ごぶさたしています
たいへん、ごぶさたしています。いろいろあってずっと「放置」していました。いろいろ…が終わったのでそろそろご報告、そしてぽつりぽつりと書いてみようかなと本当に久々に、ブログに向かっています。うちの長女、5月25日に亡くなりました。17歳でした。2年3ヶ月前の2009年2月16日急性骨髄性白血病だと診断されて即入院。最初、8割の子は治る病気だからといわれましたが検査を経るごとに難治度が悪化娘の白血病は、非常にムズカシイ種類のものだったようです。それでも骨髄移植の結果も良好で2009年11月26日無事、退院。体調的にはつばを飲み込むのも痛いくらいひどい口内炎や夜寝られないほどかゆい皮膚炎なんかもありながらそれでも「治った」喜びをかみしめていました。もちろん「がん」ですから5年間再発しなくてやっと「完治」といえるのですがうちの娘のかぎって再発なんてない!!って思いたかった。。。骨髄移植後の口内炎や皮膚炎はGVHDといって本人にとっては困ることでしかないのですが原病を抑え込んでいる証拠でもありドクターたちは歓迎することなんです。だから、こんなにGVHDで苦しんでいるんだから再発はないだろうって思っていました。もちろん、本人もそれが2010年5月に再発。2009年11月末に退院してお正月を迎えてGVHDに苦しみながらもやっと2010年4月に高校に入学できたのに1回目の中間テストが迫ってくるそんなときに再発の宣告を受けました。特に体調に変化があったわけではなくいつもの定期検診ですでに末梢血に白血病細胞が出てきていて・・・2010年6月22日から再度入院。この時は肺炎を併発していてずっと電気もつけず息も絶え絶えでもう一度骨髄移植なんてできるのかって本当に心配しました「夏祭りに行きたい」って娘が言いました「去年は入院していて行けなかったら今年こそは浴衣着て、友達と夏祭りに行きたい」酸素マスクがはずせなくてほとんど起き上がることもできないのに7月15,16日の地元の祭りに行くというのです。ドクターもナースさんたちも「行こうね、がんばろうね」っていうけれど誰もが「かわいそうだけど無理だろう…。酸素ボンベもって車いすでなら…」って思っていたようです。それでも奇跡的に(本人は「行きたいところに行けた!」だけだったけど ドクターたちからは「奇跡だ」といわれました)本当に、浴衣を着てたった1時間だったけど私の付き添いもなく友達とだけで祭にいきました。本当にうれしそうで楽しそうでこの時の浴衣姿の写真を遺影にしました。その後、2回目の骨髄移植今度は臍帯血バンクよりいただきました。「もう無菌室から出られないかもしれない」とも言われました。このころ引越しをした新しい家には「帰れないかも」ともいわれました。でも、2ヶ月くらい何も食べられないほどでしたがなんとか移植を乗り越えて一度はちゃんと治ったんです。新しい家にも帰って自分の部屋のカーテンを買いに行ってじゅうたんを選んで好きなバンドのライブにも行ってファンレターを書いたりその後もほんとうにいろいろなことがあり再発や再再発や脳への転移や思いだすとぞっとするほどたいへんなことだらけだったけど娘は「医者になるわ」と言いました。「私にしかできない医療があるでしょ」って2011年4月まだ病を抱えたままの状態でしたが3月から始めた新薬での治療も良好で高校にも2度目の復学を果たしました。本来なら高3の年齢ですがもう一度高校1年生。2つ下、妹の同級生たちとクラスメイトになり最初はかなり戸惑っていたり悩んだりしていましたがやっと本当にやっと「学校が楽しくなってきた」って言い始めたのにあっという間に亡くなってしまいました。5月18日まで学校には通いました。最期は痩せて、本当に皮しかなくていつもの半分にも満たなくていつもの4分の1も食べられなくてそれでも「医者になる」って勉強していました。先日、納骨を済ませました。私は寝てばかりいましたがだんだんと普通の生活を送れるようになってきました。妹や弟を学校に行かせなきゃなりませんからご飯を作り、掃除をし、洗濯をし。テレビを見て笑い、息子の運動会で応援し、娘とバーゲンに行き。でも、本当はもっと楽しいはずなのに心の底からは笑えていない、ような気がします。いろいろありました。本当に、知らなかったことだらけでした。こんな勉強はしたくなかったけどこれから、少しずつ吐き出していこうと思います。亡くなった娘が「お母さん、心の底から楽しんでいいんだよ。 もっと、笑ってよ」って言ってくれているのは分かっています。でも、まだ・・・自分の心を整理するために少しずつ書いていきます。よかったら、お付き合いください。