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カテゴリ:陸上競技
高橋尚子選手 絶好調時の高橋尚子選手 今年は,北京五輪の開催年でしたので,これを区切りに陸上競技界でも惜しまれつつ現役を退 いた選手が数多くおられます。 1)高橋尚子選手 ---- 2000シドニーの女子マラソン優勝,女子マラソンで初の2.2 0’突破者( 当時は世界最高記録 ) 彼女は,3月の名古屋のレースがラストランになりました。 私は瑞穂競技場へとよほど「 これが最後なんだ 」と思い,日帰りで行こうとしましたくら いでした。 今まで,マラソンのレースは観戦したことがなく,こんな気持ちになったのは,最初で最後で した。 昨日の揖斐川でのマラソンでスターターと10kmの部の応援での軽い走りが役割だったの ですが。 走れという幻の声が彼女を誘い,マラソンを走り,その後は応援とサービス精神旺盛なQちゃ んでした。 現役を引退すると,なぜかさびしいイメージを与えるのですが,かえって今までの縛られた競 争生活から解放されて良い面ばかりが目立ちます。 これもQちゃんの賜物でしょうか。今後もこのような招待レースやイベントがふんだんにあり そうです。 以後に,高橋選手の超明るい表情と際限のない笑顔が観られそうなので,関東近辺なら是非訪 問したいものです。 喜びを大きく表わす朝原選手 2)朝原宣治選手 ---- 元100m日本記録保持者,2008北京五輪4×100mリレー 3位入賞。 朝原選手は,ご存知の通り,夫人が元シンクロナイズドスイミングの銅メダリストの( 奥 野 ) 史子さんです。 朝原選手は,今年で36歳。アテネ五輪の終了後に史子さんに初めて進退を相談。 史子さんいわく,「 自分の思うとおりにしたら良い 」と。 そこで,朝原選手は大阪世界陸上~北京五輪へと出場へと決断されたとか。 やはり,史子婦人の持っていた2つの銅メダルを,1つずつかけた写真がありましたが,自分 自身が勝ち取ったメダルを掛けたかったと言っています。 朝原選手が最初に出場した五輪は1996アトランタでした。 この頃は走り幅跳びもしており,当時のアジア選手権で日本人ではただ1人の優勝者だったと 思います。 結局,脚の故障を心配し,2種目を競技するのは断念しました。 それでも,4×100mリレーでのアンカーとして定位置を占めました。 何回か世界選手権,五輪で入賞しましたがメダルには届きませんでした。 他のチームの4人の100mの持ちタイムが数段優れていたので,無理もありませんでした。 そこで,リレーの技術のバトンパスとテイクオーバーゾーンでのバトンの受け渡しまでを完璧 に行うことがテーマになりました。 北京五輪では,他の強豪チームがミスをし,「 運も実力のうち 」を見せ付けた感じです。 ゴール後のアンカー朝原選手が,じっと順位を確かめて,決定後の表情は今までに見たことが ありません。 バトンを放り上げ,同僚の選手と抱き合いました。けれども,バトンはどこかへ行ってしま い,「 あの放り上げた日本チームのバトンを探してください 」とは,ユーモラスな場面で した。きっと,北京五輪の組織委員会で保存してあるかもしれません?? にこやかな別れ,小島初佳選手と夫の小島茂之選手 3)小島( 旧姓新井 )初佳選手 ---- 100m日本選手権6連覇者。元200m日本記録 保持者。 小島選手は,昨年から故障がちで,十分な体調でレースにも数回しか出ていませんでした。 今季も,依然として脚の調子は良くなく,秋口にやっと走れるようになったとか。 そこで,選んだレースが山形の天童で開催された全日本実業団での大会でした。 選んだのはもちろん100mでした。 私も観戦していたのですが,なぜか「 小島初佳 」がメンバー表に有ってもDNSが多く, 出場するとは思いませんでした。 従って,ビデオには撮っておらず,とても残念に思っています。 全レース終了後,夫の小島裕之選手とのツーショットとインタビューがあったと聞いて,早め に立ち去ってしまい,大変惜しいことをしました。 初佳さんは,これからは裕之選手のサポートをしていくといいます。めでたしめでたし----。 それでも,siteで夫婦のにこやかな表情を見て,こんな「 さよなら 」もあるのかと,心 がほのぼのとしました。 佐藤美保選手の休養記念 4)佐藤( 旧姓杉森 )美保選手 ---- 女子800mの日本記録保持者 佐藤選手というより,杉森選手時代のことが思い出します。 短距離出身者で京セラ時代に記録を出されています。 彼女のレース振りは,日本のレースでは早いラップでそのまま突っ走るという,自己挑戦型の 選手でした。 彼女は,レース後のインタビューでは,おとなしそうな様子からは想像できそうもない闘志が レースでは出してくるようです。 アテネ五輪に参加したときは,さすがに外国の選手のハイペースに巻き込まれ,着外に終わっ たのは残念でした。 福島のナチュリルでの練習で,福島出身で練習に来ていた中国電力の佐藤敦之選手と知り合い 昨年ゴールイン。 真面目な2人ですので----が周囲の評判です。 美保選手は休養して,敦之選手を広島での生活でサポートしていきますとのことです。 「 あくまで休養で,そのうち走ることもあります。 」 と,未来に可能性を残しておくのが美保夫人の気使いでしょうか。 5)森長正樹選手 ---- 走り幅跳びの日本記録保持者 森長選手は,大阪の大成高校出身で7m96の超高校記録を出して有名になりました。 日本大学時代にも活躍され,ゴールドウィン時代に8m25まで日本記録を伸ばしました。 体格には恵まれませんでしたが,類まれな跳躍力と,巧みなシザースで記録を出されました。 近年は,競技会もDNSが多く,今年もほとんどが出場はかないませんでした。 11月3日の浜松リレーカーニバルで同僚の走る幅跳びの選手と引退記念の跳躍を見せてくれ ました。 7m62と高齢?になっても,優れた技術と衰えぬスピードを見せました。 まだまだやれるというところを見せての店じまい。爽やかな森長選手でした。 以上の5選手を挙げましたが,今まで本当に日本の陸上競技の牽引車として大きな働きをして こられました。 これから,進む道はコーチング,イベントの参加,競技会でのサポート,家庭でのサポート 役など多くの分野に渡っています。 現役時代同様,変わらぬ姿勢で陸上競技と深い関係を持っていただけると思います。 健康で,新しい生活,家庭でのご活躍をされますよう願っています。 本当に,現役時代は楽しませてくれ,大変感謝です。 どうもご苦労様でした。 できれば,イベントやランニング界など,どこかでお逢いしたいですね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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