PRと倫理と-アメリカ軍のイラク戦争広報における一例と考察-
可能な限り聞いているラジオのインタビュー番組NPRのFresh Airに、10月17日に観た映画『Control Room』でフューチャーされていた、Josh Rushingが出ていた。Josh Rushinは、アラブの衛星放送局Al Jazeeraのイラク戦争報道をAl Jazeera内部で追ったこのドキュメンタリー映画の中で、イラク戦争の統合本部プレスセンター(Coalition Press Center)でメディア対応にあたっていた統合本部側の広報担当者としてフューチャーされていた。彼は海軍の広報部門(Public Affair)のオフィサーであり、忍耐強く、時には強硬に時には柔軟に、どんなニュースも可能な限りポジティブに提供する、メディア担当者としてはお手本のような仕事っぷりだった。Al Jazeeraは、西側メディアが放送しなかった/できなかった、爆撃されたバグダットの街角の映像や怒り狂う市民の姿を放送し、放送局に持ち込まれた武装部隊の声明や映像などを流しつづける放送局で、イラク戦争を推進するBush政権や統合本部にとっては“問題”以外の何者でもない存在。しかも、これが単なるスクープ狙いの局ならコントロールのしようもあったのかもしれないが、このドキュメンタリーが描く限りAl Jazeeraは独自の信念とコンセプトを持って戦争当事者双方を取材し報道し続けているから、そうそう動じない。統合本部のメディア対応チームにとっては『Unfair and unbalanced』とレッテルする非常に頭の痛い相手、ブラックリストのトップグループだったのだ。実際、Bush政権の中にも統合本部の中にも広報部の中でもAl Jazeeraのアクセスを遮断せよという意見が強かった。Rushingと彼のボスの見解はそれとは異なり、紛争当時地域から来ているAl Jazeeraをカットするべきではなく、地域のコミュニケーションチャネルとして協力/使用すべきであるというものだった。そのAl Jazeeraに話しつづける、対応しつづけるのは生半なことではないハズだが、同じカテゴリーの職種に属する者として見るに、Josh Rushingのメディア担当者としての仕事は素晴らしかった。自分が所属する組織/自分のクライアントとパブリックのベストをめざし、そのために活動するのが広報の仕事である。その見地から言って、私は、彼の仕事の出来を評価するのに戦争の是非、統合本部の戦略の是非を論じてもナンセンスだと思うのだ。彼が米海軍に属し、彼のサラリーが海軍から支給されている限り、その海軍を含む全軍の総司令官である大統領Bushがイラクに対し戦争を始め、それにともなって統合本部プレスセンターがオープンされたなら、メディア対応チーム、一メディア担当者のやる仕事は、統合軍にとって、その中心であるアメリカにとって、そして“統合本部が定義するパブリック”にとってのベストをめざすのが、Josh Rushingの職務であり支払われているサラリーに対する義務であるはずだ。ちなみに、アメリカ軍の広報は、ベトナム戦争時の反省から、91年の湾岸戦争までに大きくその戦略を変えてきた。ベトナム戦争時は統合本部が情報を出し渋り、それゆえプレスはソースを求めて戦地へ入り、また軍、関係省庁、その他の省庁の情報源に積極的にアクセスし、正確不正確含めた情報を得て報じる。戦地の実情レポートを含めそれらのコントロールされなかった情報ソースに基づく報道が、アメリカ国内の反戦運動を呼び起こし、戦争終結の原動力・政権批判の源になった。情報の出し渋りが情報コントロールにならないことを悟った米軍は、1986年のリベリア紛争のレッスンも活かし、91年湾岸戦争では大きくメディア戦略を変更してきた。軍のセキュリティのもとに強い報道規制を敷くと同時に、一元化された情報源を設定し、最大限の情報を出し続けるのである(Barder&Weir, 2002)(Hertog, 2000)。つまり、軍の安全保持を理由に、取材活動可能範囲、態勢を大きく規制する一方で、メディアセンターを設置し、アメリカをはじめ世界中からのプレスをそこにパック。ありとあらゆる“提供可能な情報”をプレスに出し続ける。プレス各社は、発表される、もしくは与えられる情報(プレスセンターでプレス担当者や関係者にアクセスして得る情報、プレスセンターを通じてセットアップされるインタビューなども、プレスが能動的に集める情報ではあるが、軍報道チームの予測/コントロール範囲内である点では与えられる情報と同様である)を報じることと事態の推移を追いかけることで大忙しになるというシナリオである。私見だが、近年のアメリカが絡む戦争に関する報道は、プレス各社の報道姿勢の問題というよりもアメリカ軍のメディア戦略勝ちではないかと思う。Josh Rushingの所属する海軍広報部も、もちろん同じ戦略をとっている。アメリカPR業界誌、PR Newsとのインタビューの中で太平洋艦隊の広報オフィサー・Commander Hal Pittmanは、海軍広報のゴールについて『Our goal is to provide accuracy but also provide continuity(正確さと共に継続性を提供することです)』と語っている。『We focus on one philosophy: maximum exposure, minimum delay.(私達にはひとつの鉄則(哲学)があります。最大限の露出、最小限の遅滞です。』(PR News, 2002) 彼は、accuracy(正確性)とは言っているがtruth(真実)と言っているわけではないのがポイント。“maximum exposure, minimum delay”は、広報の基本中の基本。お上の機関がこれを口にすることは驚くべき進歩ではある。ただし“何を”最大限に露出するのかを言っているわけではない。Josh Rushingは映画『Control Room』がサンダンス映画祭で公開された後、10月中旬に海軍を退職した。Fresh Airでのインタビューはもちろん、その理由に言及していた。Rushingが海軍を退職した直接のきっかけは、ペンタゴンが彼に『Control Room』についてプレスに話す/説明することを止めるよう命じたこと(ちなみに凄まじいのは、彼自身はサンダンスで『Control Room』が公開されるまで、この映画の主要登場人物であることを知らなかったとか)。米軍に関するありとあらゆるネガティブな話題が渦巻く中で、映画が公開され、その中で自分はあらゆることにポジティブに応じている。そのポジティブな対応は、自分達に与えられたメッセージに基づいて何千人、何万人の米軍オフィサーがやってきたこと同じであり、個人的なものではない。Rushingはそうプレスに言いたかったけれども、ペンタゴンは映画を見ることなく、Rushingがそうすることを禁じた。ボトムラインは彼自身の倫理観に基づく葛藤である。フラストレーションを生み出した数多くの要素の中での一例は、大量破壊兵器をめぐる動きである。パウエルが国連でやった大量破壊兵器の存在を主張するプレゼンを、証拠としたものの数々を、Rushingはじめ軍のメディア担当者達は、メディアに提供してきたのである。『I did it, because I believe it.』。それが『not only in correct, but also intentionally manipulated to produce desired results(正確でないだけでなく、意図的に操作されたもの)』だったことは、他の関係者同様彼にはショックだった。『I guess, personally, I was duped.(個人的には、騙された、と感じる)』、そして結果として自分達はメディアを、その後ろにいる何百万、何千万人の一般人を騙したということになる。広報は、その職責と倫理に矛盾が生じやすい多くの職種のひとつだと思う。極端な一般化をすれば、資本主義社会構造の中で、資本(資金・人材の両方)と広報テクニックがあれば、相当な(すべて、ではない)メディア・アジェンダのコントロールが可能である。それに権威が加わればコントロールの可能性ははかりしれない。これは広報万能論といった狭量な話でなく、それは事実であり、実際Bush政権はそれを証明している。それが広報先進国のアメリカで、広報プロをSpin doctorと揶揄する所以でもある。その可能性の前で、所属する組織がめざすものと、人としての倫理にはギャップが生じやすい。先日、ある友人に『で、広報とは何ぞや』と問われて一通り説明したのだが、敏いその友人は大枠の説明を聞き終わった後『その仕事って、組織とか会社がやってることに対して自信がないとできないでしょ』と問うて私を感激させたものだが、本当にその通りなのだ。たとえば、広報のクラスにゲストスピーカーとして来て下さったデトロイトのあるPR会社の夫婦経営者が、タバコ会社から巨額の予算で持ち込まれたPRの仕事を断ったエピソードを話していた。会社の経営を思えば、もちろんその仕事をやったほうがいいに決まっている。しかし、彼らの倫理観はタバコ会社との仕事は受け付けなかったのだ。他の倫理グレーゾーンの広い職種同様、広報は、官民問わずそんな話だらけである。選べる立場にあったその夫婦経営者はラッキーなほうで、辞めるしか選択肢がないケースのほうが実際には多いのではないかとも思う。全米PR協会の基準に基づけば、アメリカで大学/大学院のプログラムがPRコースとされるためには、リサーチと倫理のカリキュラムが含まれなければいけない。W教授の教えた学部レベルのPR概論のクラスでも、大学院のMedia Relationsのクラスでも、結局ポイントは、どこで辞めるのか、どこで倫理に基づいて必要だと思われる手段に訴えるのか、について自己基準を持っているべきだ、というものだった。過度な理想と机上の空論に走らない、実践的なW教授のレクチャーとディスカッションだった。Josh Rushingはインタビューの中で、彼の元の職場と仕事を懐かしがっていた。そうだろう、と思う。仕事がいやになったわけではない。しかし倫理との葛藤ははるかに大変なことだ。一方で、辞めることによって、プレスの前で話す機会をつかむことができ、またその能力もある彼は、まだ恵まれているほうだとも思う。多くの場合、倫理的葛藤を抱えて、人としての感情スイッチをOffにして組織/会社のために働きつづけるか、ひっそり辞めていくかしか選択肢がないようなものではないだろうか。Fresh Airのインタビューはオンラインで聞くことができます。『Fresh Air: Former Marine Capt. Josh Rushing』Reference: Barder, R. & Weir, T. (2002). Wietnam to Desert Storm: Topics, Source Change. Newspaper Research Journal, 23, 2/3, 88-98. Hertog, J.K. (2000). Elite Press Coverage of the 1986 U.S.-Libya Conflict: A Case Study of Tactical and Strategic Critique. Journalism and Mass Communication Quarterly. 77, 3, 612-627. PR News. (2002). U.S. Navy Communications Maintain Maximum Exposure, Minimum Delay. 58, 16.