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QBスニーク

◆検査入院・告知◆

 検査入院の3ヶ月前には,血液データが異常を示し始めた.会社に常駐している産業医は,「脅かすわけじゃないけど,敢えて言うなら,白血病の症状に当てはまるかもしれない.万に一の確率でだから,心配ないと思うけど」と笑顔を浮かべながら離してくれた.ヘモグロビンの値が徐々にではあるが明らかに低下する傾向を示していたのである.要は,慢性的に貧血症状を呈していたわけである.ただし,血小板は常人並みの値を示していたため,白血病だと言う確証は得られなかったのであろう.今その当時のデータを見てみると,もっと以前の血液データに比べると,血小板も半減していたことがわかる.やはり,この時期にはもう身体が何らかの信号を発していたのである.

 それから一ヶ月たっても,貧血の症状が改善しないため,産業医から血液内科で精密検査を受けるようにと指示を受けた.この段階でもまだ自分の身体を過信していた私は,指示を受けた後半月経ってから,数年前にK総合病院に入院した“胸膜炎”絡みの定期診察のついでに,血液内科の精密検査を受けたのである.検査結果を伝える医師の目付きが変わったのを何となく感じた.そして,それまでに無いほど饒舌に検査結果の概要を話し出した.「これはチョッと厄介な病気かもしれない」と淡々と言うのである.その段階では,まだはっきりしたことが言えないので,1ヵ月後にまた検査をすることにして,その場は終わった.この段階でもまだ,私は“厄介な病気”という意味を,“重大な病気”とは捉えていなかった.せめて“治りにくい病気”程度だろうと考えていた.“重大な病気”だったら,あんなに饒舌に淡々と病状を説明できるはずが無いと踏んでいたのである.ところが,これも退院後にわかった事であるが,この医師はその昔,某大学病院で骨髄移植に携わっていたそうであり,“白血病は治る病気である”ことを身を以って経験してきたため,私の検査結果を見てもうろたえる様子は微塵も見せなかったのは当然と言える.むしろ,血液疾患治療の最先端で活躍していた昔を思い出して,目つきが変わったのだということが今になってみるとわかるのである.

 約束の一ヶ月の間に,長期休暇があったので,実家のある東北のとある田舎町に,家族揃って帰省した.体調が優れなかったため,いつもは自分で車を運転して片道1000km以上の距離を移動するのに,このときは新幹線で帰った.新幹線の駅から実家までのローカル線の列車の中から眺める田舎の風景が妙に心に沁みるのを感じていた.「もう二度とこの風景見れないかもしれないなぁ」ともう一人の自分がつぶやいていた.まるでその数週間後に“白血病”を告知されるのを予期しているかのように.そして,実際に骨髄移植後の厳しい闘病期間に脳裏に浮かんだのはこのときの田舎の風景であった.

 田舎での一週間あまりを十分に楽しんで,会社に戻った.早速,産業医の指示で血液検査を実施したが,貧血はよくなるどころか更に悪化していた.ヘモグロビンが8台に突入したため,産業医からドクターストップが掛かった.そして,「明日にでも精密検査を受けるように」との指示を受けた.「明日はもう客先でのプレゼンが入っているので,明後日でも良いと言ってください」と最後のお願いをしたことを今でも良く覚えている.翌日の出張に同行した営業の人間には,「明日からしばらく会社出れないかもしれない」と言うのがやっとであった.極力冗談っぽく「顔をあわせるのもこれが最後かもしれないな」と言ったのも覚えている.自分の中では“白血病”を察知していたのである.

 いよいよ精密検査のためにK総合病院へ行った.検査結果が出る前に,「じっくり検査したいので,一週間ばかり入院してください」と言われた.断る理由は無かったので,言われるままにした.入院した病棟は,色々な科の患者さんが雑居している病棟で,病状が重い人も軽い人も一緒に生活していた.最初に入った病室はナースセンター隣の2人床であったが,同室の患者さんの状態が思わしくなく,うわ言を常に言っている状態で十分身体を休められる状態ではなかったので,少し離れた3人床に移された.そこには扁桃腺の切除手術を受けたばかりの幼稚園児が入院しており,若いお母さんが付き添いをしていた.

 数日後,その病室で“白血病”の告知が行われた.通常はナースセンターに呼ばれて,誰もいない部屋で告知するのだろうが,敢えて病室で,他の患者さんが居る前で告知が行われた.骨髄移植の権威であるN病院のK医師への紹介状の写しも渡してもらえた.「あなたは研究者だから,こういうデータには関心があると思うので,しっかり説明させてもらいます」といって丁寧な説明を受けた.ショックはショックであったが実感は湧いてこなかった.「あなたの年齢ならば,骨髄移植まで徹底的な治療が受けられるから大丈夫.絶対に治りますから」と言って下さった.他の患者さんが居る前で,敢えて告知したのも,“白血病は特別な病気じゃない.治る病気なんだ”ということを私に伝えたかったのだろうということにこのとき気付いた.その心配りが私には嬉しかった.次の週に,K医師の診断を受けることにして,告知は終わった.

 告知の後,同室の若い母親はショックのあまり,涙声で「あんなに大事な話を他人の前でするなんてひどいですよね」と気遣ってくれた.どんな言葉を返したのか良く覚えていないが,空元気を出してその場を盛上げようとしたのは間違いない.八神純子の『思い出は美しすぎて』を聞いていると,知らず知らずの間に,涙が溢れていた.後にも先にもこのとき限りの涙であった.俗世間と決別して“白血病”と闘う決意をした涙だったのかもしれない.

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