「宵山万華鏡」森見登美彦を読んだ
久々にモリミーこと森見登美彦のファンタジーを読んだ。○ストーリー京都の人々が珍しくも興奮を隠せない祗園祭りの前夜祭・宵山。いつもの通りは提灯でいろどられた不思議な世界へと変貌し,人々をまぼろしのような世界へと誘い込む。大切な人の手を離してはいけない。二度と会えなくなるかも知れないから。------------森見作品の魅力は,京都を舞台にしたレトロな雰囲気,ヘタレ学生の前時代的なヘナチョコぶり,あやかしへとつながる空気,そして独特のユーモアだと思う。だがその中に,「太陽の塔」「きつねの話」の2つは,より幻想文学的なカラーが強かった。個人的には,同じユーモアでも,ヘタレ学生系(ってなに?)よりも,「有頂天家族」が好みだ。けれども,決して幻想文学系な2作品もキライではない。なんとなく,森見登美彦が本当に書きたいのはこうした作品なのではないか?という気もするし。で,「宵山万華鏡」は,間違いなく幻想文学系の作品だ。これまでのその系統よりは親しみやすい語り口にはなっているが,それでもライトノベル的な入りやすさを期待すると,読み進めないかも知れない。------------祗園祭りの宵山については,20年以上前に京都出身の義姉に連れられて行った事がある。とてつもない人出で,それでも何軒もお祭りに合わせてお雛様など,お宝を展示してある町屋があった。たまたま義姉のおかげで一軒にお邪魔をすることができたが,独特の雰囲気に呑まれた記憶がある。この作品を読むと,作者も近い体験をしたのではないかと思ってしまう。1,000年の伝統に圧倒される,そんな記憶をもとに妄想すると,この作品が出来上がるような気もした。------------作品は短編集だが,6つの短編はひじょうに相互に関連しており,連鎖式の長編だとも言える。ただ残念なのは,1編目と6編目,2編目と3編目,4編目と5編目の3つのペアが構成されていて,もう1つ全体で大きな枠組みとなるまでは至らなかったことだ。またそれぞれのペアが,1つの物語の表と裏を描くだけに近い。裏を書きつつ後日談を語るなど,もう少し発展的な補完をしてもらいたかった。結局,6つの短編が収録されつつも,物語としては3つプラスアルファ,という印象で,だいぶこじんまりしている。もう少し,イマジネーションが広がって欲しかった。------------各編について簡単に述べる。「宵山姉妹」:バレエ教室の帰り,姉に誘われて宵山に出かけた私は,いつしか姉とはぐれてしまう。そこで体験した不思議な出来事とは?・・・短編としては見事の一言だ。最初こそ小学校三年生という主人公にとまどうが,その後は実際に宵山で迷子になっている気分になれる。「宵山金魚」:大学も就職も京都となった友人を訪ね,宵山を過ごす青年は,いつの間にか禁を犯し,宵山を守る妖怪たちに責め立てられる。・・・圧倒的なイマジネーションを楽しめる。こんな世界があったら?と思わずにはいられない。「宵山劇場」:京都を訪ねるという青年をだますだけのために,膨大な準備をする学生たち。舞台監督のムリな要求をかなえようと奔走する大道具係はいつしか・・・いきなり舞台裏の描写で少し落胆した。けれども長めの短編で,登場人物も多いし,いろいろ楽しめる。唯一ヘタレ学生的な世界が楽しめる短編でもある。「宵山回廊」:宵山祭りで行方不明となってしまった従妹を探して15年,ついに叔父は宵山に永遠に留まるすべを見つけたらしい。渡された万華鏡の中に千鶴が見たものとは?・・・うって変わって,静けさに満ちた短編だ。1編目の後日談かとも思ったが違うようだ。「宵山迷宮」:亡父の画廊を継いだ柳は,父が借りたお宝の影響で,何日も宵山を繰り返してた。祭りへの人々の様々な期待をみつめ,柳が出した結論とは?・・・百間(正しくは門構えに月)先生だ。4編目と似過ぎているのが残念。「宵山万華鏡」:妹と繰り出した宵山。ちょっとしたイタズラ心で妹を振り切った私は,妹を見失ったことに気付く。そして私は宵山様に出会うのだった。・・・1編目を反対側から描いた物語だ。単純な別サイドの物語で終わっているのが残念過ぎる。