影絵を見ている者はどこに?影絵を見ている者はどこにいるのか?『Newton別冊 次元とは何か』を読んで思ったのは、 この世界は二次元空間への射影という形でしか認識できないということ。 つまり、影絵の世界。 視覚にしろ、触覚にしろ、 またはそのほかの感覚にしろ、 そのすべては面で感じ取るものであり 三次元認識はすべてバーチャルなものでしかない。 横方向からの視座は「個・対・個」の意識を発達させ、 上(下)方向からの視座は「個・対・集団」の意識を発達させるわけだが、 それはバーチャルなものであり、子どもが大人に成長する過程で 少しずつ獲得していくものだ。 ダグラス・ワーク、あるいはヌース理論、 あるいは「絵を右脳で描く」的なメソッドは 射影像から三次元の対象物をバーチャルに描画することをやめて、 ありのままに見るということを指向する。 それは、二次元への射影という点では 次元を一つ落とすということであり 退行的にも思えるが、 その射影を「見ている者」は一つ上の次元としての 四次元空間(*)にいるともいえるのではないか? 物理には詳しくないので何とも言えないが、 このことは量子力学でいう観測問題ともかかわってくると思う。 近代的自我、近代的社会がかかえる閉塞的状況を 突破するにはバーチャルな三次元空間に絡め取られた 意識を四次元方向に解放するしかない。 *ここでいう四次元目は時間ではなく高次の空間のこと。 時間を組み込むと五次元時空となる。 (c)神谷充彦 ジャンル別一覧
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