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rainywoods2001

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2008.07.10
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大森荘蔵の本を読むのは今でも楽しい。
既存の哲学について解説、ではなく じかに哲学するという作業の面白さは
大森さんではじめて知った。彼の仕事の全体像の入門。
アフォーダンスなんかもとっくに先取りしていたことがわかる。
 
私が今、見ている風景は脳が生み出した幻影、
というような脳科学的言い方には 大森荘蔵が生きていたら猛反対するだろう。
脳科学的描写と日常的描写をごっちゃにしたこのような言い方は
またぞろ二元論を復活させるだけと。
デカルトの欺く神を脳におきかえただけではないかと。
彼の一元論は 唯心でも唯物でもなく 形而上学・科学の双方に汚染されない
日常のリアルな経験世界、「立ち現れ一元論」のとりもどし作業といっていいと思う。
しばし大森哲学が独我論的と非難めいた口調で紹介されるのは
彼が己の生の現場に立ち戻り こだわるからである。 
結局 主観的世界というものは唯一の一人称経験世界。この説明のために
この一人称的世界を否定的に扱う 学的な三人称的説明をひきいれてしまう
ことによって世界はゆがんでくる。だんだん一人称的世界は本当の世界ではない幻
というふうになってくるのであろう。こういう普遍化に逆流するように
言葉をつかうということは なかなかたいへんなことだ。
だから 何度読んでも 大森哲学はおもしろいのだろう。


脳科学のほうにあるクオリア問題も 脳科学描写と主観世界を因果関係で
むすぼうとするときにあらわれる困難なのだろうが
大森の提唱する科学などの三人称的説明のいなしかたは 「重ね描き」 と
呼ばれる。今、見ている風景を日常描写でなく 脳科学的描写で描くこともできるが
両者を因果関係で結ぼうとするからいけない。単に2つの描き方なのである。
脳はこの風景を生み出したりはしないのである。





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Last updated  2008.07.22 00:12:01
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