2019/11/23(土)13:24
母の思い出:ヤクルト
今朝家の前をほうきで掃いていた私をずっと見ていた人がいた。バイクに乗ってやってきた年配の女性で、しばらく私を眺めた後、とうとう話しかけてきた。彼女は昔ヤクルトの販売員で当時ヤクルトを買ってくれたお客さんのお宅のゴミ出しを手伝っているのだと言う。そのお手伝いに行く途中で私に気づいたのだ。とっくにヤクルト販売員は辞めたけれど、当時優しかったお客さんが皆老齢になって手伝いが必要になったので手伝っているのだと言う。
ウチの亡き母もヤクルトを買っていたそうだ。そう言えば、私が小さい頃、ヤクルトを飲んでいたような気がする。この年配女性Mさんが言うには、Mさんがウチに集金に来て帰る時、ウチの母は玄関に正座して「わざわざ集金に来てくれてありがとう」と言って、お辞儀して送り出したそうだ。「お金を払う側が、集金に来てくれてありがとうとお礼を言う、そんなことしてくれたのは、お宅のお母さんだけやった。優しかった」と言っていた。
確かに母は誰にでも平等に優しかった。猫や植物にも優しかった。花を切るのも、花が可哀そうだと言って嫌がった。「花を残して実や種を取るのなら別だけど、花は切らないと、実や種に栄養を取られて植物が弱るよ」と母に言ったので、母は頭では花を切る必要を理解していたが、それでも嫌がっていた。もちろん、猫にも優しかった。私が病気で1年3ヵ月間入院していた時に、私の30匹の猫の面倒を見たのは母である。母はその優しい愛情を私や猫に注いだ。
老齢になったりアルツハイマーでボケたりすると、常識や道徳観で抑え込んでいた元々の性格が出て、暴れたりゴネたり絡んだり意固地になったりする人が多いが、母はアルツハイマーでボケても要介護5になって全く動けなくなっても、最期まで「ありがとう」と「(手間暇かけさせて)ごめんね」と不自由な口で必死で言い続けた。その優しい穏やかな性格で、デイケアセンターでもどこでも、母は可愛がられた。母は今でも私の誇りである。母の娘に生まれたことを私は本当に誇りに思う。お母さん、ありがとう。