カテゴリ:本 ノンフィクション
時間という見えないものを人はどうとらえているのだろうか、
見てないけれど、アカデミー賞をとった2008年に加藤久仁生監督の短編アニメーションは こういうものらしい。レンタルもはじまっているらしいです。 海面が上昇したことで水没しつつある街に一人残り、まるで「積木」を積んだかのような家に暮らしている老人がいた。彼は海面が上昇するたびに、上へ上へと家を建て増しすることで難をしのぎつつも穏やかに暮らしていた。ある日、彼はお気に入りのパイプを海中へと落としてしまう。パイプを拾うために彼はダイビングスーツを着込んで海の中へと潜っていくが、その内に彼はかつて共に暮らしていた家族との思い出を回想していく。・・・・ 時間軸を垂直にあらわすと そんな絵になるわけだなー、と感心しました。 地層とか積雪とか お風呂に水をためていくのも こんなかんじ。 時間軸って ふつう 水平にイメージしません?旅や移動のイメージで。 通り過ぎたところ これから行くところ という風に 過去と未来を メタファーとして捕らえるのが水平時間軸。 この垂直時間軸をもつ つみきのいえ、のメタファーでは 水平時間軸、移動のメタファーだけでは とらえられなかった事が いくつも 表せていそうだ。 勝手に上昇する海面=客観時間としての現在 家を建て増しすること=主体的行為、客観時間についていく主観的時間の現在。 という異なる現在があらわせている。 この家の建て増しをさぼると 海面に呑み込まれてしまう すなわち 永遠に過去の人になってしまう 死んでしまうのでしょう。 過去。水没したとはいえ 積み木の家の土台もそこにある。 過去あっての現在。過去はとおりすぎるだけじゃない。 潜水という回想もあるし。 未来。海面のちょっとだけ上にでている家もおもしろい。 基本的な生活は 海面=客観時間としての現在と同レベルにあるわけではない。 ちょっとだけ 未来につきでている家が生活の場所というのが いいでは ないですか。客観的にみれば無である未来という夢の中に生きている。 もし 上昇する海面=客観時間としての現在をしか 人が生きられなかったら それは いつも今、という永遠の今にのみ生きていることになるのだろう。 だが そうではないのだね。 しかし なんで海面は上昇するのですかね。空気中の水蒸気が雨になって なんだろうな。 未来がやってくると過去がふえてく。まだない無と もうない無の交替 その間にかろうじて 客観的な現在がある・・。あるといっても 海面のようなものだから それ自体は「ある」といえるのか? いや なんとも不思議な世界に 住んでいるものです。われわれは。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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