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めいてい君のブログ

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May 6, 2021
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 シュンペーターやブラジルのお話の多い

宇治見氏からのお便りです。




 お早うございます。

さて、水田 洋先生の記事を添付しました。

​なかなか迫力があります。

   先生は南青山では、鶴見 俊輔氏と幼友達、

よく遊んだとあります。

 鶴見氏は戦前、ハーバード大学に留学していましたが、

戦況が悪くなり、都留 重人氏等と一緒に
日米交換船で

帰国しました。

    アフリカのモザンビークにあるポルトガル領、ロレ
ンソ・

マルケス(現首都:マプトMaputo~中立国)で、断交国の

外交官交換や日米学生の(帰国)交換が行われたことは有名です。

    また、先生は府立1中(現日比谷高校)のご出身、

大学予科入学の直前には二・二六事件が勃発、

その後日中戦争が始まり、苦い戦争経験もお持ちです。

 東京商科大学(現一橋大学)では~

​高島 善哉(*)ゼミナールだそうです。​

​​​ ​昔が懐かしいですね。





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スマートフォンで拡大できる方に

小生の余計な分割を経ることなく一挙に拡大ください。









​参考~​
WIKIPEDIAから抜粋

<高島 善哉>
(たかしま ぜんや、1904年7月13日 - 1990年1月10日)
日本の経済学者、社会学者。専攻はマルクス主義及び
アダム・スミス研究。
一橋大学名誉教授、関東学院大学名誉教授。
岐阜県出身。旧制岐阜中学校(現岐阜県立岐阜高等学校)
首席を経て、1927年東京商科大学(現一橋大学)卒。
大学では当初福田 徳三ゼミナールに参加したが、福田の
留学のため大塚 金之助の指導を受けた。
卒業論文「経済静学と経済動学の国民経済学的意義:
ヨセフ・シュンペーターの研究」だが、おもにマルクス
主義とアダム・スミスを研究した。
1927年指導教官大塚 金之助の推薦を受け、母校東京商科
大学助手に就任。1927年、渋沢 栄一の孫である尾高 豊作
や尾高 朝雄の支援を得て設立され、大塚が所長を務める
東京社会科学研究所研究員を兼務し、杉本 栄一とともに
同研究所での活動に従事。1929年東京商科大学捕手に
降格。1933年、大塚 金之助が逮捕され、同僚の杉本 栄一
も検挙される。同年高島も、マルクスの「剰余価値学説史」
を翻訳し、日本共産党中央機関紙を購読していたことなど
を理由に検挙され、留置場に数時間勾留された。
戦後、東京商科大教授、一橋大学法学社会学部社会学科長、
1958年第3代一橋大学社会学部長。1968年、定年退官
名誉教授、関東学院大学教授。1981年、定年退任。
ゼミ生等
指導学生に長洲 一二(元横浜国立大学教授、元神奈川県知事)、
水田 洋(名古屋大学名誉教授、日本学士院会員)、
古賀 英三郎(元一橋大教授)、山田 秀雄(一橋大学名誉教授)、
中村 貞二(東京経済大学名誉教授)、篠原 三郎(静岡大学
名誉教授)、石原 保徳(元岩波書店編集者)、山田 高生
(成城大学名誉教授)、鈴木 秀勇(一橋大学名誉教授)、
黒沢 惟昭(元東京学芸大学教授)、和田 重司(中央大学
名誉教授)、富沢 賢治(一橋大学名誉教授、平田 清明(京都
大学名誉教授)、長田 五郎(横浜市立大学名誉教授)、
上野 格(成城大学名誉教授)、井上 周八(立教大学名誉教授)、
岡 稔(元一橋大学教授)、本間 要一郎(横浜国立大学名誉教授)、
佐藤 金三郎(元横浜国立大学教授)、北田 芳治(東京経済大学
名誉教授)、藤森 俊輔(元岡山大学教授)、川勝 堅二
(元三和銀行頭取、元経団連副会長)、村上 一郎(文芸評論家)、
安原 和雄(元毎日新聞論説委員)、韮沢 忠雄(元日本共産党
しんぶん赤旗編集局長)、二瓶 一郎(元新評論社長)、
荒川 弘(元産経新聞論説委員)、平尾 光司(元日本長期信用
銀行副頭取)、川上 源太郎(元清泉女学院大学副学長)など。
経済学史家の高島光郎(横浜国立大学名誉教授)は子。
著書以下は省略

<水田洋

(みずた ひろし、1919年9月3日 - )は、日本の学者。
専門は社会思想史。名古屋大学名誉教授。1998年
日本学士院会員。
日本における社会思想史研究の代表的人物で、特に
アダム・スミス研究では世界的に著名。水田からの
寄付金により名古屋大学では「水田賞」を設置し、
人文・社会科学(思想史)の若手研究者を表彰。
経歴
1942年東亜研究所入所。戦中は大日本帝国陸軍軍属
として帝国陸軍南方軍第16軍(ジャワ軍政監部)
調査室で、農村事情の調査を行う。戦後、日本降伏
交渉の通訳として訪れたスラウェシ島で8ヶ月の捕虜
生活を経て、1946年母校東京商科大学に特別研究生
として戻る。高島の先輩で、戦時中の受難で戦後一橋
で圧倒的な影響力があった指導教官の大塚 金之助に
嫌われ、一橋大に残れなくなったため、好きな北海道
にある北海道大学に就職しようとしたところ、
杉本 栄一に「田舎者になってしまうぞ」と反対され
塩野谷 九十九の誘いを受け、1949年名古屋大学
法経学部助教授に就任。
 高島、大河内 一男、大道 安次郎を、日本における
本格的なアダム・スミス研究の第1世代としたとき、
水田は、内田 義彦、小林 昇と並んで第2世代を形成。
内田の命名による市民社会青年アカデミズム。
 学風は、書誌学に注目し、古典の版によるちがいを
研究テーマとしてよく取り上げる。『道徳感情論』
『国富論』の翻訳はまさしくその延長上にあり、
とりわけ前者は、国富論200年を記念にイギリスで
刊行されたスミス全集よりも早く、時期的にも世界的
に類がない。書誌学的にはスミスの蔵書のリストの作成や、
『エディンバラ・レヴュー』の大学内紀要を利用しての
復刻といった事業も行っている。名古屋大学図書館の
予算と人材を最大限に利用した。
(後略)

​​​
​​​​★

追加情報>

在モザンビーク日本大使館

 ​https://www.mz.emb-japan.go.jp/maputo_annai.pdf



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Last updated  May 6, 2021 08:29:39 AM
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