開発に着手する。しかし時すでに遅く完成したのは昭和20年になってからで戦争には何の役にも立たたず敗戦を迎えた。むろん開発者である八木さんは軍部に出向き情報機器の重要さやアンテナのことについて進言している。だが、当時の軍部は情報機器の重要性をさほど認識していなかったようで皮肉にも敵国からYagi antennaの存在を教えられる結果となってしまった。http://www.icom.co.jp/よりそんな八木アンテナも今では地デジ普及で、日本中の家庭の屋根から消えつつありますね。 関連日記 2015.10.30 Google トップページ パート14 (ハロウィン編)2015.11.30 Google トップページ パート15 (モンゴメリ生誕記念)2015.12.17 Google トップページ パート16 (ベートーヴェン生誕記念)2016.01.12 Google トップページ パート17 (シャルル・ペロー生誕388周年)2016.01.22 Google トップページ パート18(ウィルバー・スコヴィル生誕151周年)