道草みのむし三十路のみしがん―ひとり言編

2004/12/01(水)16:16

2025年の夢

いえ、今日の「国際開発と持続可能性」のクラスでの真面目なディスカッションテーマ。これはハンフリー奨学フェローとしてタンザニアから留学してきているクラスメートのKが、先日ワシントンD.C.でのフェロー研修で取り組んだアクティビティを今夜クラスで再現したもの。 アクティビティは以下の手順。 1 各自2025年に実現してほしいと思う夢を考える。どうやって実現するかは考慮しない。 2 5~6人程度のグループにわかれ、各自の夢をまとめて、できるかぎりすべての夢を反映させたグループとしての夢を作成する 3 各グループの夢を発表し、共通点に注目しながら、クラス全体としてのひとつの夢を作り上げる 手順1のところで、教授が『ここで考えるのは、何でもいいんだよ。ロケット・サイエンスでもなんでも。』英語で言うところのrocket scienceという表現はしばしば、常人には理解しがたい(=わけのわからない)科学技術、というニュアンスをともなう。開発のクラスでのアクティビティだから、当然開発関係の発想に基づくトピックが並ぶはずなのだが、先生がロケット・サイエンスなんて言うものだから、ふと子どもじみた無邪気な案が頭に浮かぶ。 『“オートマチック・多言語・双方向翻訳機”が開発され大ヒットし、量産されるようになって価格も下がり、世界中誰でも持つことができるようになる』 “夢”なので勝手なことを言いたい放題。この翻訳機は、イラク戦争に米軍が持ち込んだ一方通行の7カ国語翻訳機(英語の命令文を7カ国語に翻訳して音声で伝えるだけのもの)のようなものではなく、少数民族の言語も数多くカバーし、翻訳の精度も高く、文化的な背景をふまえた人間味ある翻訳も可能というシロモノ(爆) 自分が英語・スペイン語に苦労しているから・・・というだけでなく、もう少しまじめに考えたところもあった。英語が世界共通語だとか言われても、本当に外界とのコミュニケーションが必要な多くの発展途上国では、英語を学び話せるようになる人はほんの一握りの、卓越した能力か財力か権力のある人々のみである。また、彼ら彼女らが留学もし、英語を学んだからと言っても、英語を母国語或いはメジャーな通用語とする超大国を相手に、英語で交渉したりするほどのレベルにまで到達するのは尋常ではない。人材の量は自ずと限られてくる。もうひとつの大国語、フランス語とて同様である。言語の障壁がなくなれば、世界の知識・教育格差がせめても狭まるし、もっと自分達の国・文化だけではなく、他の国・文化を簡単に知ることができるようになるかもしれない。自分の発想・世界観にはない物事を“知る”ことはすべての始まりだ、と開発のクラスでもコミュニケーションのクラスでも、もっと言えば留学してきて以来ずっと痛感してきた。“翻訳機”はその辺の発想だった。 ところがこの夢が、同じチームだったO氏の『全世界の人々が、世界には“違い”と“類似”があることを知る』という夢と対になって、意外にもグループレベルでウケをとり、クラスレベルのディスカッションでもえらくウケて、環境・医療といったトピックと共にクラスの夢として最後まで生き残っていった。教授まで、『I love that translater』などと言っちゃうし、同じグループの連中も、『Pupa、これでしっかりお金を儲て、巨大開発寄金を作るんでしょ』とか『Big donorになって、開発に還元!』などなど勝手に盛り上がっていた(苦笑) 開発の勉強は、考えれば考えるほど、学べば学ぶほど現実の壁が高くそびえていくような果てしないもので、みんな疲れているから、一見あっけらかんとした具体的なツールは単純におもしろかったのかもしれない。また、このクラスは、アメリカ人学生もほとんどみんなアフリカやら中米やらでの職歴・活動歴のある人たちだし、留学生も多く、言葉の障壁を実感している人たちばかりだから、という点もある。 一方、これが異文化コミュニケーション関係のクラスだったら、こんなに無邪気にはウケてもらえなかっただろう。もしかしたら、痛烈な非難を浴びていたかもしれない、とすら思う。言葉は、障壁であると同時に、ある文化を保護するバリアでもある。言葉の違いがあってすら、資本力にモノを言わせた欧米及び日本の商業文化が発展途上国の土着文化価値を見境なく蹂躙しているというのに、これで言葉のバリアがなくなったら、あっという間に欧米の巨大資本マーケティングが世界中を席巻してしまうだろう。 一応、異文化コミュニケーションもかじっているコミュニケーション畑がバックグラウンドの身としては、手放しで“多言語双方向翻訳機”についてはしゃぐわけにもいかず、その辺の言い訳も用意して身構えていたのだが、専門分野が違えば発想も違う、というところか、文化席巻の危険性に関する追求は一切出てこなかった。 クラスが終わってからO氏と話し込む。“翻訳機” 案の底辺も、O氏の提唱された『世界中の人が、世界には“違い”と“類似”があることを知る』ことと深く結びついている。実際私達にしても、日本を出てから今に至るまで学んできたことは、翻っては日本や日本の文化価値観を相対的に再認識する作業だったとも言える。また、自分達が、自分達の世界観であたりまえだと思っていることも、実は全然当たり前でなどなかったりする。今日の、2025年の夢ディスカッションに先立つ、Kのプレゼンでもそうだ。タンザニア大統領府の事務方としてはかなりの地位にあるはずのKが、今日のトピック、貧困に絡めて自国タンザニアについて話をしたのだが、タンザニアには確立されたproperty rightsはない、と語りクラスの度肝を抜いていた。 property rightsは、これまでのあらゆるテーマでくり返し話題に上ってきたトピックだが、ある社会にproperty rightsの概念が確立されていないとすると、その社会ではこれまでされてきているproperty rights議論も政策も、全く通用しないということである。日本の、アメリカの、あるいは先進国の概念で物事を推し量っても機能しない、ということでもあるし、一方、およそ完璧ではないといえども(だいたい完璧なんてありえないと思うが)、いろんなものが行政によってちゃんと法制化され機能している日本のシステムの底力を再認識するのだ。 この「国際開発と持続可能性」も残すところあと2週間。来週はうちのグループがプレゼンをするし、再来週は他のグループがプレゼンをし、それで終わり。もちろん何がどうすればSustainablity(持続可能性)なのか、という答えなどどこにもなかった。そんな答えなどまだ存在しないのだ。いわば、それが存在しないことを、他方向から見て考え悶々とし確認する、そんなクラスだった。他の大学院のクラス同様、自分が何を“知らないか”を知るクラスでもあった。 ひとつだけはっきりしていることは、辛かったが、履修して本当に良かった、ということである。

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