212999 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

Piano On My Life

Piano On My Life

提供作品解説その4

提供作品解説その4
→提供作品解説その5はこちらへジャンプ



すんごい久しぶりの更新。けっこう時間かかんのよねぇ。このコーナー書くの。。。めんどくさがり屋ですんません。

「MY LIFE」ひふみかおり(バンダイミュージックエンタテイメント)(アルバム)
作曲:渡辺 未来


ひふみアルバム

いまや、売れっ子作曲家になった渡辺未来さんとの初コラボレーションです。これは、かおりさんのデビューアルバム「WILD MILD ENERGY」の中でご本人と共作になった曲。結構この頃は自分でもイケイケで、曲はいつも99%コンペ(オーディションみたいな事)だったんですけどもう、何パターンも書いて担当ディレクターに出してた記憶があります。これは、最終まで残った時、池袋の純喫茶「伯爵」(北口にあるんだよ)で、あの頃モバイルPCとかもまだ一般的じゃなかったんで、手書きで紙にガリガリとコーヒー飲みのみ書いた記憶が。ええと、オウム真理教の話題が全盛だったよーな頃だった気がするんだけど、席に隣にあの上祐サンのファン???みたいな怪しい二人組が、「今日の講演よかったよね~~(うっとり)」と話していて、エラい驚愕した記憶もアリ。あの当時あの人の追っかけとかいたんだよね確か。伯爵の客層の深さを感じたヒトこま(汗)肝心の歌詞の内容は、プータローでも元気でいようぜ、みたいな歌詞。かおりサンはなかなか作詞の上手なキュートなシンガーでした。

「SWEET」ROMI(バンダイミュージックエンタテイメント)(シングル)
作曲:
松本理恵
作詞:ROMI


写真資料がないだよ。ええと、ワタシのもしかして最初で最後の作曲の仕事だす。作曲のコンペというのは、正直作詞より競争率がすんごおおい高い世界で、元々コード進行の複雑な曲ばっか描くワタシは、シンガーソングライターやってた頃の作品でプロには成れたけど、それを人に提供するチャンスがなかなかなかったのです。で・・・この作品時期のエピソードは大変にヘヴィ。1997年だったんですが、ワタシがブログでさいさん書いてる「鬱病」が本格的に体を蝕んだ最悪の年に、念願の作曲シングルのデビューを飾ったのです。まだ、ブログ上でこの原因を詳しくは書いてないけど非常に長ーーーい話になるので書くのを遠慮してるところもあり。まあ、かいつまんで言うと、ワタシの創作のインスピレーションになっていたある男性と、それまで仲間と信じてきた音楽連中(専門学校だったんだけど)それらに一気に裏切られたこと。ワタシが当時、もう諦めの態度を通したんで今でも理由ははっきりしないけど、まあ、ネタみ、ソネみ、の世界ですわな。今でも、音楽を通してだと対相手と話すると敵対的か、友好的か、話し方相手の目でわかるようになってしまいました。
アマチュアで今、希望いっぱいに音楽を目指している人に言いたいのは、ものつくりでプロフッショナルを望んでいるなら、親友恋人とかって「違うジャンル」の人にした方が絶対無難。そーいう風に出来ない人って多いと思うし、ワタシも若いウチは音楽が染み込んでる人しか周りにおかない傾向があったんだけど、なんたって自意識過剰、変人、精神不安定が作る上でのっかてくる世界だからね。逆に、それがないと嘘っぽい気がする。しかし、仲間は集まると思うけど、友人として確実に成立するかは問題あり。みんな、寂しがりやだったりするから、「つるむ」傾向あるからね。それを「友情、愛情」と勘違いしないでほしい、といいますか。。。まあ、ものつくりの世界でなくても有る話かもしれないけど。

肝心の作品の話です。ディレクターからは、スウィングアウトシスターの「あなたにいてほしい(邦題)」をモチーフに、という希望があり、あまりのメロディラインの美しさにノックアウトされて、自分では実力以上の模倣作品に仕上げることが出来ました。ウツの症状で苦しかったけど、ネガティブな地底から創作の血が湧き出てくる皮肉もこの年には経験しましたです。
この時、歌詞もオファーありましたがあまりの精神不安定でコトバがまったく出来なかったので、ROMIが何も言ってないのにまるで心情を透かして見たかのようなコトバで書いてきた時は、ひとり部屋で泣きました。

忘れられない1作ですが、今もこの作品を思うと胸が潰れます。でも売れなかったっす。ほんとにいいシンガーだったのに。

ダンナが帰ってきました。また、編集更新しまっす!



© Rakuten Group, Inc.