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QBスニーク

◆骨髄移植◆

 一夜空けて,骨髄移植当日を迎えた.入院後193日目.前治療前は78kgあった体重が75kgに減っていた.午前中の回診後に移植用の点滴針を左腕に入れた.ドナーが遠隔地に住んでいるため,骨髄液が届くのは夕方で,実際の輸血は夜からになるとの説明を受けた.昼食は,食べられるうちに少しでも口に入れておこうと,2/3ほど食べてみた.移植までの時間色々なことを考えていた.マイナス思考にはならないように,楽しかった思い出を思い出していた.高密度無菌病棟に入室前に一般病棟の中間達と撮ったインスタント写真がベット横の窓に貼り付けてあった.子供たちの笑顔と「がんばってきてね」という励ましの声を思い出していた.

 予定より少し遅れて,1.2リットル以上の骨髄液が空輸で到着した.ドナーの健康状態が気掛かりであったが,可能な限りの骨髄液を採取し,運んできてくれたようであった.その30分後に,移植が始まった.移植開始直後の異常も認められず,1時間当たり250ccのスピードで移植を継続した.移植開始4時間後,腹痛が襲ってきた.激しい下痢の症状であった.大量の骨髄液を移植するということで,血圧の増加が懸念されていたが,血圧が上昇する気配は一向に見られなかった.約7時間後,日付が変わる頃,移植は完了した.移植途中での顕著な体調変化は認められなかったが,幾分の息苦しさや動悸は感じられた.すぐには眠ることができず,お気に入りのPDAでソリティアをしてから,眠りに就いた.

 移植後初めての朝を向かえた.白血球数50.移植した分だけ体重が増えていた.この段階では前治療の段階で感じていた食道や口内の炎症はそれほど悪化していないようであった.体調は移植直後よりも良好であった.午前中の回診後に,体重増加分を減らすべく,利尿剤を投与された.食事も摂れるだけ口に入れていた.午後から夕方に懸けて妙に頭がボーっとして,倦怠感を感じた.夕食の頃には口内炎と食道炎がひどくなっているのを感じた.とにかく痛みを伴ってきた.下痢の方も痛みを伴ったものに移行していた.いよいよ戦闘開始か?

 移植後2日目,利尿剤の効果で,体重はほぼ75kgに戻っていた.下痢と粘膜炎症の痛みや頭痛で十分な睡眠が摂れず,かなり不快な状態になった.「この状態が何日続くのか?」と日記には記されている.朝食後の内服時に炎症した喉に大粒の錠剤が引っかかり,初めて嘔吐してしまった.内服のやり直しをした.昼食時にはもう食欲がほとんど無いことに気付いた.内服には神経を集中した.何とか無事内服を終了した.夕方の内服は一応無事完了したかに見えたが,横になっているうちに吐き気に襲われて,危うく嘔吐するところであった.内服後しばらくは横にならない方が良いことを学んだ.「いよいよ厳しくなってきた」と日記に記していた.

 移植後3日目.粘膜炎症痛を抑えるために鎮痛剤を試したが,効果はほとんど認められなかった.この日から,錠剤は粉状に粉砕して内服し始めた.ここ1週間が山場だろうとのことであった.日記には「何とか乗り切りたい」とある.

 移植後4日目.このあたりから,日記の文字数が激減する.「かなり痛い.粘膜が」や「移植後4日目おめでとう」の文字が並ぶ.血液データさえ記録できない状況に陥っていた.

 移植後5日目.「粘膜が痛いよ.たかが薬,されど薬」の一行のみ.この頃になると,徐々に体重が減り始め,ベッド上に起き上がるのも大変な状況であったと記憶している.

 移植後6日目.粘膜炎症痛は相変わらす続いていた.さらに悪いことに,唇の皮が脱皮してしまった.この状態では,鎮痛剤は必需品となっていた.

 移植後7日目.相変わらずの状態が続いた.日記は2行書ければ良い状態となった.

 移植後8日目.小康状態.鎮痛剤に良い薬が見つかった.献身的な看護婦さんが見つけてくれた.

 移植後9日目.白血球数200.僅かながら白血球数が増え始めた.粘膜炎症痛がひどく,唾液を吐き出すことも儘ならないため,チューブで吸引していたが,その吸引物に血液が多く混じるようになっていた.表層が一皮剥けてしまった状態なのであろうと勝手に推測した.

 移植後10日目.「身体が軽く感じる」.この日,水分を口から100ccずつ2回にわけて,飲んでみた.以前ほど痛くなかった.しかし,夜から発熱症状が続いた.

 移植後11日目.白血球数200.許される限り色々な飲み物にトライした.普通のイオン飲料でも粘膜に沁みて激痛が走った.体中に発疹が認められたが,GVHDではなさそうとのことであった.この頃でもしゃっくりが頻発し,呼吸困難を起こすこともあった.この日は,「心臓の鼓動がしばらく止まったように感じ,自分で胸を叩いて回復した」という記述が見られる.しゃっくりの最中に嘔吐すると,血痰が出てきた.嘔吐のときにも呼吸困難を度々起こしていた.今振り返ると,壮絶な状況である.それでも,日記には「解熱剤投与のタイミングとしゃっくりが起こるタイミングに因果関係があるのでは・・・」という冷静な分析が見られた.反面,継続的に鎮痛剤(モルヒネ)を処方していたこともあり,この頃になると,幻覚や幻聴を度々経験するようになっていた.

 移植後12日目.幻覚や幻聴を経験する頻度が高まっていたこともあり,このころの日記は読み取りにくくなっている.誤字脱字は当たり前の状態である.しゃっくりについても,自分なりに工夫して強制的に止める技を開発しつつあったが,主治医から「気にし過ぎないように」とアドバイスされ,それに従うこととした.午前中から発熱が始まり,見る見るうちに40℃を越える状態であった.その後平熱に戻り,しばらくは異常がなかったが,夜の内服後に急な発熱に襲われ,朝方まで5~6時間最悪の時間を過ごした.この日は非常に強烈な幻覚を見たようである.日記では,幻覚と気付かずに,事実として記されている.

 移植後13日目.白血球数が900まで増加し,病室のカーテンが開けられた.移植患者にとっては一大イベントである.喜びもつかの間.昼前から発熱が始まった.40℃近くまで熱が出たが,悪性のものではないらしい.「この状態があと何日続くのか?」という文字が日記に見られる.このころになると,両腕の震えが顕著になっていた.夕方,主治医が“カーテン開放式”なるものをしてくれた.移植後13日目のカーテン開放は早い方であるとのことであった.このころの発熱は“生着熱”なるものらしい.この日の夜も強烈な幻覚を経験した.日記には事実として記されている.

 移植後14日目.白血球数が増加している所為か,急激な発熱の頻度は少なくなっていた.その代わりに,倦怠感が強くなっていた.

 移植後15日目.白血球数1700.血小板はほとんど0に近かった.マルクが実施された.体調が改善された所為か,一日も早く一般病棟の個室に移りたいと考え始めていた.この日限りで結婚退職する看護婦さんがお見舞いに来てくれた.婦長さんも移動になるとの情報を得た.少し寂しい気分になった.

 移植後16日目.白血球数1500.身体のだるさは治まっていないが,他の面では確実に改善していることを確信した.この日から,イソジン嗽を開始した.不思議なことに,水よりもイソジンの方が炎症した粘膜に沁みないことを発見した.昼過ぎには,久々のシャワーを浴びた.気分爽快であった.

 移植後17日目.「だるさは治まらない」昼の内服後の吸入時に久々に嘔吐してしまった.ちょっとショックであった.

 移植後18日目.「一般病棟の個室が空けば,いつでも移れる状態のようだが,個室が空かないらしい.あと一週間ぐらいの辛抱か?」

 移植後19日目.「内服時の嘔吐の回数が増えてきた.何か良い対策は無いものか?」隣の女性患者が個室に移った.次は自分の番だと思った.

 移植後20日目.白血球数2100.この頃には,歩行訓練を兼ねて,高密度無菌病棟内の共用トイレを利用するようになった.一般病棟の個室に移るまであと一週間程度の予定であることを聞いた.待ち遠しかった.

 移植後21日目.先日の血液検査でサイトメガロウイルスが検出された.常識的には,サイトメガロが出るには早すぎるとのことであったが,念のために治療を施すとのことであった.相変わらず,嘔吐が続いた.

 移植後22日目.嘔吐が癖になったように感じた.

 移植後23日目.移植後2回目の入浴を実施した.気分が良かったため,病棟内を散歩した.嘔吐は続いていた.

 移植後24日目.白血球数3400.胃袋を目覚めさせるために,離乳食を始めた.まるで赤ん坊である.

 移植後25日目.白血球数2600.体重は71kgまで減っていた.

 移植後26日目.唇の荒れがひどくなった.離乳食の量は徐々に増えてきた.明後日に一般病棟の個室に移れるとの内示があった.

 移植後27日目.頭痛がひどかったが,しばらく冷却して治まった.いよいよ明日退室である.

 移植後28日目.夕方には一般病棟の個室に移った.退室のセレモニーでは,必要以上に元気であることをアピールするため,手を振りながら個室に入った.前治療のときと同じ個室であった.入室後カテーテルの交換を行った.ついに,個室に出てくることができた感動を十分に味わいながら,眠りに就いた.
[2002.07.13・・・退院一周年記念日・・・更新]
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