2021/12/02(木)14:55
むかしむかしのこと
陳氏太極拳養芯会!
養芯会は!
陳氏太極拳第十一代傳人、わたくし塚本さんが陳氏太極拳を指導する団体なのです
現在、養芯会は上海・東京・大阪・山梨・福島・ロンドンに支部があります。これらは私が直接教えている教室。陳氏太極拳の先生を養成する教室です。
そして!!!今年から各地に私や長老達からの指導を受けたコーチ達が運営する教室が開催されました!!
武術系では村岡カンフークラブと南大沢ほんのり武術会。村岡カンフークラブは女性と子供に向けてカンフーで身体を鍛えましょう、南大沢は太極拳歴10年の先生が陳氏太極拳で武術っぽく運動しましょう、と言うコースです。更に、山梨河口湖付近でも教室がスタートしました。イギリスロンドン支部では私と同じ方法で国際高校の教員をしている先生が陳氏太極拳を指導しています。面白トークと確かな技術の横浜中華街宝玉整体院が横浜中華街班を準備中。その他に、グループとしてメンタルヘルスの先生がいます!
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はい!
昔話です。私の。
真ん中で寝てるの、私です。
私はスキルス性胃癌レベル4と言うのに28才で羅漢仁王拳。3年以内生存率5%だったそうです。あちゃ~。
胃の4/5を切除。抗がん剤の投薬・投与があったのですが、自己責任で一月で辞めました。だって、胃が無い上に抗がん剤の悪心で食事がとれないんだもん。そんでもって、漢方の勉強を大急ぎでして、更に身体にイイと聞いた太極拳を始めたの。公民館で二十四式・四十八式・八段錦・剣。
これは効かない。
と早々感じました。こう受けてこう撃つ・・・・と説明を受けましたが、絶対無理だと思いました。こうすると気が巡る、等の説明を受けましたが身体にイイと言う実感もあまりなかった。練習中にひたすら眠くなった。ただ、他に運動のしようがなかったので、それから約一年通いました。ちなみに、二十四式は二回目の授業で憶えきった。毎日練習しましたよ。でも、「血行が良くなる」に至らない。とは言え、体力が落ちまくっていたので、黙々と練習していました。あ、あとはサルサを始めました。
・・・・・・縁あって、と言うか半分騙されて中国洛陽の外人教師として赴任した時、どうせだったら本場の太極拳、「陳氏太極拳」を習ってみよう!と思ったのです。いろいろ訪ねてみたところ、どこもかしこも「公民館」と大して変わらない。最後に辿り着いたのは殆どあきらめていた頃に同僚の紹介で色んな武術教室の顧問(名前貸し)をしていた鄭先生の所を訪ねたのです。後の私の師父。その時は奥様(後の沈師娘)がワンワン二匹とお留守番していて。翌日から練習開始になったのですが・・・・・
指導も練習もめちゃめちゃキツイ、それが最初の印象でした。病人だろうが沈老師はヨウシャナイ。指導の時間は2~3時間。といっても、30秒くらいの一つの動作をひたすら動いて。もう、指導終了時には汗だくだくです。当時はもう初冬だったと思います。身体が弱っていた私に、内陸の寒さは厳しく骨身にしみました。今ではへっちゃらですけど。
「家で2時間は練習する様に」
これが毎日です。
その後、鄭老師が出張授業先から帰還して、私を指導する事になるのですが、もっと厳しくなった。更に、呉師兄とピエール氏兄が加わった頃には「昨日何時間練習した?」が挨拶の枕詞になった。
更に、大体の動きを教えて貰った後、ほとんど調整なしにヒタスラ動いて負荷をかけていきます。でも、カロリー摂取が限られている分、回復も成長も明らかに遅いので、何度も腰を痛めました。もう、ギックリ腰で腰が湾曲して日常生活にも支障が。
でも、沈老師も鄭老師も
「よし、練習だ」
こんなかんじ。
今、同じ事が出来るかと考えると、 無理!!!
当時は仕事以外の時間は全くする事が無いし、地方都市では外人向けの娯楽は無いし(あっても行かないけど)、夜に当時の洛陽を外人が単独でうろつくのはあまり良くない。
良い環境であったと思います。
起きる、練習する、仕事場に行く(学校の先生でした)、朝ご飯、練習、仕事場に行く、授業、練習する、お昼、仕事場に行く、授業、先生の家で練習、先生の家でご飯、寮に帰って仕事、練習、寝る。
大体こんな感じ。
すごく充実した練習の文字。でも、胃袋が無いので、練習しても中々体力がつかない。
手術前まで体重が64kg、何やっても痩せなかったのに、みるみる落ちていきました。最後にはかった時に38kg。これ以上計ると気が滅入ると思いました。手術後1年半、陳氏太極拳修行開始から2か月目の事。
ほんで、このままじゃヤバイ!
と思って、体重を計るのを辞めたのです。追われるダチョウが穴に首を突っ込んで敵がいないと念じるように。
64kgの頃は胸囲105、胴回り73。 28歳 杭州西湖
38kgの頃は不明。31歳 場所は万里の長城
あれから20年。
現在、56kg、胸囲94、胴回り80
でも、お腹は出てないぜ!! ちなみに、49歳です。
今、私を見て「癌だった」と認識で来る人はいないと思う。
ここまでがプロローグなの。
次回からは如何に身体を作っていったか!
ではなく、
洛陽や上海で何を食べて、若しくはどの様に食べて生きて来たか
です。平たく言うと、庶民グルメと食事プレッシャーの事なんですけどね。
次回は
喰え、喰うんだ塚本、明日の為に!!!