”夢みる里に雪がふる”滅びて流残の時歩む日々

2016/01/05(火)14:05

無神論?不信論?

新春に祈る事は、もはや何もない。ただ、無意味な争いで、子供や母親が嘆くのは目にしたくない。宗派の争いでの殺し合いほど馬鹿げたものはない。アラーの神の悪口を言えば、殺人リスト入り。ムハンマドを誹謗する者も、 おなじ。大天使ガブリエルが現れたと言うが、1度だけと言うのはおかしい。アラーの神の言葉を聞いたのが、ムハンマド1人と言うのもおかしい。アラーはどのような姿なのであろうか?物体なのか、それとも生命体なのか、何処に存在するのか。創価学会も世襲制度を取ったらしいが、博正氏にそのような力はあるのか?谷川佳樹が補佐するようだが、創価学会は何を信じるのだろうか?この団体も一切の疑問、不審を受け付けない、一神教と似た体質である。イスラムの信徒に問いたい。アラーやムハンマドの悪口、非難を言えば、殺人は正当化されるのか?聖戦とは如何なる意味なのだろうか?かっての日本の一向一揆の様なものなのだろうか?聖職者たちがふんぞり返って、国家を牛耳る事に合理性はあるのか?聖職者自身が自爆すべきと思うが、一例もないのはなぜか?死んだら天国に行ける(一向宗徒も)信じていたが、それが正しいのなら生きている意味は無くなると思うのだが?この様な矛盾だらけの、悲哀に満ちた貧富、差別社会には早々にグッバイして天国に、みんな行こうと思うし、実行するだろう。地上でイスラム教を信じてる所ではあるまい。結論として、人はみな地上から消え去って、モスクでコーランが埃を被って風化するまでの長い沈黙にふけるだろう。 

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