Quo Gene

2011/04/22(金)18:52

元キャンディーズ・スーちゃん、急死

元キャンディーズ・スーちゃん(田中好子)が、2011年4月21日午後7時4分、乳がんのため、国際医療福祉大学三田病院で亡くなった。55歳だった。乳がんが発見されたのは、1992年(36歳時)だった。左胸の腫瘍を摘出する手術を受けたが、その後も何度か再発。そのたびに手術や放射線治療を受け、その間も女優などの仕事を続けてきた。しかし、2010年10月に十二指腸潰瘍と診断されて入院し、2011年2月に退院。2週間ほど自宅療養したが、体調が悪化したため、同月中に再入院した。検査の結果、乳がんは肺や肝臓など多臓器に転移。4月20日までは意識もあった。スーちゃんは病床で夫に「どんな状況になっても復活する。女優を続けたい」と語り、最後まであきらめずに仕事への意欲を持ち続けたという。私は、キャンディーズ3人のうち、明るくて元気いっぱいでいつも場を和ませていたスーちゃんのファンだったので、大変ショック残念です。 スーちゃんは、1973年、伊藤蘭、藤村美樹の3人でキャンディーズを結成。「あなたに夢中」でデビュー。「年下の男の子」「春一番」などがヒットし、トップアイドルグループとなった。「8時だヨ!全員集合」などテレビのお笑い番組にも出演し、コントの出来るアイドルとして知られた。1977年、人気絶頂時に「普通の女の子に戻りたい」と発言して解散を表明し、世間を驚かせた。 1978年4月の東京・後楽園球場の「さよならコンサート」でいったん芸能界を引退。私も、さよならコンサートのアリーナ席で、キャンディーズの最後を見届け、「青春の偶像としてのキャンディーズの意義」をテレビ取材に来ていた記者に訴えた。 1980年にテレビ復帰。その後、俳優として映画やドラマで活躍した。1989年、広島の原爆を描いた今村昌平監督の「黒い雨」で被爆した女性をリアルに演じ、キネマ旬報や日本アカデミー賞など数々の主演女優賞を獲得した。 4月8日は55歳の誕生日で、ブログに寄せられたファンのお祝いに「皆さんも健康に気をつけて頑張ってください」と返事を綴っていた。 乳がんは、他のがんに比べ、比較的予後はよいとされているが、完治したと思っていても、10年後に再発することもあり、定期的に検査(Mammographyなど)をする必要がある。年齢と共に乳癌の発生する確率は高まるが、若年齢で発生した乳癌は活動的である傾向が存在する。乳癌の一種の炎症性乳癌 (Inflammatory Breast Cancer) は特に活動的で、若い女性に偏って発生し、初診時のステージがIIIbまたはIVであることが多い。この癌は他とは変わっていて、乳癌のしこりが無いこともしばしば見受けられ、マンモグラフィーや超音波検査で発見することが出来ない。乳腺炎 (Mastitis) のような乳房の炎症が症状として現れる。 浸潤性乳癌の殆どは腺癌 (adenocarcinoma) であり、その中で最も普通の亜型は浸潤性乳管癌 (infiltrating ductal carcinoma) である。他の亜型としては浸潤性小葉癌 (infiltrating lobular carcinoma) などがある。稀に、腺癌以外の癌腫(や、癌腫以外の悪性腫瘍)がみられる。 乳癌の病期(ステージ)は腫瘍のサイズ、リンパ節への浸潤の有無、癌細胞の遠隔転移で決まってくる。乳癌サブタイプの炎症性乳癌の場合、乳腺炎が発症していると、自動的にステージIIIbかIVに分類される。 乳癌の治療は原則的には外科療法であり、化学療法や放射線療法が併用されることも多い。以前はは、癌が広がらないように広範囲に腋窩リンパ節が廓清され、術後合併症として切除した側と同側の腕に、リンパ浮腫 (lymphedema) の発生がみられた。 近年ではセンチネルリンパ節生検 (sentinel lymph node biopsy) が普及しつつあり、リンパ節の廓清範囲が少なくなると、この術後合併症が減少する可能性がある。一方、2011年2月、「このようなリンパ節の切除を行っても、リンパ節郭清をしない群と比較し、早期の乳がんにおいては生存率が向上しない」との、研究報告が発表された。 (JAMA 2011;305[6]:569-575)

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