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QBスニーク

◆安らぎのひととき◆

 治療方針の変更説明を妻と一緒に聞いたのは12月の第二週であった.骨髄移植は来年の3月になるであろう旨の説明があった.2人目のドナーの3次検査が3日後に実施されるとの通知があったことも説明された.主治医の話では,ドナーさんが予想以上に積極的に協力してくれていて,検査もスムーズに進んでいるとのことであった.素晴らしいドナーさんとめぐり合えたことに,心から感謝した.自分は何かに守られているのかもしれないと感じた.

 この頃になっても,仕事上の相談で,会社の部下が病室を訪れることが度々あった.単純な性格の私は,その場所が病室であることを忘れて,真剣に討論をし,様々な指示を出した.突然の闘病生活で,仕事の引継ぎもほとんど出来なかったことを後悔したが,彼ら若手が成長するには打って付けのチャンスになるはずだと確信した.このような突発的な状況を経験できる人間は数少なく,この状況を切り抜けたときの自信は大きなものとなるはずである.

 正直なところ,俗世間から隔絶された世界で病気と戦おうという気持ちが固まりつつあるときに,また俗世間に引き戻される思いもしたが,移植が成功して生命を維持する保証がない現実を考えると,今伝えられることは出来るだけ伝えておかなければという気持ちが強く働いた.同じ病室の患者さんたちは,まじめな一面を見せる私に,平常の私とのギャップを感じ,少なからず驚いていらっしゃったろうと推測する.

 ちょうどこのころ,移植直前に虫歯が発見されると,全部抜かれてしまうと言うことで,口腔外科で事前診察を受けた.幸い虫歯は発見されなかった.数年に一度くらいの割合で歯科を受診していた甲斐があった.このまま移植まで虫歯がない状態を維持しなければならない.

 その週末3週連続の外泊が叶った.会社の部下が金曜日の朝に車で迎えに来てくれた.タクシー代がもったいないだろうと言う上司の思いやりから,勤務時間内に外出を許可してくれたものであった.自分が周りの人達によってどれだけ助けられ,生かされているのかを痛切に感じた.

 帰宅すると,母方の祖父から手紙が届いていた.93歳にもなる祖父の自筆の手紙を読むのは初めてであった.戦前から東京で区議会議員を務め,戦中に故郷に疎開して,戦後しばらく市議会議員を務めていた祖父らしい,達筆で説得力のある文章であった.母方の一族ではカリスマ的存在である祖父から手紙をもらえること自体,私にとっては特別なことであった.その内容は,私に安らぎを与えてくれると共に,「尊敬する祖父に元気な姿を見せて上げなければ・・・」という気持ちを呼び起し,病気に立ち向かう勇気を与えてくれた.ただひとつ,気掛かりだったのは,祖父が心労で健康を害さないかということだけだった.祖父の手紙を以下に紹介する(都合により,一部割愛および修正した).

<祖父からの手紙>
謹啓
 年の暮れともなれば東北の地は雪又雪で寒さも急に厳しくなります.
 ○○さんが病魔に苦しんで居るのを考えるといつも心が晴れない日々を送っています.
 むずかしい病気で白血球が足りないとか,輸血をしなければならないとか云っておりますが,九十三歳になる私の血で良ければ,血でも肉でも骨でも役立つならばあげ様と思っていましたが,年寄の血では役に立たないと云う話で何をしたら良いやら毎日悩んで居ります.
 顔を見たいと思っても,名古屋では行けそうにもないので唯心で悩んでいるだけです.
 あんなに頑健な青年が何故にそんな病気になるのか,神も仏も無いものか,いろいろ考えているが答えが出て来ない.
 何にしても医師にすがる外道がなく,あとは精神力でがんばる以外道はない様にも思われます.
 主治医の云う事を聞いて良いと言う事は何でもして唯回復する事を念願に闘病をして下さい.
 紀元も二〇〇一年となり,心機一転病魔を追い払って一新した年を迎える様お祈り申し上げます.
 何か希望することがありましたら申し出て下さい.出来得る限りの事を致しますから何も遠慮はいりませんから.
 決して暗い気持ちを起こさないで明るい気分を発揮する様心がけて下さい.
 私達も何の役にも立ちませんが一生懸命祈願して快復の一日も早からん事を念じて居ります.
 私も九十三歳となり,眼も悪く,耳も遠く,足は杖をたよりに歩いているので,年と共に字も思う様にかけなくなり,思考もまとまらなくなって,唯ボケ老人にだけはなりたくないとがんばって居ります.
 早く癒って明るい笑顔を見せて下さい.
 年賀状も出しませんからご了承ください.またお手紙を書きます.
謹白
平成十二年十二月○○日
                                  祖父より
 ○○○○様

 このときの外泊は,体調が良かった所為か,良く出掛けている.懐かしい訪問者もあった.妻の友人である.陰陽師で有名な晴明神社のお守りを持ってきてくれた.「○○さんは守られているから絶対に大丈夫」と力付けてくれた.このときもらった晴明神社のステッカーは退院するまで,ベッドの枕元から離れることはなかった.祖父への手紙や会社の上司への提案レポートを仕上げて,外泊を終えた.

 また,一週間が何事もなく過ぎていった.今週も会社関係者の来院は続いている.年明けに会社組織の改編があって,私も室を移ることになった旨内示を受けた.この週の週末に中日ドラゴンズの選手の慰問があった.小児科の子供たちを対象とした慰問であったが,我々大人にも心躍るイベントであった.夕食後には看護短大生によるキャンドルサービスがあった.心休まるひとときであった.

 4週連続の外泊の許可が降りた.この週も会社の部下が車を出してくれた.申し訳ない気持ちが強くなり,今後は送り迎えを遠慮しようと決意した.この週はクリスマスイブをはさんでの外泊であった.クリスマスを家族と一緒に過ごせるとは思っていなかったこともあり,その感慨はひとしおであった.いつものようにあっという間に外泊期間が過ぎていった.

 週明け,白血球が徐々に増えているのが気掛かりであった.この週も毎日のように会社関係者が顔を出してくれた.中には仕事の相談もあって,元気付けられた.週末にはさらに白血球が増加していたが,年末年始ということもあり,5週連続の外泊許可が下りた.

 大晦日に自宅に帰り,のんびりと家族揃っての大晦日を迎えられた.幸せを感じた.年が明けて,「今年は勝負の年.絶対生き抜いてやる」と日記には書き残した.田舎の母と,関東に住んでいる姉に電話で新年の挨拶をした.年賀状も必要な分だけ,PCで作って印刷した.なかなか忙しい年末年始の外泊であった.

 外泊明けの血液検査では,白血球数が12000弱まで増えていた.主治医からは,次週から白血球数増加を抑制するための軽い化学療法を再開する旨の連絡があった.新年早々憂鬱な気分になった.
[2002.06.22更新]

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