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テーマ:愛しき人へ(903)
カテゴリ:ひとりごと
私が2歳の時に父と母は離婚した。
母に引き取られ、母子家庭だったけど、年に2回は父のもとに遊びに行く生活で 父の新しい家庭にも受け入れてもらい、妹たちも従姉妹以上姉妹未満みたいな感じで仲が良かったし、義理の母にもかわいがってもらった。 私が東京の専門学校に通うことになった時、父の家に3年お世話になった。 家を建て替えるとき、私の部屋もつくってもらった。 そんな風にして私は、父の家族とも自然と仲良くなり、 今は主人が父の会社に転職するほどいい関係になった。 今月20日は父の古希 一足早く、今日古希祝を娘3人でお金を出し合って祝うことになり、 近所の料亭で食事会をしました。 お店だったので、りきkkぱぱさんのお酒で乾杯はできなかったけど、 孫が4人揃い、いいお祝いだったと思う。 あとは10歳下の妹が嫁に行けばもっとめでたいのに・・・(笑) (10年付き合っている彼がいるのに・・・今年あたり結婚か・・・それとも・・・・・) 離婚して絶対に父親にあわせないという人をよく聞くけど、 もし私の母がそんな選択をしていたら、 おそらく、まったく違う人生だったことと思います。 おそらく、東京に出てくることもなかっただろうし、 主人とも出合えなかったと思います。 また父の家庭が気持ちよく受け入れてくれていなければ、 主人も父の会社に転職はしなかったと思います。 家だって建てる事が出来なかったんじゃないかなぁ・・・・・ 私を父のもとに行かせるきっかけは、別れ際に父が言った 「俺は子どもの犠牲にはなりたくない」という言葉。 それに頭に来た母が、私を意地でも面倒見させてやるといったことがきっかけだったらしいけど、 でも、きっかけはどうであれ、私は両方の親に愛されたし、邪魔者にはされなかった。 そして、母が離婚するきっかけを作った義理の母もまた、私をかわいがってくれた。 そして今も変わらず、かわいがってくれていること。 今ある私の境遇を想うと、 父に母に義理の母に感謝しないといけませんよね・・・・。 こう思うと、人生って面白いなぁ・・・と想います。 父の古希の祝いの席で、ふとそう思うのでした。 お父さん、ありがとう。長生きしてね・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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