地黒エステティシャンの「なんばしよっと?」

2005/11/10(木)12:07

エステ道 ひとすじ

過去の生業(3)

最近新人と言われるお笑いコンビが沢山でてきてますね。 その紹介でコンビを組んで13年とか聞くだけで尊敬に値します。 愛を誓い合って引っ付いた男と女でさえ数年で別れると言うのに 彼らはすごいと思うとです。 始めるのは簡単ですが、続けるのって大変ですよね。 私の場合、エステ道 一本ではなかとです。 エステの仕事にほとほと疲れて、男に頼る道を選んだ時期もありまして。 でも遊んでいると仕事を手伝っての手合いが多く、なんやかんや 変わった仕事(お手伝い)をしたとです。 何をやってもタダでは済む私ではない! 水槽の付いた1tトラックで北九州の魚市場にフグを仕入れに行った こともあります。 その後、和食屋の女将の話が来てやったけど8ヶ月で潰しました。 (習っていた着付けがこんな所で役に立った。) 建物リフォームの電話番や建設会社の事務所番なんかも短期間やりました。 この時は阿蘇に安くログハウスを建てました。 (男との別れとともに手放しましたが、今でもあるペンションの離れとして 使われています。) 旅行会社の手伝いもしました。 その頃行きたかった中国旅行のお客様を募ってちゃっかり自分も 行きました。謝謝。 英会話が習いたくて、全く話せないのに英会話教室の手伝いをしました。 外国人を使うのって超大変。これは挫折して、ものになりません。 それにこんな田舎で暮らしていたら『とっさの時の英会話』って 言っても、その『とっさ』が無い! その中で一番変わったものだと思うのが、 こんな回覧板の広告をもらう仕事です。(熊本県外に住んでいた時) 都会には無い習慣かもしれませんが、この地域では町や行政のお知らせは こんな回覧板にはさまれた書類が廻ってきます。 今でもこのお仕事はあるでしょうから詳細は語れませんが、短期の割りに 良いアルバイト収入になりました。 この時はロゴマークの事とか校正の事とか印刷関係の勉強になりましたね。 その頃、銀行の広告が認められてなくて、何も知らずに銀行に営業に 行ったら、そこの支店長さんに「こんな事も知らないのか」って 馬鹿にされました。(その銀行は今は破綻!) 当時は病院もロゴマークを作ってはいけないと聞いた事もあります。 『尻の暖まる暇の無い』と言われる程、それぞれの手伝いを長くは 続けていません。 やはり自分で選んだものでは無いからでしょう。 こんな事を書くと信用を無くしそうですが、でも、振り返るといろいろ 経験してきた事が少しづつ繋がって役に立って来ているような気がします。 実はまだまだありますので、また今度。

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