951537 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

QBスニーク

◆化学療法2◆

 化学療法前の最後の週末.6週連続の外泊が許された.ドナー候補上位2名のうち1名が移植適合と判断されたため,移植同意書を持って外泊に出掛けた.ちょうどこの頃,年に一回の高密度無菌病棟(移植が行われる病棟)の大掃除が行われていた.化学療法再開前最後の外泊なので,思いっきり楽しもうという気持ちはあったが,外出したのは初日だけで,あとの2日間は家でのんびり過ごした.病院に帰る時間が近づくと,息子が私の傍らに近づいてきて手を引いた.言葉こそないものの「もう少し傍にいて欲しい」という気持ちが伝わってきて,辛かった.別れるときに,大泣きすることも無く「またね」と言ってくれたのがせめてもの救いであった.

 外泊の翌々日から白血球増加を抑制する軽度の化学療法が始まった.治療前の白血球数は18000であった.今回の化学療法は,寛解導入治療とは異なり,キロサイドという薬品1種類を用いて,比較的低濃度で投入するものであった.このとき初めて末梢血管からの抗癌剤点滴を経験した.カテーテルからの感染の可能性がゼロではないため,骨髄移植前に体調を崩さないように配慮してのものであった.私は,キロサイドの副作用がひどい方であったので,その日のうちに体がだるくなり,口内炎が出始めた.

 この週もほぼ毎日色々な人達が面会に来てくれた.もちろん仕事の打ち合わせも相変わらず入っていた.中には,最近会っていない懐かしい仲間の顔もあった.色々な人達の励ましで,辛い治療のことを忘れられるのがせめてもの救いであった.治療開始3日後くらいから,点滴箇所の周りが腫れ始めた.いくら濃度が低いと言っても抗癌剤を入れていることに変わりはなく,血管の管壁から滲みだしてしるものと思われた.血管がいつまでもつのか不安だった.

 久し振りの病院での週末を迎えた.外泊する患者さんが多いため,静かな週末である.身体を休めるには最高の環境であり,存分に昼寝を楽しんだ.看護婦さんとお話しするのが唯一の憩いであった.

 治療後五日間が経過したが,白血球数は13000前後で減っていない.治療期間を3日間延長することとなった.点滴箇所周辺の腫れは湿布で何とか治まった.血管のしこりについてはヒルドイド軟膏を塗って改善された.手遅れになると,血管がつぶれてしまうとのことなので,一生懸命薬を塗った.2回目に刺した点滴針の周囲も痛みが出始めた.結局,また刺し直しとなった.治療開始一週間で白血球数が7000程度まで減少した.今回の治療は合計10日間で終了する旨の説明があった.

 このころ,二人目のドナー適合者の検査結果が届いた.肝炎ウィルス抗体の値が高過ぎる問題があること,3~4月の移植は不可能であることなどを考慮して,一人目のドナー適合者が最適であるという結論に至った.最終同意を待つのみである.

 この週は,仕事関係の面会よりも女性陣の面会が多く,嬉しい反面,張り切りすぎて疲れ気味であった.金曜日朝の段階で,白血球は4700にまで減少していた.午後になって,急遽,治療が終わり次第外泊して良いとの許可が降りた.

 何の前触れもなく帰宅したので,家族はみんな驚いてくれた.翌日,昼近くから雪が不降り出した.完全に雪国を思わせるような空模様であった.高速道路は完全にストップし,名古屋市内だけで400件に上る雪に起因した交通事故があったそうだ.翌日病院に帰れるかどうか不安になる.外泊最終日,妻の母が顔を見せてくれた.あっという間の外泊であった.

 週明けの血液検査の結果,白血球数は3300まで減少していた.相変わらず,仕事の相談や論文〆切通知が飛び込み,気を抜けない日々が続いた.金曜日の段階で白血球数が6800にまで増加していたのが気掛かりであった.一方で,ドナー最終同意面接実施の連絡があったという嬉しい知らせもあった.順調に行けば来週早々に移植日程決定となる.

 二週連続での外泊許可が降りた.今回の外泊は国際学会へ投稿する論文の準備と郵送に費やされた.いつもより神経を使った所為か,頭痛がひどく,気分が優れなかった.悪い予感がした.

 外泊後の血液検査の結果を見て驚いた.白血球数が18000を超えていたのである.いよいよ急性白血病特有の白血球数増加傾向が顕著に現れはじめたと感じた.急遽,CVを挿入し,翌日から通常“地固め”治療に用いられる処方(キロサイド5日間+ノバントロン3日間)で治療を再開することに決まった.皮肉なもので,その直後に,ドナー最終同意が取れた旨のFAXが主治医宛に届いた.主治医の話によると,移植は1.5~2ヵ月後とのことであった.あまりにも急な治療再開という悪い知らせと,ドナー最終同意という良い知らせで,頭の中は混乱していた.でも,嬉しくないわけはない.嬉しかったはずである.

 入院度150日目にして,通算4回目の化学療法が始まった.治療前から,頭痛,発熱があったが,白血病細胞の増殖を防ぐのが先決であるから仕方がない.今回初めて処方される抗癌剤のノバントロンは,通称“ブルーハワイ”と呼ばれるインクのように青い薬である.噂ではかなりきつい副作用があると聞いていた.さすがの私も少し憂鬱な気持ちになった.

 治療2日目の白血球数は20000を超えていた.薬が効き始めるまでにどこまで白血球数が増えるのか不安だった.解熱剤を服用しなければならないほどの高熱が続いた.治療3日目にして,白血球数は10000程度まで減少した.あれだけの熱が出るのだから,がん細胞もたまらないのであろうと勝手に思い込んだ.この日,移植日が決定した.移植まで約40日しかなかった.この治療で体力を落しすぎるといけないと思い,その日の夕方から無理やり食事を再開した.治療4日目,熱がおさまって来た.少しホッとした.5日目,ほぼ平熱で終日過ごせた.この日は仕事の打ち合わせも出来たし,以前投稿した国際学会の講演論文原稿の正式受理通知も届いた.良いことは続くものである.治療最終日には,白血球数が2000まで減少していた.“ブルーハワイ”の効き目は素晴らしいものがあった.

 その翌日,入院以来仲良くしてもらっていた仲間の一人が移植のために高密度無菌室(通称クリーンルーム)に入った.本人は予想以上に元気であったが,奥さんの目が心なしか赤らんでいたのが印象的であった.明日はわが身である.ちょうどこの日,移植日確定と主治医交替の知らせが入った.何かが慌しく動き出した感じを受けた.

 4回目の化学治療後初めて迎えた週末は,おとなしく病院で過ごした.白血球数は500まで減少していた.同室の子供たちはみんな外泊に出かけて,大人だけの病室は静かだった.国際学会での講演を某大学の教授に代理発表してもらうために,口頭発表用の原稿作りを進めた.移植前に仕上げなければという強い思いがあった.身体はボロボロなはずなのに,気持ちはしっかりしていたんだなあと今になって思う.

 週が明け,移植まで約一ヶ月となった.いよいよ移植前の検査が始まる.まずは,胸部・腹部CTと心電図である.朝食および昼食は絶食であった.このときの白血球数は300であった.翌日,心プール検査のため朝食絶食.その翌日は検査は無く,見舞いにいただいた動物占いの本に熱中していた.週末,アイソトープ検査があった.白血球数は200まで減少していた.当然外泊は出来ない.

 週明けの血液検査の結果,白血球数は1000であった.このころになると,緊張のためか睡眠時間が少なくなっていた.どんなに夜更かししても6時には目覚めるのである.時間を持て余していたこともあり,「化学療法による白血球数減少傾向に及ぼす処方の影響」に関するレポートを作成し始めたのはこの頃である.もちろん,医学系の論文なんて目にしたことも無かったため,見よう見まねで書き進んで行った.翌日,新しい仲間が一人増えた.初対面とは思えないほど親近感の持てる青年であった.この日は午前中に眼科検診,午後から口腔外科検診およびマウスピース型取り,肺機能検査があった.夕方にはルンバールが実施された.噂には聞いていたが,嫌な検査であった.週の半ばにおける白血球数は1700であった.増加速度が早い印象を受け,嫌な予感がした.この日は午前中に肝機能検査,腹部・心エコーを,夕方には肝臓の血流検査(エコー)を実施した.検査漬けで心身ともに疲れを感じた.この頃になると,入れ替わり立ち代り看護婦さん達が顔を見せてくれて,励ましてくれた.感謝の気持ちで一杯になった.その翌日は午後から溶存酸素量を調べるための動脈採血を実施した.移植説明は移植二週間前に実施されることが決まった.金曜日の白血球数は2400であった.白血球数の増加は明らかであったが,移植まで間がないこともあり,外泊の許可が降りた.午後から頭部MRIを実施した.検査中に居眠りをしていたことを話すと,検査技師の方が驚いていた.処置室で移植前最後の散髪をしてもらった.

 移植前最後の外泊と覚悟していただけに,やるべきことがたくさんあった.移植後の高密度無菌室内で退屈をしないために予め準備しておいたゲーム機(PS2)用のソフトを買出しに行った.10本近くまとめ買いをした.妻の母と姪が顔を出してくれたので,食事をしながら色々な話をした.そして,外泊最終日には,免許書き換え手続きのため警察署へ出向いた.きれいに散髪した甲斐があって,見事なスキンヘッドでの免許証が出来そうな予感がした.

 病院に帰ってすぐに実施した血液検査の結果,白血球数は5000近くまで増加していた.予想通り,その日から入院後176日目にして通算5回目の化学療法が実施された.今回は体力維持を考えて,キロサイド単独で3日間投与することになった.翌日,放射線に呼ばれて,移植前の放射線治療に関する説明を受けた.色々な障害が起きる可能性についての説明なので良い気分ではいられなかった.治療後2日経過した時点での白血球数は3600であった.もう減少傾向を示していた.やはり,キロサイド特有の発熱を伴った.食欲はほとんど無くなっていた.こんな状態の中で,国際会議の発表原稿の総仕上げを終えた.木曜日,午前中に造影剤投与後のCT撮影を実施した.気持ち良い検査ではなかった.午後から,放射線照射用プロテクターの試着を行った.夕方,放射線に呼ばれて身体の寸法測定を実施した.吸入も初体験した.この日の昼食から,食事が無菌食Bというものに変わった.これ以降,レトルトまたは缶詰以外の市販の食品は食べられないことになる.金曜日,白血球数は2000まで減少していた.午前中に骨盤のMRIを実施した.また居眠りしてしまった.閉所も騒音も平気な自分に驚かされた.午後から,移植の説明および高密度無菌室の見学を行った.説明は主に移植前の治療に関するものであった.無菌室の印象は悪くなかった.土曜日,ドナーさんへのお礼の手紙の内容を考えた.

 週が明け,移植まであと10日と迫った.白血球数は3100であった.いよいよ前治療のために個室に移ることになった.[2002.06.30更新]

『闘病記』閲覧室へ


© Rakuten Group, Inc.