ここは、水都アンディーンでも最たる歴史と格式を誇る高級宿“水面の銀月亭”の一室。 一見の客は入れない王室御用達の天上貴賓室である。
現在、この部屋の主は、お忍びで訪れたアダマストルの第二王女だった。 ユイリーンの手配で、アルル=モア公国外務部から発行された滞在公認書と共に、半ば押しかけ状態で居座っているのだ。
「ふんふん~♪ タランランラン」
プルミエールは鼻歌を口ずさみながら、新品の下着を穿いて、衝立式の衣架から特注の衣装を手繰り寄せた―――紅と紫で縁取られた武闘着で、少女が纏うと、動きやすさを重視するように幼い肢体に密着する造りである。 続けて、大きな鈴が愛らしいお碗型の頭飾りを左右で結った髪束の根元に差して挟む。 最後に、竜の爪があしらわれた篭手と長靴を身に着けて、装着感を確かめるようにその場で軽く一回転する。
「うにゅ、ピッタリです♪」
満足気に頷いたプルミエールは、大窓に歩み寄り目下に広がる水都の街並みを睥睨しつつ、
「ついにこの日が来ましたです。 愚民どもめ、つかの間の平和を味わうがよいです。 にゃはははははははっ……」
何処ぞの魔王のような台詞を吐き捨てた。
「アホかー!!」
と、静観をぶち壊す怒号と共に、窓硝子を突き破った靴裏がプルミエールの顔面にめり込む。
「ぐぶはっ! ……なにやつ!? って、なんだミュクミュクですか。 まったく、ひとさわがせですね」
大袈裟にひっくり返ったプルミエールが、即座に飛び起きて身構える。 大窓から続く露台の上に、二つの人影が降り立っていた。 首長竜の捕獲から無事帰還したミュークとルムファムである。
「それはこっちの台詞じゃ! 待ち合わせの場所に一向に現れぬ故、こっちは一晩中、水都を探し回ったのじゃぞ。 運よく其方らしき人物がこの宿に出入りしている噂を耳にしたからよかったようなものを……」
ミュークが怒り心頭といった面持ちで声を荒げる。
おまけに、居場所を突き止めてからが更に問題だった。 不慣れな旅路と首長竜の一件で、衣服はボロボロ、体中傷だらけといった有様なので、宿に足を踏み入れるなり不審者と勘違いされて、一度は門前払いをされていたのだ。 その後は、通報でもされていたのか、宿に近づこうものなら警備兵に追い回される始末だった。
仕方なく宿の裏手から外壁をよじ登り、屋根沿いに忍び込んで今に至るわけである。
「むー、ワガママさんですね。 ちゃんとお舟は届けましたですよ」
「まぁ、その点に関してだけは褒めて使わす」
口振りから察するに、しっかり本大会への登録は済ませてきたようだ。 ミュークが渋々ながら怒りの矛先を収めると、
「土産だ」
ルムファムが満を持したように、一抱えはありそうな球体をプルミエールに差し出す。
「むむ、良き心得です。 ルムルムは親友に昇格です。 ところでコレはなんですか?」
プルミエールが蒼と黒の斑模様の円球をコツコツと指先で叩きながら訊ねる。
「タマゴだ」
「おいしいのですか?」
「きっと」
物騒なやり取りが、人族と屍族、ふたりの少女の間で交わされていた。
「これこれ、それは食する為に持ち帰ったのではない。 あのまま水巣に放置しても目覚めが悪い故、人道的配慮で持ち帰ったのじゃ。 大会が終われば親の首長竜共々、水巣に返すつもりじゃから余計な手出しをするではないぞ」
ミュークが慌てて会話に割ってはいる。 通常なら冗談と解釈するところだが、何処までも本気なふたり組みなので、予防線を張ったのかもしれない。 しかし、本来屍族とは傲慢かつ独善的な血族意識と、他種族に対して排他的な冷酷無比さを併せ持つ古種族であり、この一件からもミュークの変わり者振りが窺えた。 もっとも、当の本人は屍族であることに、一種の選民意識を抱いており、面と向かって矛盾点を指摘されたら、さぞ困惑することだろう。
「むっ、ケチケチですね」
「否、ミュークさまは道楽的散財主義者だ」
ルムファムがプルミエールの発言を即座に否定する。 ただし、弁護ではなく、ろくでなしの事実認定なので、守銭奴扱いされた方が幾分マシかもしれない。
「ゴホン、ワチキのことはどうでもよい。 それより、なぜこのような場所におる?」
ひとつ咳払いをしたミュークが、優雅で広々とした客室を見渡して話題を転換する。 水都を出立する時、残りの所持金の全てをレムリアに預けてはいたが、安宿に泊まるのが関の山な微々たるものであった。 どのような経緯で首都の一等地に店を構えるような高級宿に宿泊しているのか、疑問に思うのも当然である。
「うにゅ、ユイユイからお小遣いを貰ったのです♪」
「ユイユイ? それは其方の妹ユイリーン・リュズレイのことかや?」
プルミエールが渾名で指し示す人物に、ミュークも即座に思い至ったようだ。 だが、それは同時にプルミエールの行動が一部の人族に筒抜けである事実を示していた。 ミュークの目的を考えれば甚だ都合の悪い事態に陥ったといえるだろう。
「レムの奴め……あれほど注意して行動するようにと―――ん? そういえばレムの姿が見えぬがどうしたのじゃ?」
ミュークも最初は雑用でもこなしているのだろうと、大して気に留めていなかったのだが、一向に姿を現す気配がないレムリアを不審に思ったようである。
「レムレム……なつかしい名前です」
プルミエールはフッと遠い目をして、まるで昔話でもするように語りだした。
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数刻後―――
「というわけです。 おしい下僕をなくしたです」
プルミエールは少なくとも表面上は鎮痛な面持ちで瞑目していた。
「なるほどな、つまり、其方はレムの身柄を担保に小遣いを貰って、快適に過ごしていたわけじゃな」
ミュークはひょいとプルミエールの身体を持ち上げると、侵入に用いた荒縄の先端に少女の身体を括りつける。 露台の上に即席の人間振り子が出来上がった。
「はっ、油断したです」
プルミエールが慌てて逃れようとするが、少女の小さな身体は雁字搦めに縛られており後の祭りだった。
「さて、選択肢はふたつじゃ。 ここで日干しになって息絶えるか。 レムを取り戻す為にその身を削って尽力するか。 プルミエール嬢はどちらが好みかや?」
ミュークはこめかみをヒクヒクと痙攣させながら選択を迫る。
「ヒトの命はとってもとーときモノだと聞いたことがありますです」
「つまり?」
「プルの命のためにも、レムレムを悪の手先からとりもどすです」
ここでレムリアの命ではなく、真っ先に自分の命の保全に走る辺り、良くも悪くも馬鹿正直なのだろう。 もっとも、最初からこうなることは分かりそうなものなので、単純に馬鹿とも言える。
「そうと決まれば善は急げじゃ、レムリアの元に案内して―――」
「その必要はありません」
ミュークの言葉を凛と澄んだ声が打ち消す。 貴賓室の扉が開け放たれ、流麗な龍紋杖を突いた老女が現れる。 その背後にはまだ幼い銀髪の少女と、完全武装の兵士たちが立ち並び、両腕を拘束されたレムリアの姿があった。
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