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日本のサッカー界といえば,皆様はどの選手が印象に残っているのでしょうか。
最近のJリーグの選手は個性的な選手がよくいるといいます。 けれども,私が知っている限りでは,東京~メキシコ五輪の頃の”超個性派集団”のことが眼 に浮かんでしまいます。 1.東京五輪での活躍 アマチェア(11968年ごろまでで,今では死語になりましたが)中心のメンバー同志の戦 いでしたが。予選リーグで,今の会長の川渕選手(古河電工)が決勝ゴールを上げ,アルゼン チンを3-2で破り,大金星を挙げました。 2.パルメイラス戦 翌年の駒沢競技場でのブラジルのプロリーグのパルメイラスとの試合を観戦し,個人技に勝る 彼らとの競り合いで,渡辺選手(八幡製鉄)のゴール前出の競り合いによる先制ゴールで静け さが,一気に破られました。 当時のピッチは,冬の芝が枯れ,凸凹な表面で,お世辞にも良いコンディションでありません でした。それでも,L-WINGの小柄ながら杉山隆一選手(三菱重工)の巧みで素早いドリ ブルで華麗に突破してくれました。 もちろん,釜本邦茂選手(早稲田大~ヤンマー)のG前のシュートも欠かせませんでした。 中盤の八重樫茂生選手(古河電工),小城得達選手(中大~東洋工業),宮本輝紀選手(八幡 製鉄),守備では豪快なロングシュートとタックルで有名な宮本征勝選手(古河電工),富澤 清司選手(八幡製鉄),山口芳忠選手(日立),鎌田光夫選手(古河電工),GKが横山謙三 (三菱重工)という布陣で臨みました。 3.監督,コーチ陣 当時~メキシコ五輪の監督 長沼健(古河電工),コーチ デットマール・クラマー,岡野俊 一郎の各氏が担当していました。 合宿は,千葉県の検見川の東大総合運動場(五輪では近代5種競技の断郊レースの会場)の芝 生のグラウンドがあてられ,クラマー氏による熱血指導振りが画面でも紹介されました。 そのうち,クラマー氏が実際に見せた,ドリブルで足をたくみに挟みこみ,ボールを走りなが ら浮かして抜いていく動作が眼を引きました。 岡野コーチがよく言っていた「 アンティシペーション 」が大事だと(先のプレーを予見し ていくこと)いうことも印象に残っています。 4.メキシコ五輪での大活躍 ご承知の通り,メキシコ五輪では,このような強力メンバーで臨み,見事に銅メダルを獲得し ました。 予選リーグでは1勝1分でむかえたブラジル戦では作戦通り,0-0の引き分けで終了し,ベ スト8では,強敵フランスを釜本選手のゴールで押し切りました。 準決勝では,優勝候補のポーランドに完敗しましたが,3位決定戦ではまたも釜本選手の巧み な脚捌きと,突破力でゴールし,地元メキシコに2-0で完勝しました。 このときの,メキシコの観衆は,PKをはずしてしまうチームのふがいなさに,ブーイングの 嵐で,ハポン ハポンとの応援に変ってしまい,グラウンド上もごみの山になるほどの混乱振 りでした。 5.終わりに それにしても,試合終了の合図での各選手の誇らしげな顔,それを出迎える監督,コーチなど のスタッフの何時にないはればれとした顔が,今も脳裏に焼きついています。 この当時の個性のある集団は,1993年のJリーグ発足までの日本リーグを開拓しました。 また,1993年のJリーグ発足の立役者として,川渕氏がチェアマン~(現在は協会会長) 長沼氏が名誉会長,岡野氏がIOC委員,釜本氏は副会長など各選手がJリーグなどで活躍し ています。 ここで,活躍したことが,後の選手のモチベーションを高めることにつながり,多くの有力選 手が海外でも活躍の道を切り開くことにも影響を与えています。 今後も,若い選手が「 俺たちもメキシコ五輪の選手のようにできるんだ 」というイメージ でこれからのサッカー界を盛り上げていって欲しいものです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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