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rainywoods2001

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2009.08.03
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いったん戦争関連の本を漁りだしたら とめどもなく
読み続けなければいけないような気になってくるのだ。
 
なにしろ 日本人は一億玉砕、全滅寸前だったのだし
わしらも その生き残りの子孫なのである。
沖縄戦での集団自決が よく話題になるけれど
うちの実家の九州の山の中の町でも
鬼畜米英が上陸してきたらどんな目にあうかわからないから
女子供は裏山に集まって毒を飲むことに
なっていたそうなんである。そんなもんだと
さしたる悲壮な覚悟も無く 思っていたそうである。

軍の直接の命令などではなく 世の中全体、それが当然という雰囲気。
むろん国家の教育・宣伝・誘導などもあったわけだけど、
それだけではないところが恐ろしい。
いつのまにかできあがってしまった空気なのだろう。

もとはといえば 捕虜になってはいかんという考え方で国際法を無視した
戦争をはじめてしまったことも ひどい戦争の一因かもしれない。
敵の捕虜もどう扱っていいか わからない。
すでに上海事変のころ、捕虜になったのではないかと報道された指揮官の
実家には非難が殺到、石も投げ込まれたそうだ。
下からのそういう民意もあるから 国の指導も可能だったのだろう。
 
 
太平洋戦争中の日本兵捕虜というのは 日本社会では抹殺されたのも同然。
赤十字社を通じて 日本政府に生存を伝えても 政府は実家に知らせることは
もちろんなかった。そのような日本兵捕虜は万一捕虜になったらという
教育をまったくうけていないため孤立無援。
簡単に、米軍にとっての貴重な情報源になったそうだ。
捕虜にならない思想は徹底抗戦で米軍の侵攻をおくらせたかもしれないが
それ以上に捕虜からの情報で侵攻がスムースにいったとのこと。


参考、 

「沖縄戦強制された「集団自決」 」 
「沖縄戦「集団自決」の謎と真実」 
「戦陣訓の呪縛-捕虜たちの太平洋戦争 」
「〈玉砕〉の軍隊、〈生還〉の軍隊-日米兵士が見た太平洋戦争 」 
 
考えてみると アメリカで 敵国の捕虜になっていた帰還兵が
勲章をもらったり その履歴を誇りにして大統領候補になりえたりする、
ということが 現代の日本人にとってさえ
なんだか いまいち 納得できない考え方ではないのだろうか。
 
これは日本軍というものが もともと民兵・志願兵から発展して
できあがったものではなかったからだろう。
戦う意味が 単にお上の命令と世間の空気のなかにしかない。
自分に血肉化した思想で あくまで生き抜くために戦うという
発想がない。
おかげて いったん降伏、占領されると 日本人全員も捕虜のようなもの。
進駐軍へのテロなんて皆無、
あっさり戦争放棄。ま、そのおかげで生きているわけだけど。
 
実家の近くには 米兵の捕虜収容所があり 終戦後しばらく彼らは
収容所の外をうろうろ。うちの実家にも遊びに来て
ポテトフライなんかをつくってやると 大喜びしてたそうである。
一億玉砕も 鬼畜米英も あっというまに 頭から消え去ったそうな。
まったくよー なんだったんろうね あの戦争は。ピース!





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Last updated  2009.08.03 21:02:28
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