カテゴリ:歴史・本など・・
2020年2月22日は「にゃおにゃお、にゃんにゃんにゃん」で特別?な猫の日だそう。で、猫の絵の話です。
「史料としての猫絵」(藤原重雄・日本史リブレット・山川出版社) 幕府の御禁制で、芝居絵が人間の似顔絵にしては「ご法度」なので、猫にする。・・・。これ、まあ、猫が犬と違って、擬人化しやすい・・もともと座敷にいるものだし、化け猫という伝説もあるので、そうして、猫の擬人化キャラが生まれた。 「これ、猫絵ですよ。芝居絵ではありませんよ・・」ってとこでしょう。 国芳流の猫絵(ちゃんと着物を着ている)が、もっと、発展すれば、今でも、よくある猫耳キャラや、、ちゃんとシッポまである「ねこねこ日本史」のキャラとか、キティちゃんブームまで発展するかもしれない、猫キャラの考察です。 そして、鼠除けの猫絵の歴史については、平安時代の宮中の猫絵から、詳細な考察がとても、面白い。そもそも、猫は伝説として、日本医お経が伝わった時、鼠除けとして輸入された・・ともいう伝承もあるのですから。本物が飼えない人は、せめて、猫の絵でも描いて、鼠対策をした・・?
ですが、今回、取り上げたいのは「新田猫」の話。 世にいう「鼠除けの猫絵」として有名なのは、新田の荘の殿様、岩松家の四代、岩松温純(あつずみ)、徳純(よしずみ)、道純(みちずみ)、俊純(としずみ)が描き継いだ「新田猫」。 新田猫について語られるときは、どうしても、新田の殿様「岩松家」の貧乏ぶりが語られる。 岩松家は、八幡太郎義家の子孫で源氏であり、本姓は新田氏(実は足利氏ですが・・・)。そして詳細な新田氏の家系図を伝承している由緒ある家柄・・という触れ込み。 徳川の天下になった時、徳川家康は、自分の、どうも素性のよくわからん家系に箔をつけたいため、新田氏の一族の得川氏に由来を求めていたので、本家?を名乗る新田の岩松守純を呼び出して、その家に伝わる家系図を見せて欲しいと言った。
しかし、猫絵を描いていたのは、幕末からさかのぼる四代で、岩松家の殿様みんながみんな猫の絵を描いていたわけではないのですが、岩松の殿さまの描いた猫の絵が、鼠によく効くということで、評判になり、よく売れたとか。 それには、色々、理由があって、新田の殿様(姓は新田を名乗っていませんが、新田荘を支配していた)には、不思議な力があるという噂が広まった。 新田義貞の怨霊が鼠になっているので、子孫の描いた猫絵はきく・・的な発想もあるとか(♪僕らの愉快なリーダーは♪新田マウス♪ 新田マウス♪ ニッタニッタマウス♪・・という甲冑姿の鼠の集団が鎌倉攻めをする不謹慎な絵柄が浮かんだ)。 この猫絵を描いた最後の殿様、岩松俊純が、また波乱万丈。 この人は、幕末明治の荒波の中で、弱小旗本として翻弄されますが、運命というものはわからない。官軍の旗印(なにしろ新田義貞は500年前の討幕のヒーロー!)に担ぎだされようとしたり、娘が、薩摩の脱藩浪士の過激なのに惚れこまれたりの大騒ぎ。 結局、娘は血の気の多い勤王の志士の嫁になってしまうのですが、この人妻となった娘に、これまた長州出身のイギリス帰りの造幣官僚が惚れこんで、強引にアプローチ。これが、井上馨! はい、鹿鳴館の花、井上武子ですね。夫とともに洋行までして、自分でドレスまで作ってしまう才媛は、この新田の殿様の娘なんですね。 彼女の二番目の夫となった井上が、出世したばかりに、岩松俊純は、新田を名乗ることを許されたうえ、男爵になります。 そして、彼の猫絵はバロンキャットと呼ばれたとか。
岩松氏は、そもそもは足利義兼の子である足利義純を先祖としていますが、伯父の新田義重に育てられ、婿になっていたものの、畠山重忠の娘と再婚。新田系足利氏というややこしい一族です。 上杉氏との婚姻関係もあり、関東では上杉禅秀の乱に巻き込まれたりしたのもいましたが、「アニメ一休さんの新右衛門さん」の蜷川さんとも血縁関係もあります。足利義教の下についたり、義政のもとにいたり、なかなかと波乱万丈な一族です。 新田義貞の家系とは、一族の一人が岩松家の養子に入っていることで、つながり、つまり、足利家の血筋と新田家の血筋が、江戸時代には、高貴な家柄とされたようですが、いつの時代にもなかなかの波乱万丈な一族でにゃ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.03.17 23:48:47
コメント(0) | コメントを書く |
|