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カテゴリ:登山
目的地:氷妻山(ひづまやま/標高1467m)・駒髪山(こまがみやま/1483m)<*1鼻曲火山> 実施日:令和7年11月13日 メンバー:3名(Jog Mountain-top Summitクラブ)
高市政権に対し中国政府(共産党)は嫌がらせ外交を始める。台湾有事のコメントに対する自民党右派首相に一石を投じる。中国では中国人の訪日旅行者に自粛するよう警笛を鳴らす。観光地が少しは静かになる。日本は静観の構えである。
令和7年11月13日(木) 予定を変更し本日となる。残念だが余り天気は良くない。津田沼駅前に6時45分集合。私は早めに来て6時前に到着。モリシアは閉鎖されている。(建物は現存中)津田沼駅に活気が戻ればよいのだが。 6時30分に江戸(仮名)さん、続いて小田原(仮名)さん。全員集合。江戸さんの朝食ゲットするためにコンビニによる。 京葉道路は船橋料金所付近で上下共に事故で渋滞である。あとは順調に進み、上里サービスエリアで休憩する。 高崎市内に入り、ここでも渋滞である。3人の会話は弾む。山間を通り過ぎ、浅間隠山登山口駐車場(登山口の先100m/簡易トイレあり)に10時40分に到着。既に6台あり。やはり人気な山なのか。私はおにぎりを食べ、二人と別れ10時50分にスタート。
途中二か所に駐車可能な広場がある。左手に特徴のある形の鼻曲山、剣ヶ峰、角落山(つのおちやま)、雨坊主山(あめぼうずやま)が見える。車道15分歩くと二度上峠である。
途中、右手に下る林道があるが、ロープで遮られている。左の登山道を進む。笹原の道である。そして景色は雑木林の中なので見えない。そのうち安山岩の岩に出る。岩に登ってみたが余り景色は良くない。ルートに戻り、また岩山があるが通り過ぎる。途中に獅子岩があるので気を付けて歩く。(標識を見落とす)。なかなか出てこない。五つ目の小さい岩山の登り口に標識らしきものが見えた。先に進むと反対側から来ると分かるのだが、二股になっている。帰りにこの道を進めば、あの怪しい標識に出会えるはずである。先へ進む。平坦なコースなので疲れを感じない。丘の山頂を二つ三つ過ぎて小さい笹原平原を過ぎて、緩やかな登りを上がると氷妻山頂上である。頂上らしい所ではない。一応三角点はある。標識も2枚掲示されている。ごみ捨て注意の看板もある。見晴が悪いので先を降りていくが変わらない。鼻曲山が木々で明瞭な姿は望めない。 さあ私は別動隊である。本体が浅間隠山から戻る予定は14時である。それまでには戻ろう。
道を折り返す。丘を越えて、岩場地帯に到着。怪しい標識を見るために二股の右へ。 踏み跡もしっかりある。例の標識はこれでした。さび付いている。判読不明。獅子岩とも書かれているのだろう。折角だから、岩場を上がる。全貌とはいかないが、浅間山、浅間隠山、高崎市方面の山並みが見えた。次の岩山にも道が続いているので、進む。更に三つめも。四つ目になると道はなく、本ルートへ下がる選択しかないようだ。 降りてみたら、本線ルート脇にしっかり「獅子岩の頭」の標識があった。どの岩を差しているのか分からない。勝手に解釈してこの五つの岩場だとした。
更に下っていくと二度上峠に着いた。11時5分。せめて私の姿をと看板ポールにカメラを置いて、これから登る駒髪山神社を入れてタイマーオン。
県道を横切り、階段を上る。途中から振り返ると黄金色した角落山の尾根筋が見えた。鳥居を過ぎて急登を上がると岩に囲まれた石祠のある奥宮である。峠から15分。暇なのでこの先を進んで見た。尾根上を百m進み、下降地点で引き返した。この道(藪道)は岩淵山付近を通過して浅間隠山ルートと合流する。 浅間山、雪の北アルプスの絶景を楽しんでもらった。
私は腰を据えて、菓子を食べる。13時40分、さて駐車場に戻ろう。黄金の景色を楽しんで歩いた。 暫くしてまた一組のご夫婦も降りてきた。二人の様子伺うと「食事しているのであと30分位しないと降りてこないでしょう。」この方たちは名古屋から来て、今日は軽井沢に泊まるそうだ。上品な方達である。うらやましいカップル。帰りがてら二度上峠で休憩して絶景を楽しんでくださいと勧めた。
30分ほどで吾等の仲間も帰って来た。二人にも二度上峠を案内した。 さて温泉へ。車窓から見る山の黄金色はちょうど夕日に照らされてきれいである。写真を撮りたいが、駐車するタイミングが難しく、諦める。はまゆう山荘は真茶色の湯だ。温まる。帰りの途中に*2小栗忠順の記念館があったがまたの機会として、通り過ぎて暗くなった高崎市内を通り関越道から帰る。 参考 *1鼻曲火山 軽井沢北西の県境稜線部(鼻曲山、氷妻山、浅間隠山)の占める一連の安山岩質火山類が形成する山体。 **浅間隠山、二度上峠、はまゆう山荘の説明は正則の山行記録500回を参照。 *2小栗忠順(おぐりただまさ):幕末期の日本の武士(幕臣)。豊後守から上野介に遷任。勘定・江戸町・外国奉行を歴任。安政7年(1860年)、日米修好通商条約批准のため米艦ポーハタン号で渡米し、地球を一周して帰国。多くの奉行を務め、江戸幕府の財政再建や、フランス公使レオン・ロッシュに依頼して洋式軍艦の整備、横須賀製鉄所の建設など行う。(鉄鉱石は下仁田町中小坂<なかおさか>の鉄山から採掘)徳川慶喜の恭順に反対し、薩長への主戦論を唱えるも容れられず、慶応4年(1868年)に罷免されて領地である上野国群馬郡権田村(高崎市倉渕町権田)に隠遁。同年4月、薩長軍の追討令に対して武装解除に応じて、自身の養子をその証人として差し出したが逮捕され、翌日斬首。
記録 1. コースタイム (歩行時間:2時間23分) 浅間隠登山口駐車場10:50~二度上峠11:05~氷妻山11:55/12:05~獅子岩の頭12:28~二度上峠12:48/12:50~駒髪山13:05/13:10~二度上峠13:20/13:40~浅間隠山登山口駐車場13:50着 (標高差127m、歩行距離4.8Km) 日の出時刻6:20/日の入り時刻16:39(高崎市) 2. 費用 会費(GAS、ETC、入湯代) 5400円
3. 地図 **ブログ紹介:正則の山行記録、正則の山行記録2続編、正則の47都道府県最高峰。只今、登頂記録数1258回。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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