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2006/11/26(日)06:50

ステルス(2005)~眠りながら見ると面白い映画

特撮映画(84)

 一番の楽しみは、映画を見ることだ。だから体調に関係なく映画館に行くし、ビデオを見る。しかし、疲れているときや睡眠不足のときなどは、眠気に打ち勝つことができない。観賞中に眠ってしまうことがある。痛恨の極みだ。映画がつまらなくて眠ることはない、はず。  映画館は暗いから、眠りに誘われやすい。さすがに、上映時間のほとんどを眠ってすごすことはない(いばって言うことではない)。前半ぐっすり眠ると、すっきりして後半はバッチリ見ることができる(「あー、よく寝た」ってか)。けれど、当然盛り上がりには欠ける。疲れを取るため、睡眠不足を補うために入場料を払ったのではないのに。  うちでビデオを見ていて、眠ってしまうと、見たところまでテープを巻き戻したり、DVDならチャプターを探したりする。けれども、また眠ってしまう。慌ててまた巻き戻す、チャプターを探す。そんなことを何度も繰り返しながら、どこまで見たのか見ていないのか、わからなくなる(情けない)。そうこうするうちにまた眠ってしまい、気がつくとエンドタイトルが流れていたり、テープが最初まで巻き戻っていたりすることもよくあります。もうあきらめて、布団に入るしかありません。  「ステルス」を劇場で見たときは、スクリーンに引き込まれるとか退屈だとか感じる以前に、眠っておりました。上映中、目覚めたり、また眠ったりの繰り返しだったが、映画が終わったときには「なんか知らんが面白かったみたいだぞ」って興奮した。そして今回、期待をもってDVDで全編きちんと見直してみると・・・・。  映画館で見たときは、なぜ面白いと感じたのか。それは、たまたまドッグファイト(戦闘機の空中戦)の場面やロブ・コーエン監督お得意の爆裂場面では目覚めて、スクリーンを見ていたからだった。名場面集、あるいはちょっと長めの予告編を見たようなものだったのかもしれない。予告編では、すげぇ、面白そう、見るしかない、と煽られて、いざ本編を見たら、なんだこれ、つまんねぇ、ってことがよくあるでしょ。予告編に、いい場面を出し尽くしちゃったわけですね。  子供というのは、自分の見たいものだけを見るというわがままな習性がある。幼い頃、怪獣映画を見に行くと、人間だけでドラマが進行していく場面が、とてもまどろっこしかった。見たいのは、ビル街を破壊する巨大で強力なゴジラやモスラの雄姿であり、怪獣同士の激しいバトルである。最初から最後まで、ずぅっと怪獣が出っ放しっていう映画が作られないかなあ、などと極論したものだ(それが子供だ)。人間は、怪獣を攻撃するための自衛隊だけでいいよぉ、なんて。ところが、年齢が上がるにつれて、怪獣の登場場面だけでは映画にはならず、ドラマ部分の役目や味もわかってきます。  映画がストーリーとして面白さを発揮するためには、主人公の問題解決過程が重要だ。例えば「フライト・オブ・フェニックス(2004)」は、閉鎖された石油採掘所のスタッフが乗った飛行機が、砂嵐に遭遇しゴビ砂漠のど真ん中に不時着する。砂漠から脱出しなければ、早晩全員が死んでしまう。主人公に課せられた問題は、なんとか生き延びて文明社会にたどり着くこと。しかし、過酷な環境、人間関係のトラブル、少量や水の不足、盗賊の襲撃など様々な困難がつぎつぎに訪れ問題解決を阻む・・・。とってもわかりやすいでしょ。  でも、「ステルス」は、主人公ベンが解決すべき問題の説明がややこしい。この映画は、新兵器、無人ステルス戦闘機、通称エディ(E.D.I.=Stealth Extreme Deep Invader)をめぐるお話だ。エディには、人工知能が搭載されている。さしずめ「2001年宇宙の旅(1968)」の人口知能HAL900ばりに、エディも人間に反乱をおこし、人間が操るステルス機と人工知能のステルス機のバトルが描かれるのか。つまり問題は、反乱人工知能を倒すこと、であり、それが達成されれば解決するのかと思うとそうではない。  エディが画面に登場し、いかに高性能かが説明される。その際にコックピットがあることについて、「人工知能搭載機になぜコックピットがあるのだ」「テストとメンテナンスのためだ」などというやりとりがある。わざわざここでコックピットを印象的に紹介するあたりは、後で人間が乗るのだなとの推測が起きる。そうなると、単純に人間と人工知能の闘いではないとの見方が出てくる。  あるとき、落雷が人工知能に衝撃を与え、エディは暴走する。某国の核兵器破壊に向かった先で作戦を無視して攻撃し、国民に放射能汚染の被害を与えてしまう。さらに戦闘シミュレーションを実際の作戦と理解し、某国2に狙いを定める。いよいよ怪物化したエディとベンのチームの壮絶バトルに突入か、と思うとそうではない。  ロシア軍ジェット戦闘機とのドッグファイトで、相手を撃ち落したものの(こんなことして、よく国際問題、ひいては戦争にならないものだ)機体を損傷したエディをベンが助ける。その行為に感謝したエディが改心しちゃうんだよな。あれあれ、人間対人工知能の話じゃなくなってしまったぞ。ベンの戦闘機はトラブルによって大破し、結局ベンはエディに乗り込むことになる。(このためにコックピットを見せたのです)。すっかり仲直りの共闘さ。  例えば、007では、スペクターのブロフェルドとか、ゴールドフィンガーとか、敵役がはっきりしているじゃないですか。だから、敵の作戦を阻止して、悪漢を倒すことが問題解決なのです。そこに何の問題もない。  ところが「ステルス」では、エディが悪役かと思えば、改心する。最初は某国1のテロリストをつぎに某国2の核爆弾を攻撃したが、いずれも敵役本体ではない。テロリストたちを叩き潰す話しではない。さらに、海軍の上官や黒幕も私利私欲の固まりで、その手先がアラスカでベンとエディを襲ってくる。けれど、上官、黒幕をやっつける話でもない(自殺しちゃいますけど)。その上、ベンのチームのメンバー(ベンの恋人でもある)の一人が北朝鮮に不時着し、救助に向かうのだ。いったい誰が敵なのか、はっきりしてくれぇ、と泣きながら訴えたい気分だ。劇場では、眠ったり目覚めたりして、入れ替わり立ち替わり敵が出てくるあたりをすっとばして見ていたのですね。  「~と思えば、そうでない」という展開は体に悪い。乗り物酔いしそうだ。そうでなくても、マッハで空中を移動する戦闘機を見ているのだから(CGですが)。  とにかく、映画の途中で寝ちゃあいかんのだ。子供の頃は、どんな映画でも、全身全霊で見ていたものだ。寝るなんて考えられなかった。疲れを知らない子供に戻りたい・・・。 人気blogランキングへ クリックしてね。 みんなブルース・リーになりたかった

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