2008/07/11(金)14:08
学校英語の弊害
もっちんは、学生時代、英語はおもしろいぐらい落ちこぼれでした。
そんな人間が「学校英語の弊害」という話題について何か語ろうなんて、ちゃんちゃらおかしいです(>m<)。
でも、もっちん、英語の成績は悪かったんですが、実は、全般的にはかなり真面目な生徒でした。いや、「かなり」じゃないな。「くそ」真面目な生徒でした (^^;;)。
英語がいくらわからなくても、「もう英語は捨~てた。」なんて思わず、定期テストの前にはいつも全力投球で勉強してました(けなげなやつ。てか、はっきり言ってバランス感覚の欠如したバカですね(--))。
日々課される英文和訳の宿題では、せっせと片っ端から辞書を引いて、毎日、毎日、どの日本人が読んでも決して意味が取れないような珍文でノートを埋め尽くしていました。6年間、律儀によく続けたもんです。
(今から思えば、「その訳文を読んで、『こんなことしてても意味ない』って、いい加減気づけよ!」って感じです。(--))。
当然、英語の先生から教えられた意味不明な決まりごとも真面目に信じて、真面目に覚えようと努力しました。
特にもっちんのドツボなところは、「学校でしか英語を勉強しなかった」ということです。ラジオの基礎英語なんて(中1の4月に1回しか)聞いたことがないし、書店で洋書どころか、英語のハウツー本すら買ったことがありませんでした(学参は買ってましたよ。真面目でしたから)。
こんなもっちん、ちゃんと学校英語をマスターできなかったにも関わらず、大人になって英語を使うようになってから、学校英語の弊害をびしばし感じます。
まず、いつだか掲示板に書きましたが、
"I'm finished."(終わったよ。)
と初めて聞いたときです。びっくりしました。ネイティブなら誰でも使うフレーズなのに、もっちんは、
「その英語、間違ってるやん!」
と自信満々で思いました。「"I've finished." でしょう!」って。(英語苦手だったくせに、その自信はなに? >m<)
もっと笑えたのは、同じ意味の
"I'm done."
を初めて聞いた瞬間。
「え? 誰にやられたん?(・O・)」
と、素で思いました (爆)。受け身形にしか思えなかったんですよね。
こういうのは瞬間的に思うことであって、もっちんだって、数秒ほど固まってれば本当の意味に辿りつくんですよ。でも、心の中で思ってしまったことに、自分でつくづくがっかりします。
他には、あずがまだ赤ちゃんだった頃、うちにはプレイアロングのお日さまのおもちゃが、追加購入していて2つありました。その片方を、もっちんがあずに渡そうとしたときのセリフです。
"Here is a sun."
自分でこう言った瞬間、背中がザワザワッとして背筋が寒くなりました。なぜって、
「sun って世界中に1つしかなかったんだよね。だから、the つけないといけないんだよね?」
と思ってしまったからです。心の中で、
「大丈夫! ここには、お日さまのおもちゃはちゃ~んと2つあるじゃん!」
と自分に言い聞かせても、目の前にあるおもちゃを世界に1つしかない太陽の象徴として扱うべきなのか(なんでやねん)、それとも単なるおもちゃを指す単語として扱ってしまっていいのか、どうしても確信が持てません。
(結局、それからかなり経ってから、いくら考えても不安が拭い去れずに、あずの先生に "Here is a sun." と言ってもいいことを確認しました。^^;)
こんな調子なので、もちろん、
"play a piano."
なんて聞いたら、心がざわざわしまくります。「楽器には the をつけなきゃいけない」と理由も知らされずに(いや、知らされてたかも)習って、a を付けたらテストでバツをくらってましたから。
とにかく、
学校英語は、禁止事項が多すぎ!
こんなことしなくても、a と the の違いだけちゃんと説明してくれればよかったのに。そうすれば、空にある太陽を "a sun" なんてすること、絶対ありませんから。
「太陽はこの世に1つしかないから、the をつけなきゃいけない」という説明は、もちろん、間違いではないんですよ。でも、どう考えたってあまりに繰り返して強調し過ぎで、教え方のバランスが取れてません。
そもそも、もっちんがいまだもって不思議なのは、"There is (are) ~" の教え方です。
「なんであれだけ特別扱いだったんだ?」
と、ひたすら不思議です。どうして、"Here is ~." とか "On the table was ~." は教えてもらえなかったんでしょう。
あれだけ偏った教え方されたら、学校でしか英語に触れてない生徒(=私)には、「"On the table was ~." という英語はこの世に存在しません。」と言われてるも同然です(--)。
それに、今のド田舎の公立中学校で、和文英訳のテストで「○○が1つあります。」なんて問題が出て、答案に "Here is a ~." って書いたら、学校の先生はどんな風に採点してくれるんでしょう。
ちゃんと丸つけてくれるのかなあ?(不安)
そんなこんなを考えると、もっちんは、ゆーに英語を始めた頃、「どうやって学校英語を避けたらいいんだろう」と真剣に考えていました。
「授業は聞くな! 赤点でも気にするな!」
って言おうかな?
これ、本気で思ってました (^^;)。
そもそも、もっちんは、自分が学校の英語は落ちこぼれだったのに、大人になってから英会話学校でネイティブに英語だけで英語を習って、全然問題なく英語力が上がっていったので、余計に「学校英語って、いったいなんなのよ?(-m-)」とか思ってたかもしれません。
要は、学生時代の成績が悪くても、大人になったときに使える英語が身についてたらいいんですよね。結果オーライ!
そう思う一方で、「そんなことして、それ(英語の成績)が原因で、ゆーが行きたい大学に行けないとかなったら? 絶対ゆーに恨まれるよね(><)」とも、ちらっと思いました。
そうこうするうちに、英語育児を始めてしばらくすると、ちゃんと英語をマスターしたっぽい先輩ママのお子さん達が次々と中学に入学し始めました。
あまり話を聞かせてもらえる機会もないんですが、でも、どうも皆、な~んの問題もなさそうです。
ふ~ん、大丈夫なんだ?(・・)
とはいえ、どうして大丈夫なのかが皆目見当がつかないもっちん、ちょっぴり安心しつつもすっきりしないまま、この問題は保留事項にしてありました。
それが、ゆーが小3になった頃だったでしょうか。あることに気づきました。
それは、
大きくなった子供は、意外と器用で柔軟だ
ということです。
こう思ったのは、ゆーの学校で習った漢字に対する対応を見たからです。
学校に提出する作文を見せてもらっていたとき、もっちんが「あれ? これ、漢字にしないの?」と聞いたら、ゆーが「これはまだ習ってない漢字だから、使っちゃいけないんだ。他の子が読めなかったら、困るでしょう。」と答えたんです。
ゆーはたくさん本を読む子なので、当時、すでにたくさん漢字を知っていました。そして、自宅でお楽しみで作るお話なんかには、習ってない漢字もちらほら入っていました。
それでも、学校に提出する作文では、律儀に習った漢字しか使ってなかったみたいなんです。
つまり、漢字を覚えているだけじゃなく、どの漢字とどの漢字を習ったか(だから、どの漢字は習っていないのか)までちゃんと覚えてられたってことですよね。
そっかあ、大きい子供って、そんな器用なことができるんだ~(・・)。
それで思いました。
じゃ、学校英語も同じだな! (^-^)
って。
そう思うと、別に学校でいくら窮屈な英語を押し付けられたからって、自然な英語が使えなくなるわけではないと思えるようになりました(もちろん、普段触れている自然な英語との比率によるでしょうけど)。
考えてみれば、日本語だって、学校で文法の授業があって、たとえば格助詞を習って、そのテストでは必ず格助詞を入れた答案を作らなきゃいけなかったからって、その影響で会話で格助詞を抜くことができなくなるなんてわけないですもんね。(^^;)
もっちんが、あんなに学校英語の弊害を実感しなければならなかったのは、学習し始めの10年間ほど、文法から入った学校英語しか知らなかったからなんですね。(..;)
それに、最近ひしひしと感じるのは、ゆーの英語、「語彙の面では、学校英語に相当お世話になりそうだな~」ということです。
中学はさておき、高校にもなったら、学校で習う単語を全部自宅で導入してあげられるとは思えないので、やっぱり学校英語にはちゃんとお世話になった方がいいと素直に思うようになりました。
「授業は聞くな」なんて、現実から目を背けてちゃいけませんね (^^;)。
こんな感じで、最近のもっちん、以前よりはずっと学校英語に対して前向きに思ってます。
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