2008/10/27(月)23:55
「ゴーストハウス(2007)~誤解を恐れずにホラー映画を楽しみましょう」
怪獣映画やホラー映画では、最初に「怪獣を見た」「霊を見た」と言っても、周囲の人はまるで信じないというのが定石です。見た人は「信じてくれ」と叫びますが、見ていない人々は「頭がおかしい」「都合が悪いことを帳消しにするために、怪獣や霊が出てきたことにしている」などと誤解をします。
ボク自身は、人に誤解されるのをとても恐れています。
例えば、誰かとすれちがうとき、「おはようございます」「こんにちは」と両者が同時に言っていしまう場合があります。声が重なり、同じタイミングで頭を下げる。そんなとき、こちらの声が聞こえなかったのではないか、こちらも頭を下げているのだが、それが見えなかったのではないか。その結果、挨拶を返さない失礼な奴だと誤解されたのではないだろうか、と心配になるのです。
また、お礼を言う場合には、相手にこちらの声や気持ちが届いたかどうかとても気にかかります。当方はきちんとお礼を述べているつもりでも、あちら様は「感謝の気持ちが足りない」「態度がでかい」という印象をもち、無礼な奴だと誤解されたのではないかと心配になります。
そんなわけで、いつも挨拶やお礼が相手に伝わったかどうか不安で、ことさら大きな声で、何回も言ったりしてしまいます。そこにはもう、人に対する礼儀などといったものはなく、自分が誤解されたくないという防衛機能が働いているだけです。
そんなふうに誤解されるのが恐い性質だから、怪獣映画やホラー映画で、「怪獣を見た」「霊を見た」と言って誤解される人のことは、何か身につまされ、気の毒で見ていられません。
映画「ゴーストハウス」では、引っ越した家で、長女ジェスが霊を見ます。けれど、両親に訴えても信じてくれません。自分たちの気を引こうと、ありもしない話をしているのだと受け取られるのです。弟のベンも霊を見ているのですが、この子はまだ2,3歳で、霊についての恐さを知らない感じだし、また、ある事情により言葉が出ません。
両親が家を空けるそんなときに限って、なぜか霊が襲ってきます。恐怖に打ちのめされながらも、健気にベンを守ろうとするジェス。警察を呼んで、大騒ぎになります。しかし、帰宅した両親はジェスの話を聞かないばかりか、ジェスが自分の過失でベンに怪我をさせたことを繕うための作り話だと解釈してしまいます。
両親がジェスのことを信じないのは、過去に、親に内緒で飲酒運転をして事故を起こしたことがあったのです。同乗していたベンは、その事故のショックで言葉が遅れているらしい。可哀想なジェス。夜になったり、人がいなかったりすると霊が現れジェスやベンをどこかに連れて行こうとします。孤立無援で怯えるジェス。彼女は一体どうなるのか。いつ誤解が解けるのか。
ボクは、早く不可解な出来事が解決し、ジェスの信用が回復することを願って映画を見ていました。だから、変な展開があっても、気にしている余裕がありません。
例えば、突然、ボビーなる流れ者が現れます。カラスの群れを追い払ってくれたボビーには好感がもてたのでしょう。なんと、父親はボビーを即決で雇ってしまいます。しかも、どこの馬の骨とも分からない男を、納屋とはいえ一緒に住まわせてしまうのです。年頃の娘がいるにもかかわらず。
そして、このボビー、あるとき過去の記憶が覚醒します。じつは彼はかつてこの家に住んでおり、妻や娘を惨殺していました。今出てきているのはその霊だというわけなのです。街の人間は、ボビーを見て、だれも前の住人だと気付かなかったのかな(この話は、街の中心地からは離れた農場の出来事ではあります。しかし、種まきから収穫までの期間、一度も街の人と接しないということはあり得ません)。
このような何といっていいかわからないようなストーリーラインですが、ひたすら誤解されるジェスを哀れに感じるばかりで、全然気になりませんでした。
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