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QBスニーク

◆本格的治療のための転院・二度目の告知◆

 K総合病院で告知を受けたのが週末だったので,N病院のK医師の外来診察は週明けになった.K総合病院に外出届を出して,N病院に向った.貧血がひどかったので,妻の運転でN病院に向った.N病院のある辺りは,同じ市内でもほとんど縁の無いエリアであったため,移動中の風景は目新しいものばかりであった.

 前もって約束していたこともあり,ほとんど待たずにK医師の診察を受けることが出来た.「K総合病院の主治医の先生は良く調べられてますね」というお褒めの言葉を頂いた程度で,「すぐに入院してください」というコメントで診断は終了した.参考までにK総合病院の主治医の紹介状の概要を以下に示す.

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 ○約2ヶ月前から,軽度の貧血で外来経過診察.貧血のほかには,血小板や白血球系の異常は無く,臨床症状も異常なし.
 ○約1ヶ月前から貧血が進行,ヘモグロビンが7.6まで低下,他の症状はないものの,精査目的で先週入院.
 ○骨髄穿刺にてblast63.2%であり,急性白血病と診断(当初はALLまたはM0と考えたが,ほとんどの細胞において骨髄性マーカーが陽性,しかし骨髄中の%がそれほど高くないので単純にM0とも言えず苦慮している.また,発症が緩やかな印象があり,MDS[骨髄異形成症候群]からのALtransfomationの可能性も残されていると考えられる).
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 K医師の指示で,早速病棟へ移動した.血液内科の病棟に空きが無かったこともあり,小児科・無菌病棟に入院することになった.小児科・無菌病棟は,文字通り,感染病予防の目的で,無菌状態を保持した病棟であり,普段は病棟入口の扉は閉められており,入室者の最低年齢が制限されていた(高校生以上しか面会を許されなかった).

 病棟に入って,まず驚いたのは,帽子やバンダナを身につけている患者さんが多いことであった.今となっては当たり前のこととして理解できるが,癌患者の面会に出かけた経験の無かった当時の私にとっては,異様な光景であった.しかし,間もなくその理由に気付かされショックを受けることになる.

 看護課長さんから病棟の説明を聞かされ,担当の看護婦さんから設備の利用方法や諸々の注意事項を聞かされた.入院診療計画書には,病名:急性白血病,症状:貧血・発熱,治療計画:化学療法(場合によっては骨髄移植),推定入院期間:4~6ヶ月,などの記載があった.是非も無くサインした.同時に,輸血説明および同意書にもサインした.この段階で,この秋のアメリカでの研究発表にはいけないことが明らかとなり,落ち込んだ.講演論文集だけは提出しておいたのがせめてもの救いかと思うしかなかった.輸血についても初体験であり,肝炎ウィルスやエイズウィルス等の検査は全て実施されているとはいえ,不安だった.

 N病院での検査結果が出たのは数日後のことであった.妻も呼んで,主治医からの説明を聞いた.病名は,AML with trilineage dysplasia(AML/TLD)であった.簡単に表現すると急性骨髄性白血病(M6)[別名:赤白血病]であった.同じ白血病の中でも症例の少ない種類の白血病であり,日本一の実績を有するN病院でも3例ほどしか前例がなく,元気に社会復帰している人もいるという説明であった.当面は,寛解導入治療(イダマイシン3日間+キロサイド7日間投与)後に地固め治療を行う方針であることが説明された.とにかく出来ることは全てやってもらうしかないと考えた.

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