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テーマ:障害児と生きる日常(4432)
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今までどれだけそう思ったことか・・・・・
ある朝目覚めたら、息子と普通に会話できるようになっていた・・・・ そんな日があればいいと。 優秀でなくていい、勉強できなくていい、わんぱくでいい、子育て大変でもいい、普通であれば普通に会話できて、お互いの意思疎通ができて、いつか大人になって親の元から独り立ちしていく将来がみえて、いつかお嫁さんが来て孫が生まれて、平凡な家族生活ができれば・・・それでいい。 そして、それはどのくらい叶うのだろう。 ひとつ、またひとつと夢をあきらめて、現実を見つめる毎日。 先日私と長男だけが平日に休みになった。 ずっと、約束していて仕事が忙しくて果たしていなかった映画「キングコング」を、ようやく2人で見に行ってきた。 平日なのと封切ってからずいぶんたつのとでどこもすいていてゆったりと見ることができた。 見終わってから、2人で中華料理店でランチ。 その後、本屋によって、ひさびさにのんびりとすごせた。 良い休日だった。 長男といると心が落ち着く。 癒しの子だと思う。 それは、彼がずっと子どものままだからなんだろう。 ほっとできる時間を作ってくれる。 でも、ずっとそうだったわけではない。 親でありながら自分の子がわからない。 何を思っているのか、何を求めているのか、心の中が見えない。 会話が成立しない。 こちらの気持ちが通じない。 何度も何度も同じことを繰り返し伝えようやく何とかわかってもらえても、時間がたつとまた同じことの切り返し。 いつも、相手のことはお構いなしに自分中心のことばかり。 相手に対する思いやりや気持ちのやりとりは不可能。 こちらがどんなにイライラしても疲れていても彼の生活リズムは変わらない。 決まった時間決まった生活の流れ、それがいつものように流れないとパニック、何をするのか歯車が狂い見失ってしまう。 「わかってよ!」時には大声で叫びたい。 でも、この気持ちは一緒にいながら届かない。 むなしさと先の見えない失望にさらに心が疲れる。 そんな日々だった。 私はちっともいい親じゃない。 いいかっこして、ありのままを受け止めて・・・なんて言ってるけど、10年先20年先30年先・・・・自分が年をとって誰かの力を借りないと自分も生活できないときが来たときにこの子はどうなるんだろう。 いくつになっても、やっぱり心は子どものままなんだろう。 いつか、親が先に逝ってこの子が残されたらどうやって生きていくんだろう。 時間が今のまま止まればいい。 この子がこのまま大人にならなければいい。 いつか、ある日目覚めたら普通の生活があって、ふつうの家族があって、家族が親子がいっぱい会話ができて・・・・ そして、現実に引き戻されて否定する。 いつか目覚めたら・・・・ いつか目覚めたら・・・・ って、思うのって私だけだろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年02月09日 02時32分56秒
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