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カテゴリ:びしびし本格推理
「さよならドビュッシー」から連なる中山七里の音楽ミステリーを読んだ。
○ストーリー 山の中に新設された岐阜県の加茂北高校には珍しく音楽科クラスがあった。たいした競争もなくのんびりと暮らしていた彼らの前に現れたのは,天才的なピアノの才能を持つ転校生・岬洋介だった。羨望と嫉妬,クラスメートから様々な気持ちを受けつつも,岬は天然の無頓着さを示す。そして音楽科だけが校内に残っていた日,豪雨により土砂崩れが起き,自分の身を省みず濁流を渡って助けを呼びに行ったのは岬だった。だが岬はヒーローとなるどころか,死体で発見されたクラスメートの容疑者となってしまう。岬洋介は,自分と周りの人を守るために,初めて事件の捜査を行うこととなる。それはやがて・・・ ----------- 数回に渡り岬洋介が弾く楽聖ベートーヴェンの作品の描写がある。まるで目の前にピアニストがいて,演奏をしているような,言葉の奔流と強弱をつけた表現に圧倒される。中山七里の作品はほぼ全部読んでいるが,やはり楽曲を描写していている部分に,いちばんこの人らしさを感じる。 「さよならドビュッシー」の世界に帰ってきたんだな,とじーんと感じることが出来るのは,文章で音楽の中に浸るという,独特の体験をした時だと思う。 中山七里は多くの魅力がある作家だと思うが,この才能は他の人にはない,稀有なものだと思う。 ----------- この作品は,プロローグとエピローグは現代であり,本編は10年前,岬洋介と〈僕〉が高校2年生だった頃の物語だ。いきなり「いつまでもショパン」のネタバレがあるのは感心しない。僕も含めて,必ずしもシリーズを順番に読むとは限りらないからだ。 さて,10年前に彼らが通った加茂北高校には音楽科クラスがあるとは言え,音大に進学することも危うい中途半端なレベルだった。そこに全国レベルの岬洋介が転校したことで,ぬるま湯のようだったクラスは一変する。 ・・・というところまでは納得が行った。音楽,芸術,スポーツと言った,努力も必要だが,一定数の天才が努力家を軽々と超えてしまう世界の残酷さは,悲しいけれど現実だ。けれども,それを地方とは言え,高校2年生が岬洋介の一回のピアノ演奏によって初めて気付く,というのは設定としておかしいだろう。 ----------- さらに物語がおかしくなるのは,才能の差を見せる事で現実を気付かせてしまった岬のことを,音楽科クラスのメンバーほとんどが恨み,いじめまでするようになるということだ。 中山七里の作品では,”その他”の登場人物がひじょうに偏った行動を採るパターンがあるが,今回もそれが顕著だった。 あるレベルまでは説明が付くのだけれど,どんどんとエスカレートするので,どうしてもストーリーの流れに合わせるための無理を感じてしまう。 このレベルの学校の生徒に,きついことを言ってへこませる棚橋教諭は性格が悪いと思う。 ----------- ミステリーとして考えた場合でも,この作品には複数の欠点があると思う。 容疑者として挙げられた岬洋介が,自分の潔白を晴らすために捜査を始めた,という最初の流れは良いのだが,もう数日でその行動は行き詰まりを見せる。 せっかくのミステリー部分は短くて,あまり奥行きの感じられない学校生活のギクシャクとした部分ばかりが語られる。 岬洋介と〈僕〉の捜査は,どれだけ意味があったのか,多いに疑問だ。ミステリーのところはまるで付け足しのような印象さえ受ける。 ----------- 岬洋介が陰りが無かった頃,そして発病した瞬間を描く,ということでは意義があるのかも知れない。けれども典型的な〈孤立した別荘〉パターンのミステリーなのに,それがほとんど活かされないのも残念だし,上に述べたように捜査の流れが無駄になっているのも残念だ。 せっかくの音楽ミステリーシリーズだし,楽聖ベートーヴェンの名前を題名に使っているのに,いろいろ物足りない。ぜひ,この続編の「もう一度ベートーヴェン」で汚名返上してもらいたい。 シリーズファンにはやはりオススメだ。読まない訳には行かないでしょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016.11.24 22:23:34
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