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2009/06/29
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皆さんご存知の通り、日本は長寿の国です。ここで素朴な疑問がひとつ。
いつから「長寿の国」という認識が広まったんでしょう?

じつは、1978年(昭和53年)の今日(07月01日)がひとつの区切りになっています。当時の厚生省が平均寿命(男性が72.69歳、女性が77.95歳)を発表。日本が世界一の長寿国になったことを公言したのです。

江戸時代、日本人の平均寿命は40歳以下だったといわれています。それがいまや80歳を超え、世界一の長寿国になりました。その国の中でも、とりわけ「長寿者の多い島」といわれているのが皆さんご存知の本郷(ほんごう)かまとさん(享年116年35日)、泉重千代(いずみ しげちよ)さん(享年120年237日)がお生まれになった島、鹿児島県の徳之島です。

そこで今回は、長寿国ニッポンをリードする長寿の島
「徳之島」に関する雑学をお送りいたしましょう。

徳之島を含む奄美群島の人口10万人当たり100歳以上長寿者(平成15年9月1日現在)の比率は66.06人。これは県別全国1位である沖縄県の42.49人を大きく上回っています。その群島のなかでもさらに「長寿」として名高い徳之島、その長寿の秘密を泉重千代翁から探ってみましょう。

史上最高齢の男性(120歳237日)としてギネスブックにも載った泉重千代さんが生まれたのは慶応元年6月29日(1865年8月20日)時は江戸時代です。。38歳の時にライト兄弟が世界で初めて飛行機を飛ばしてから、スペースシャトルが打ち上げられるまで(当時115歳)を見届けていることになります。120年という月日の重さを感じずにはいられません。

じつは泉さん、長寿男性世界一という記録だけでなく、もうひとつギネス記録を持っているんです。何だと思いますか?それは「もっとも長い職歴」の記録。1872年(当時7歳)砂糖工場で、動物の背に荷物を乗せて運ぶ仕事に就き、そののちサトウキビ畑の農場主になり、なんと105歳まで、じつに98年間働いていたんです。こうした「いきいきと働く環境」が徳之島にあったことも、長寿の要因のひとつといえるかもしれません。

泉さんが100歳を超えてもかかさずしていたことといえば、晩酌。島の名産、黒糖焼酎をお湯割りにして1合、たしなんでいたそうです。黒糖は最近になって、豊富に含まれるミネラルが脚光を浴びていますね。徳之島ではサトウキビから生まれる黒糖が、基本的な調味料としてさまざまな料理に用いられていますので、これも長寿の要因のひとつといえるでしょう。他にも、動物性たんぱく質が含まれる豚やヤギをはじめ、海藻類やフルーツ、黒糖汁に松の葉をつけ込んで醸造する「キビ酢」など、カラダに良い食材がふんだんにあります。そもそも「お水」自体、珊瑚礁の堆積で出来た琉球石灰岩層を通って湧き出るため、ミネラルがたくさん含まれているんです。

また島唄や闘牛など、遊びも昔からふんだんにあり、それに加えて気候も温暖。ストレスをためない、陽気な人柄が生まれる風土が備わっているようです。

このように徳之島の長寿の要因は1つではなく、様々な要因が合わさって生まれています。徳之島に住んでいる方をうらやましいなぁと思いますが、徳之島在住でなくともカラダによいものを食し、日々ストレスをうまく解消して、笑顔で暮らすことを心がけたいものです。

ちなみに泉重千代さんは120歳になったとき、還暦の
2倍ということで「大還暦」のお祝いをしています。

■ 泉 重千代(いずみ しげちよ、男性、慶応元年6月29日(1865年8月20日) - 昭和61年(1986年)2月21日(享年120年237日))は、鹿児島県徳之島(大島郡伊仙町)出身の元世界最長寿人物。

後に「世界最長寿人物」の記録はフランス人の女性ジャンヌ・カルマン(1875年 - 1997年、122歳没)によって更新されたが、男性としての「世界最長寿人物」記録はいまも彼が保持している。また、それとは別に1955年以降、世界最高齢であった期間がもっとも長い人物でもある。

■ 本郷 かまと(ほんごう かまと、1887年(明治20年)9月16日 - 2003年(平成15年)10月31日(享年116年35日)、)は世界最長寿としてギネスブックにも認められた女性。通称「かまとバア」。

鹿児島県伊仙町(徳之島の南部)出身。1908年(明治41年)、本郷福佑と結婚。7児の母となる。その後曾孫、さらには玄孫(やしゃご)にも恵まれた。

ニュースやテレビ番組に取り上げられ、親しまれていた。最晩年には2日寝て2日起きるという生活をしていた。長寿にあやかろうと全国各地から大勢の人が鹿児島市内の彼女の元に訪れたという。2002年には故郷伊仙町の名誉町民に選ばれた。






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最終更新日  2009/07/21 09:57:31 AM
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