テーマ:四国八十八カ所(195)
カテゴリ:四国巡礼
お遍路とは、四国にある88ヶ所の、空海ゆかりの札所や霊場を巡ることを指します。 「四国遍路」「四国巡礼」といわれる場合もあります。 巡札が観音霊場を巡る旅であるのに対して、お遍路は観音霊場の中でも特に空海(弘法大師)にゆかりのある霊場を巡ります。 では、どうして空海ゆかりの霊場なのでしょう。 空海は平安時代初期のお坊さんです。 今では「弘法大師」の名で広く知れわたっています。 774年に讃岐国(今の香川県)で生まれました。 18歳の時に京都の大学へ入り、明経道(儒学の研究)を専攻していましたが、大学での勉強では飽き足らず、19歳を過ぎると四国の山林での荒行を始め、その地で悟りを開きました。 その後、唐へ渡り真言密教の教えを会得した後、日本へ帰国し、高野山を開山します。 最期は、高野山で入滅しました。 空海の入滅後、弟子の修行僧らが、その足跡をたどって修行を始めました。 これが四国遍路の原型とされています。 その後、修験道の修行地なども加わった四国全体を修行の場をみなすような修行を行う修行僧や修験者が多くなりました。 室町時代にはこうした僧侶の遍路が盛んになります。 江戸時代の初期になると、「四国遍路」という言葉が一般的になり始め、僧侶だけでなく一般の民衆にも広がっていきました。 17世紀になると、「四国遍路道指南」という、今で言う旅のガイドブックのような本も出版され、当時の遍路ブームに火がついたともいわれています。 ![]() 車お遍路四国八十八カ所巡り(09~年版) ~空海~ お遍路の旅を考えておられる方は、空海についてもう少し詳しく知っておきましょう。 空海は774年、讃岐国多度郡に生まれました。 真言宗の伝承では、空海は不空三蔵の生まれ変わりであると考えられており、不空の入滅日である6月15日を誕生日としていますが、正確には不明となっています。 俗名は佐伯真魚(さえきのまお、またはまな)といいます。 今では広く知られている「弘法大師」の名は、921年に醍醐天皇から贈られたものです。 792年に、18歳で京の大学寮に入り、明経道を専攻します。 ですが、翌年の793年、大学での勉強に物足りなさを感じ、山林に入り修行を始めました。 この頃より唐へ渡るまでの空海の足取りは、資料も少なく、よく分かっていません。 御厨人窟(みくろど)での修行中に、明星が口に飛び込んできて悟りを開いたといわれています。 空海の名は、悟りを開く間に目にしていたものが空と海だけだったことから名乗るようになったとも伝わっています。 804年、遣唐使の留学僧として唐に渡ります。 806年、多数の経典、曼荼羅、密教法具、阿闍梨付属物など膨大な品物と一緒に、日本へ帰国します。 817年、修行の道場として高野山を開山し、835年3月21日、高野山にて入滅します。 死因は病死で、遺体は荼毘に付されたとする説もありますが、入定したとも言われています。 お遍路の旅には欠かせない、杖に書かれてある「南無大師遍照金剛」の文字は、入定し、今も高野山の奥で生き続けると信じられている空海の、崇敬をこめた呼び名です。 ![]() 【一点限定】最高級インド白檀仏像 【弘法大師(空海)立像】 32cm 桐箱付 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|
|