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『福島の歴史物語」。ただいま、「鉄道のものがたり」を連載しています。

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2013.12.09
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  (五) 日本の牛馬車〜古代より近代へ 3

     たとえばの話

 ところで青森から東京まで、最も安くて早い馬車に乗って旅行したと仮定してみよう。日数は十二日かかり、途中十一ケ所に宿泊しなければならない。それでも定期馬車の場合、宿泊地は一定していた。七戸・二戸・八戸・盛岡・花巻・金成 (かんなり)・仙台・白石・郡山・白河・宇都宮がそれである。

 この間は馬車賃だけでも二十三円から二十四円かかり、これに十一日分の宿泊料(一泊十五銭から三十銭)と昼食代(一食五銭から十銭)、更にお茶代やチップ十一日分(金額は以外に大きい)を計算に入れ、臨時の支出を考えず、酒も飲まず名物の饅頭も喰わずといったぎりぎりの旅行でも、片道三十円はかかった。だから一度青森から東京へ行って帰ってくると、百円以上の大金と約一ケ月の日数を必要としたことになる。

 それにしても、米一石五円という時代である。百円と言う金額は、下級役人の五ケ月分から十ケ月分の給料に相当した。だからこれらの記録にも拘わらず、この距離と意外に高額な乗車賃とあいまって、毎日定期便を運行するほど乗客があったかどうか非常に疑問である。青森=東京間の馬車はより至近な距離である宇都宮=福島間の陸羽街道馬車会社が本当に走っていたかと言われていたように、これまたそうであって欲しいと思われていた幻の馬車会社であったのではなかろうか。そしてこの同じ時期に手塚舎があったことを考え、さらにこの盛運社や万里軒と考え合わせると、一社ではなく複数の会社で東京=青森間を乗り次いで運営していたとも考えられる。

     仙台の馬車木道

 明治十一年七月、安積疏水の恩人とされるオランダ人ファン・ドールンの調査と建白により、日本政府主導で東北地方の一大プロジェクトであった宮城県野蒜(のびる)新港の建設が始まると、仙台地方に大きな活力がみなぎつた。同時に野蒜を中心にして、石巻から荒浜(阿武隈川河口)までの運河の改修も始められたから、新野蒜港と仙台の発展が大いに期待された。

 明治十三年十二月一日、仙台市東六番丁 (現・JR仙台駅付近)から蒲生運河のあった宮城郡蒲生(現・仙台市内)までの約十二キロメートルの木道敷設の請願が、宮城県知事に対して提出された。木道というのは、木製のレールのことであるが、この会社のものは、木製のレールの表面を鉄板で覆ったものであった。この木道で、仙台=蒲生間の貨物を年間五万駄(一駄・約百十キロから百五十キロ)を運ぶ見込みであった。

 この会社の計画者は、由利公正子爵(旧姓・光岡弥太郎)と言われ、発起人は東京の三岡丈夫であった。起点は現在の仙台線と同じく、宮城野原の北を抜けて蒲生街道を通り、高砂付近で七北田川を渡り、蒲生に達するものであった。出願は明治十四年七月七日、内務卿・松方正義により許可され、会社名を「木道社」と称した。資本金は三万三千円(三万三千株)、社長は右辺大三といい、本社を仙台市東六番丁十三番地に置いた。

 野蒜港そのものは工事中に大暴風に襲われ、破壊されて頓挫してしまった。しかしこの木道は明治十五年二月に竣工し、三月二十日に営業を開始したのである。二十台の馬車を置き、特に仙台地方の移出人品の輸送に大きく貢献した。ことに萩浜に下ろされる貨物で山形方面に送るものは、ほとんどこの木道を利用したという。運賃は一駄二十銭で、年間一千三百円の純利益をあげていた。旅客は輸送しなかったが、東北では珍しい私設の軌道であった。原敬の日記には、木道に乗ってみた様子が書き残されている。

 明治十九年、仙台=塩釜の鉄道が建設される見通しとなった。驚いた会社は木道の買い上げを日本鉄道に請願したがそのままとなり、明治二十年十二月、東北本線が塩釜まで開通すると木道は利用されなくなり、ついに放棄されてしまった。

     東京の馬車鉄道

 明治十六年六月、本格的な馬車鉄道が、新橋=日本橋間に登場した。

 このように、本来発展段階を異にする輸送機関が同じ期間に輸入されたため、日本での馬車鉄道は、最初から市内・郊外の短距離・または貨物専用として、つまり蒸気鉄道の補助的輸送機関として使用されたのである。馬車鉄道と初期の市内電車の著しい形態上の類似(モニター・ルーフ、露出した運転台、外壁面の作りなど)は、明らかにこの両者の接点を示している。尚この時の東京の馬車鉄道のボディは、イギリスから輸入されたもので、木造ペンキ塗り、定員が二十四人から二十八人であった初年度の記録によれば、一日一台あたり七・三頭の馬、二人乗務の五・四人と馬の方が大事? にされており、またそれだけに馬の数を揃えておくのが大変であったという。

 ところで車両を牽くこれらの馬、一頭牽きはともかく二頭牽きの場合は、慣性の法則からして発車の時こそ二頭の力を必要とするが、一旦動き始めると一頭の力で充分である。だから二頭牽きの場合、一頭はいつも力を出している真面目な馬で、もう片方は引っ張っているように見せかけ只一緒に歩いているだけのずるい奴、と冗談にせよ言われていた。

 ずるいかずるくないかは別として、案外これは本当のことかもしれない。余談だが、三春馬車鉄道の客車を工務店の作業場で復元をし、郡山歴史資料館に運ぶのにレールの上の客車を押した時、その図体や見掛け上の重さにも拘わらず、その余りの軽さに青かされたものである。重い物でも、レールの上は本当に軽く動くものだと実感した。

 大正元年の最盛期、日本での馬車鉄道は約四十社が連行をしていた。

(1)「文様・車」 朝日新聞 昭和六三年三月六日
(2)「東国のはにわ」 福島県立博物館 二六ページ
(3)1古墳と古代文化九九の謎」 森浩一 二四四ページ
(4)「乗り物のはじめ物語」 ブリジストン広報室
   二〜三ページ
(5)撤跡の出典が分からなくなりました。
(6)「古墳時代から牛を飼っていた」 
   福島民報昭和六三年一月二六日
(7)「新修国語総覧」 江馬務 谷山茂 猪野謙二
   三二ページ
(8)「枕草子」 二一五段
(9)「鉄道の語る日本の近代」原田勝正 三五〜三七ページ 
(10)「日本の鉄道」 野田正穂 原田勝正 青木栄一
    老川慶喜 一ページ
(11)「明治末京逸聞史 下」森銑三 七三九ページ
(12)「駅馬車時代」 篠原宏 二〇六〜二一二ページ
(13)「ものがたり東北本線史」 日本国有鉄道仙台理事室
    二四〜三四ページ
(14)「駅馬車時代」 二七〇ページ




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最終更新日  2013.12.09 20:36:19
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