|
カテゴリ:テレビ所感
関西の方にしてみれば、今さら感があると思いますが。
にこいちの放送自体終わっちゃったみたいだから。 東海地方は放送が遅れてて、24日深夜にやっと「アンタッチャブル編」が放送されました。 放送されてない地域の方もいらっしゃると思いますので、印象に残ったことを書こうと思います。 単に私が書きたいってのがいちばんですが(笑。 恩着せがましくてごめんなさいね~(汗。 柴田さんがお金持ちの息子ってことは知ってたけど。 上京してからもずっと仕送り貰ってて、月15万は下らなかったそう。 柴田「それだけくれてるのに、3日ぐらいすると『足りてるか?』って電話かかってきてましたからね~。」 中川家礼二「山崎はどれぐらい仕送り貰ってたん?」 山崎「僕ん家はそんなに裕福な家庭じゃなかったんで・・・、それでも12万ぐらいですかねー。」 笑い飯哲夫「僕なんて(1か月)30日間工場でずっとみたらし団子を寄せる(?)バイトしてましたよー。」 柴田「それで15万ぐらいあったでしょ?」 哲夫「8万でしたよ!!!!!!」 仕送りコンビの2人、さらに先輩におごってもらう術も持ち合わせていたため、売れなくてもまったく悲愴感がなかったそう。 そんな2人、M-1が始まるということで、予選に参加。 2001年は準決勝敗退。 2人にとっては満足のいく結果だった。 でも。 同じ事務所のおぎやはぎが決勝まで行き、M-1効果で売れ始める。 それを見て、2人にも欲が生まれた。 欲を出した2人、2002年のM-1ではなんと、3回戦敗退。 (個人的には2002年の柴田さんのべらんめえ口調が大好きで、M-1前も今では想像出来ないような挑発的な発言をしてた気がするんだけど、それはやっぱり2人の本当の姿じゃなかったのかもしれない。) 2人は、自分たちのハードルを下げ、「超(お客様に)捧げる漫才」をするようになる。 力を入れないことに全力を注ぐ。 っていうことが彼らのやり方。 そして2003年。 準決勝まで残れたし、2人は満足していた。 敗者復活勝者の発表のとき、山崎さんは帰りの電車の時間を携帯で検索してたらしい。 それなのに。 「エントリーナンバー609、アンタッチャブルです!!!!!」 と呼ばれ、本当にビックリしたそう。 礼二「そのとき、笑い飯も決勝出てたよな。」 西田「実はそのとき、自分らの点数の高さに舞い上がってたんで、よう覚えてないんです。」 柴田「そうだ、笑い飯さん、僕らが楽屋行くちょっと前にやってて、すごい点数だったんですよね!」 哲夫「あの頃に戻りたいですね・・・。」 西田「戻れるなら・・・。」 2004年。 優勝候補と呼ばれるようになったアンタッチャブル。 それでも「捧げる漫才」は変わらない。 いつでも謙虚。 礼二「関西では笑い飯、関東ではアンタッチャブルが優勝候補って言われてて、最終決戦はこの2組が来るって皆予想してたのに、(笑い飯に向かって)お前らどこ行っててん!」 哲夫「アンタッチャブルさんは10年めということもありまして、その辺も考慮させていただいて、ネタをスベらせたんです。」 柴田「ありがとうございます、ホントにねー。」 未知やすえ「笑い飯はアンタッチャブルの爪の垢もらって飲みなさい!」 いやあ。この番組見て。 アンタッチャブル嫌いになった人って1人もいないんじゃないかな。 2人とも人が良すぎる。 特に柴田さん。 柴田さんの性格の良さに死角なし。 どこから見てもいい人。 今回柴田さんがかなり喋ってたんだけど、人の良さがにじみ出てるっていうか。 山崎さんはいい人だと思うけど、イマイチまだつかめない部分がある(笑。 まだ1回しか見てないんで、あまり伝えられなかったかもしれないけど、また書きたいことあったら、今後の日記に加えていきますね。 それではこの辺で。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[テレビ所感] カテゴリの最新記事
|