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ミカランの日々の日記と時々「桜」氏への聞き取りのメモ欄
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「わしの所に来るか?」 しばらく二人は共に過ごすことにした。 ある日 「弁慶、飯でも食いに行くか!」 「え? しかしわしはお尋ね者。ましてや昼間に……」 「ほとぼりが冷めたか確かめぬか? 心配するな。弁慶は夜に出没するゆえ、まっ昼間にうろついているとは誰も思わん。それに牛若の荷物持ちとして歩いておれば疑う者はいないだろう。さ、後ろに付いて来い」 牛若の言葉に「はい!」と嬉しそうに弁慶は返事をした。 桃色の衣装の牛若は目立っていた。 「あらまあ、若様。この度はどうもありがとうございました。おかげで悪さをする者達はずいぶんと減りました」 「若様、こんにちは。若様のお陰で無理な場所代を取られなくて済みます」 商売人や町の者たちは、どこの若様かは知らないが、身なりが良く、正義感のある牛若を慕っていた。皆、牛若のお陰で暮らしが楽になったと大喜びであった。 「これ取っておいて下さい」礼としてそれぞれ銭や米を持ってくるのだが……。 「要らぬ」皆の暮らしが楽ではないことを知ってた故、それらを受け取れなかった。 「じゃ、あんた持っといてよ」一人の女が、弁慶に米を無理やり押し付けた。 「う? え?」弁慶は戸惑い、牛若の方を見た。 『お前に任す』の目配せに「じゃ、いただきます」。 お付きの男が受け取ったので、女は、満面の笑みを浮かべて帰って行った。 「(町の人に喜ばれて、愛されて、若ってすごい方なんだ)」弁慶は今さらながら驚いた。 「さあ、食え! 飲め!」茶屋に着くと、牛若に促されて弁慶はたくさん食って飲んだ。 牛若は、ひたすら酒を飲んでいた。 「うまいか?」 「はい、若、真昼間に町でこんなにうまい酒を飲んで、飯が食えるなんて、うう……。あかねにも、ううう……、たくさん食わせてやりたかったあぁー。ああ……あかねぇー」 「泣くな! 弁慶、食え! 飲め!」牛若は酒を注いだ。 二人の豪快な飲みっぷりに、周りの客は感心していた。 「すごい呑ん兵衛たちだなあ」 他にも二人を見つめる目があった。 「あの大きい方はきっと弁慶に違いない。堂々と昼間っから酒なんか飲みやがって、いい気なもんだ。あいつを捕まえて懸賞金をもらうぞ」 大きな男が弁慶だと見当を付け、役所に付き出す機会を狙っていた。 「もう何本目だ?」 「さあ? あいつらどれだけ飲んでも酔いつぶれねえ。どれほど酒が強いんだ?」 「あの小さいのと二人なら、わしらだけでやっつけられるだろ?」 「いや待て待て、小さい方は簡単だが、なんと言っても千本刀の弁慶だぞ。千人切っているんだぞ。五十人は集めて来なければやられるぞ」 などと二人が酔っ払うのを待ちながら、ひそひそ話をやっていた。 「ぷーッ!」牛若は思わず酒を吹き、弁慶に掛けてしまった。 「え? 若! どうしました?」弁慶は顔にかかった酒をぬぐいながら聞いた。 「くく……」牛若は苦笑していた。 「ふふ……。地獄耳のわしには、丸聞こえだ。あいつら五十人どころか、百人でも千人かかってきてもわしに勝てないだろう」 「弁慶、ひと暴れするか?」 「ええ? ひと暴れって」 「後ろの林の中の男らがわしらを狙っておる。面倒ゆえ転がってもらおうか!」 「へ? 狙っている? 転がってもらう? いいんですか?」 「ああ、今日は特別だ」 「はあぁ、腕が鳴るわ」弁慶は牛若のお許しが出て興奮してきた。 「よいか弁慶、ちょっと痛めつけるだけだ。殺すなよ。わしも殺さん」 「若! でも骨を折るくらいはよろしいですか?」 「ふっ、骨を折るくらいなら仕方ないな。好きにせい」 「はい! 解りましたぁ。久しぶりに暴れられる。」 弁慶は、近くにあった棒を拾い、握りしめた。 「来い来い来~い! 腰抜けどもー!」 「お前、お尋ね者の弁慶だろう。知っているぞ。おとなしく捕まった方がいいぞ」林の中から男たちがぞろぞろ出てきた。 「わははは……」弁慶は高らかに笑った。 「うおー!」男たちは刀を振り上げ弁慶めがけて襲ってきた。 「キャー!」客たちはあわてて茶屋に逃げ込んだ。 「おりゃー!」弁慶は棒を振り回した。 男たちは、弁慶にあっけなく倒された。 それを見て、人々が集まって来た。 「こいつら何かと難癖付けて、わしらの上がりを奪って行く輩だ。」 「お前! おれの妹を無理やり連れて行こうとした奴だな!」 「こいつは役人とつるんでいる奴だ。皆でやっつけよう!」 町の衆は、この機とばかり手に棒を持ち奴らを叩き始めた。 足蹴にされ、体中泥だらけになった輩は命からがら逃げ帰って行った。 「覚えてろよ!」 「はっはっは……」牛若は、一人の男を呼んだ。 「皆で立ち向かう事は良いことだ。店主、明日の昼、人をたくさん呼んでおけ! 良い事があるぞ、ふふ……」 「人を? よい事?」 「おお、弁慶御苦労! 帰るぞ!」 「はい若!」弁慶は近づくとすっとしゃがんだ。 「乗ってください」肩に牛若を座らせるとすっくと立ち上がった。 「おおー! 良く見える! ふふ……」弁慶の肩に乗った牛若は絶景を楽しんだ。 牛若を肩に乗せた弁慶は、意気揚々と帰って行った。 「日が暮れて来た。弁慶、出かけるぞ」 「へ? どこへですか」 「付いて来い」 小川の横の道を通って町に出る途中、見慣れぬ集落の横を通った。 「いつの間に?」牛若はちらと見たが、先を急いだ。 牛若と弁慶は、とある屋敷の門の前にいた。 「弁慶、お前はここで待っていろ。入って来るな」牛若は門に近づいて行った。 牛若の身体は、門に吸い込まれるようにすーっと消えて行った。 「え? 若? 若?」 弁慶は、門の所まで行き、押してみたが開かない。門には閂が掛かっていた。 「若、どこへ行ったのだ。こんな頑丈な門、入ってくるなと言われても入れぬわ」 目の前の牛若がいきなり消えたものだから、どうしたらいいのか困り果てた。 「わし、夢を見たのか? いやいや、確かに若とここまで来て……、こんなこと前にもあったしな、若はいったい何者なのだ?」 そうこう悩んでいるうちに ドシン、ドシン! ドーン、ドーン! 重々しい振動に弁慶は尻もちをついた。 「うわ! なんだ?」 なんと地を震わせたのは米俵であった。 「なにー? こ、米俵? なぜここに?」 何もなかった所に米俵が四俵も落ちてきた。 弁慶は尻を突いたまま口をあんぐり開けていた。 「あ~あ」 突然、ため息をついて牛若が現れた。 「あの蔵には米しかなかった。おや何をしている弁慶、早く運べ!」 いつの間にか牛若がそばに立っていた。 「え? 若! いつの間に? ああ、はい」 弁慶は言われるままに両肩に米俵を二つずつ抱え上げた。 「よいせ! 若! どこへ?」 四つの米俵を抱えているにもかかわらず、にっこり笑っている弁慶。米俵を担ぐのは嫌いではない。 「お前本当に担げるのだな、大したものだ」 牛若は自分でやれと言っておきながら、今さらながら弁慶の怪力に驚いた。 昼立ち寄っていた茶屋の前に来た。 「おい店主」 「はい、若様。昼間はお疲れ様でございました」 「これを預かってくれ」 「え? それは、米……ですか? 解りました、お預かりします」 「弁慶、三つ置いておけ」 「はい」弁慶は米俵三俵をどん! どん! どーん! とその場に置いた。 「明日の昼また来る」 牛若はそう言うと、さっと店を後にした。 左の肩に米俵、右の肩に牛若を乗せて弁慶は家路を歩いた。 「若!」 「なんだ?」 「今日の事は……、ええっと、何ですかね?」 弁慶は聞かずには居られなかった。目の前で牛若が消えたり現れたり、米が降って来たり――。夢ではないかと思ったが、こうして米を担いでいるし――。 「弁慶」 「はい若!」 「気にするな!」 「ええー?」 「明日も行くぞ!」 「若ぁ―!」 途中、出かけるときに見かけた小川のほとりの小屋まで来た。 「弁慶、それをここに置いて行け」 「へ? わしらの米でないのですか?」 「違うぞぉー」と軽く牛若に言われ、弁慶は久しぶりに米がたらふく食えると喜んでいたのにがっかりであった。 「……わかりました若」ドンとその場に米を置いた。 「誰だ!」 「なんだ?」 「何?」 ぞろぞろと小屋の中から子供らが出てきた。 年長の男の子が警戒しながら 「何者だ!」 棒きれを構えて威嚇した。 「お前が長(おさ)か? 置いておくぞ。これ食え!」 牛若はその子に言い渡した。 「え? これは?」 男の子は中身が何かは想像はついた。 「食っておけ」 牛若はその場を後にした。 「あの」 男の子が声を出した。 「ありがとうございます」 男の子は牛若たちに向かって深く頭を下げた。 「ありがとうございます」 小さい子らも長に続いてぺこりと頭を下げた。 「なに?」「わあー、わー」 子どもたちの歓声が二人の背中に聞こえた。 「ぶつぶつぶつ……、ぶつぶつぶつ……」 帰り道、弁慶は何か呟いていたが 「よいではないか弁慶、あいつらは戦などで親がいなくなったり、食えなくて捨てられたり、預けられた所から逃げ出して来たりした子らの集まりだ。食えていないのだ。米の一つや二つ大した事ではない。お前は人助けをしたのだからがっかりするな。明日うまい物を食わしてやる」 牛若はにこにこ顔で言った。 「人助け……」 人助けなどやったことがない弁慶は、その言葉に足が止まった。 「人助けをしたらあの世に行ったとき、閻魔様に救われると聞いたことがある。若、本当ですかね?」 「え? さぁ……、あるかもな」牛若はすましていた。 「わし、これからはたくさん人助けをするぞ。そして死んだら閻魔様に会ってお頼み事をする。あかねに会わせてもらうのだ」弁慶は目を輝かせた。 そして希望がわいた顔で、牛若を「ほいよ」と肩に乗せ、勇んで家に帰って行った。 次の日 牛若は桃色の着物に濃い桃色の袴をはき、市女傘(真ん中が高くこんもり盛りあがった女性用の編み傘)をかぶり、白く透けた上着を羽織っていた。さながら市場に買い物に行くお嬢様の出で立ちであった。 それは弁慶が牛若と出会ったあの橋の上での出来事を思い出させる衣装であった。 「若……、その格好は……、わしてっきりあのとき若がおなごかと思い刀を取りに行こうとしました。大きな間違いでした」 「勝てると思うたか? ふふ、弁慶、牛若の名は知れ渡っていて、わしもいろいろ狙われておる。お前も有名となっている。お前はお尋ね者で今だ手配書は剥がされておらぬ。あのときお前を死んだ事にすればよかったな。その二人が並んで歩けば大いに目立つ。ゆえにわしは女とも男とも分からない者とする。お前はわしのお付きの荷物運びとして欺くしかない」 「は、はい、若」 間髪いれず牛若は 「その名は言ってはならん」 「え? 若……、あ」 「それを言えばわしが牛若で、お前が弁慶であると解ってしまう。一緒におれば、千人刀の命(めい)をわしが下した事になる。二人一緒ではまずかろう?」 「は、はい。解りました若、あ、いや、でもどうして私を連れて歩いてくれるのですか?」 弁慶は危険と知りつつ匿い、一緒に過ごしてくれる牛若の心を聞いてみたかった。 「(不憫ではないか、生い立ちもそうであるが、ばあさんに騙され金を取られ、又、たった一人の家族に死なれて、あのままではばあさんを殺しに行ったであろうし、また罪を重ねる。そして捕らえられ死罪に……。見てはおけなかった。わしが千人目でよいではないか)」 牛若は先を見通せていたかのように思い起こしていた。 「(それに、お前の命も……、そう……。)」 弁慶にはすべては言えなかった。が、どうにか弁慶にとって良い道をと、考え探っていた。 「お前がまだ見たことない物や食ったことない物を教えてやろうと思ってな」 振り向き、にっこり微笑んだ。 「ところで(わか)初めて会った時、あの橋のところで向う脛を叩かれました。あの笛は相当痛く感じました。あの一撃で私の戦いは終わってしまいました」 弁慶は思い出し、感心していた。 「笛? 笛など持っておらん」 牛若はそう言うと 「いやいや(わか)! 持っておりましたでしょう。あの固い竹笛」 弁慶は説明した。 「ああ? ああ、あれね、あれは竹笛ではなくきびじゃ」 「き? きび? きびって?」 「ああ、さとうきび」 「さとうきび……、なぜに、なぜに……、さとうきびを?」 大いに不思議に思い弁慶は問うた。 「かじっていた」 「なぜにかじっていた?」 すました顔で牛若は 「はらへっていた」 「……」 弁慶はじぶんを懲らしめた若者の―― 〝さとうきびの一撃〟に倒れたことを今知り、とてつもなく叫びたくなった。 「やめておけ」 牛若に心を読まれ、また〝一撃〟を見舞われた。 牛若と弁慶は例の旗ごの前にいた。 「ほらほら、皆! ちゃんと並んで、皆の分はあるから」 二人は米俵の米を配っていた。 「米だ! 米が食えるぞ」 皆はとても喜んだ。 「これはな、朝廷からの賜り物だ、受け取れ」 「朝廷からの? これはありがたい、昨日いい事があると言ったのはこれの事なのか、いい事すぎるよ」 「上様、ありがとうございます」 民たちは御所の方角に向かって手を合わせた。 「(どうせ民から取り上げ過ぎた米だ。豪農から取り上げたこの米はもともと民の物だ、返してもらったに過ぎぬ)」 その米俵には『朝廷より ウシワカ』と貼り紙がしてあった。 「『朝廷より』だな、で? なんだこの木を並べたような印は、字か? 名前か?」 一人の若者が米俵に貼られた紙の文字を読んでみたが、その下の字は顔を右に左に傾けてもどうしても読めなかった。 その場に『ウシワカ』の文字を読めるものはいなかった。 その日の深夜 牛若と弁慶はまた別の屋敷の前にいた。 「おい(弁慶)ここで待て」 「はい若!」 「こら、『若』と呼ぶな」 牛若は弁慶をたしなめた。 「いや、でも、夜はいいでしょう? なんて呼べばいいんですか? わか」 申し訳なさそうに弁慶は聞いた。 「お館様とでも呼べ」 「おやかた……、さま」 慣れぬ言葉に弁慶はうつむいていた。 「お!(弁慶)そこに餅が落ちている」 牛若は弁慶の後ろを指差した。 「え? 餅?」 好物の餅と聞いて弁慶はあわてて振り向いた。 しかしどこにも餅は無かった。きょろきょろ捜しながら「若、餅なんてどこにも、あ!」 すでに牛若の姿は無かった。 「若、また消えたぞ。どうなってるんだ。ま、今日も米が降って来るのだろうな。二つでも四つでも六つでも降って来いだ。皆持って帰ってやる」 独り言を言いながら夜空を見あげていた。 ドン、ドン、ドンドン! 米俵が降って来た。 「そら来ました。いらっしゃい!」 弁慶はにこにこしながら米俵を撫でた。 牛若は続いてまた別の蔵の中にいた。 「匂う匂う。ここか!」 蔵の奥の扉を見つけ鍵をガチャっと開けた。 扉の奥には重々しい木箱がいくつも積み上げられていた。 「これよこれこれ」 牛若はその箱のそばに寄った。 そして左の掌をぱっと開いた。そこに青と白の渦巻きが出来た。 「ほいよ!」掛け声をけ、木箱をその渦の中に放り込んだ。 「ほいほい!」 四つほど放り込んだ後 「よし!」 そう気合いを入れると、その渦に牛若も飛び込んだ。 ドン! ドン! ドカ! ドカ! 外で待つ弁慶の目の前に木箱が落ちてきた。 「おおー! 何だこれは!」 弁慶はその木箱を見ると、鍵は外されていた。そしてふたをそっと開けてみた。 「おあー! 金判だー! ええー! 初めて見たぞ、金だ! これは千両箱だ! いっぱい入っている! すごいぞ!」 ドタッ! あとから牛若が落ちてきた。 「あいたた……」 尻をさすりながら牛若は「何をしている弁慶、早よ入れんか!」と催促した。 牛若に促され 「あ、はい、若!」 弁慶は持たされていた麻の袋を懐から出し、木箱の金判を入れにかかった。 カチャ、カチャ、ガチャガチャガチャ――。 金判は二つの麻袋にたっぷりと収まった。 それを弁慶の袖に一袋づつ入れ、先ほど落ちてきた米俵を昨夜のように二つずつ持とうとした。 「うおー!」 弁慶の左右の袖にそれぞれ箱二つ分の金判、そして両肩にそろぞれ二つずつの米俵。 さすがに今日は重いであろうが弁慶は根性で持ち上げた。 「ふんぬー!」 「お前すごいな」牛若はニヤッと笑った。 「うう……、せっかくの若の稼ぎを無駄にはしません」 夜路をでっしでっしと歩いて帰った。 牛若は途中貧しい集落に米を二俵置いた。 その後、ある鋳造所の前に来ていた。 門の前では二人の門番が槍を構えそこの警備をしていた。 「開けろ」 牛若は門番に声を掛けた。 カッ! 「お前何者、ここをどこか知っておるのか」 門番の槍は交差され、二人の侵入を阻んだ。 ここは、朝廷から許しを得ている鋳造所の一つである。誰かれなしに中に入る事は許されない。 「開けぬか!」 牛若はそう言いながら懐に手を入れた。 カチャカチャ 二人の門番は槍を牛若に向けた。 「う!」 弁慶は米を担いだまま足を踏ん張り身構えた。 牛若は懐から札(ふだ)を出してきた。 「解るか?(触ってみるか?)」 その札を見せられた門番は「あ!」っと声を発した。 「え? 判官の? (つまり天皇の?)札!」 二人の門番は槍を下に降ろした。 「ど、どうぞお入りください」 門番達は丁寧に誘導した。 「この判官札を持っておれば、どこなと通れる。お前の好きに使うが良い」 後白河院の言葉であった。 牛若は迷わず鋳造所敷地内の奥まで入って行った。夜中でも鋳造をやっていることは牛若は知っていた。 ザッっと戸を開け 「おい! 米を降ろせ」と弁慶に命じた。 ドドン! 降ろされたのは二つの米俵であった。 親方らしき男がやって来た。その目は疑いの眼であった。 「誰だ! 何だお前たち」 「親方か? これを溶かしてもらいたい」 そう言うと弁慶の懐の麻袋を出させた。 「お! 金判だ」 親方は中の金判を見て反応した。牛若はもう一つの袖から袋を出させた。 「こんなにたくさん、これは確か、うちで作った金判だな」 親方は目の前の男はいったい何者なのだ? という不可思議な顔をして言った。 「朝廷の方でございますか?」 と聞いた。 「(そうしておくか)内密にせよ」 牛若は札を見せながらそう言った。 「解りました、仰せの通りに至しましょう。どうやらお急ぎのようですね」 親方はそう言うと早速金判を炉に入れた。 熔けた金は四角の小さな穴がある鋳型(いがた)に入れられていった。その穴は四十個くらいあり、持ってきた金のすべてを溶かし、順に鋳型に入れて行った。温度が下がって来るとその鋳型はひっくり返されそれの裏をガンガンと勢いよく叩いた。 親指の先ほどの四角いそれはコトコトコトと転がり出された。 普通、赤々と燃えるその塊は、そこから剛鉄の鎚で叩かれ平たく伸ばされ、金判となるのだが、牛若が求める物は塊である。 「伸ばさずともよい。そのままが良い。冷やすのだ」 溶かして小さくされた金の塊は水に入れられた。 ジューっと水が熱せられる音を響かせ、勢いよく湯気が立ち上がった。 「これでよろしいか」 親方は出来上がりの合図を牛若に伝えた。しかし「もっと水をかけろ! 熱くて持って帰れぬわ」 その金は熱が冷めるのに一晩中かかった。 すでに夜は明けていた。 小さな四角い金は持ってきた麻布にすべて収められた。 「親方、ご苦労、礼じゃ」 牛若は弁慶に合図すると米俵を差し出させ、さっさと帰って行った。 親方は不思議そうに二つの米俵をじっと見ていた。 ある日のこと 「おい(弁慶)! 出かけるぞ」 「はいわか、あ、いや、おやかたさま」 「おい、絶対に『若』と言うなよ、わし女の恰好をしているのだから若はないだろう」 「あ、はい、すみません」 毎回これであった。 「いいかげん慣れろ」 「はい、わ、おやかたさま」 京の町は多くの店が出て、たくさんの人で賑わっていた。牛若は武家の娘の恰好で歩いた。その後ろを弁慶は荷物持ちとして付いて歩いた。 いろいろな店の前を通ったが、弁慶はさして興味を示さなかった。が、髪飾り屋の前に来た時、弁慶の足が止まった。 店頭に並んでいる髪差しをじっと見ていた。その中には赤や草色の色が付いていたり、綺麗なつやのある茶色い石が付いていたり、それらを見ながら弁慶は夢中になって見ていた。 それを見た牛若は 「おい(弁慶)! 入るぞ!」 そう言うと牛若は店の中に入って行った。 弁慶は後に続いた。 「主、髪飾りを出せ」 中から番頭らしき人が出て来て 「はい、これは御寮様、どうもいらっしゃいませ」 丁重に近づいてきた。 「一番良い品を出せ」 「はい? 一番良い品でございますか」 「おう」 牛若は懐から袋を出し金塊を五つ取り出すと、それを畳に転がした。 「え? これは、もしかして?(この金で金判8枚分はあるはず。金判八枚分のかんざし……)」 番頭は考えていた。 「(もし偽物なら大損だ)あの……、御寮様。御無礼とは存じますが、金の一つをお預かりさせて頂いてもよろしいでしょうか」 低姿勢で主は牛若に許しを請うた。 「ああ」 牛若は軽く答えた。 しばし待たされた後、奥から出てきたのはその店の主であった。 「これはどうも御寮様、私、店主の左衛門と申します。先ほどは店の者が失礼をいたしました、お許し下さい」 その手には肩幅ほどの横幅の四角い桐の箱が抱かれていた。 「これはうちで最も腕利きの職人が作り上げた最高級のかんざしでございます。御覧下さいませ」 この主、先ほど牛若が渡した金が本物であることを確かめたようだ。 主はうやうやしく桐の箱のふたを取ると、白い絹に包まれたままその箱を差し出した。 牛若はその白い絹を剥いだ。 それはまばゆいばかりの銀製の髪飾りが三つ揃いで納められていた。 向かって右に銀製の桜の花がちりばめられたこめかみのあたりから挿すかんざし、真ん中はそれより大きく台の銀に金や赤い石がほどこされた豪華なもので中央に挿すかんざし、そして左は細いビラがたくさんついてゆらゆらとたなびくようになっている銀製のかんざし、これもこめかみの上のあたりから挿すもので、非常に美しく蝶の飾りがひらひらと揺れるのである。この三つ揃いである。 それを見た弁慶は目を剥き、息を吸い込んだまま止まっていた。 「気に入ったか?」 牛若は弁慶の顔を見た。 「〝てふ〟が……、てふが……」 弁慶は頭をこくこくと縦に振るだけであった。 「もらう」 牛若は主にそう言うとそれを箱から外し、絹の布で包むとそれを弁慶に渡した。 布の中でシャリンっと涼しげな音がした。 「うっ」 弁慶はそれを両手に抱き目を潤ませた。 「では」 二人は店を後にした。 店の者らは皆驚いた。定価の倍の金子を置いて行ったあの者たちはどなたであろうかと……。 「牛若殿であろう」 主は小さくつぶやいた。 「飯食うか」 二人は旗ごで休んだ。 「おい(弁慶)食え!」 そう言われても弁慶は落ち着かなかった。懐に入れたかんざしの事で頭がいっぱいであった。 「この前は豚一頭平らげてしまうほど食っていたのに。飯がのどを通らないか? はは、早く持って行ってやりたいのか?」 牛若に言い当てられ弁慶は 「おやかたさま……」 ぐっと湯のみの酒を飲み干した牛若は 「では、行って来るか?」と優しく言った。 「え?いいんですか?」 弁慶の目が輝いた。 「ああ、行って来い。ただし、もう少し日が暮れてからじゃ」 許しが出た弁慶は大喜びであった。 弁慶は山道を走った。走りに走って一気に山を駆け抜けた。 そしてあっという間に目的の途に着いた。 「はあっはあっ……、はあっはあっ……」 弁慶は妹のあかねの墓の前まで来た。 「あかね」 弁慶は跪まづいた。 「あかね、おにいが来てやったぞ。これ、お前に持ってきた」 懐からかんざしの入った布を出してきた。 シャリンと銀のかんざしの上品な音が綺麗な空気の中で小さく響き、蝶の飾りがゆらゆら揺れた。 弁慶は布を解いてあかねに見せた。 「ほら、きれいだろ? きっとお前に似合うぞ」 じっと前を見つめていた弁慶の目から涙が振れてきた。その涙はとめどなく流れ落ちた。 「くっ……」 弁慶は石の前の土を手で堀り出した。 深く掘ってからそのかんざしをそっと埋めた。 「うう……、うおぉ……」 土を被せながら泣き続けた。 そして最後の別れを済ませた。 その頃牛若は、酒を口に運びながら赤い月を見ていた。 御所 「おい(弁慶)ここで待っていろ」 弁慶を門の外に待たせ牛若は御所の中に入って行った。 「おお! 参ったか牛若! 久しいよのう」 機嫌よさそうに後白河天皇が出てきた。 「今日は何の御用で?」 居心地の良くない御所にはなるべく来たくはない牛若であった。 「おお牛若、たまには話をしようではないか」 かまってもらいたい天皇は牛若の話が聞きたかった。 「酒! 肴!」牛若はそっけなく口を開いた。 「近頃盗賊が現れておる。そして米や金銀が盗まれておるのじゃ」 「そうですか。私は知りません」 牛若が答えると 「お主しかおらぬであろう」 疑いの目で天皇は言った。 「ええ? 誰か私の姿を見た人はいるのですか? 私が泥棒ですか?」 そう言うと 「いや見た者はおらぬ。しかし大名たちの蔵から財がいつの間にか消えておるのじゃ、そしてそれが朝廷の名を書いて民たちに米を配っておるのじゃ。そんなことをするのはお主しかおらぬ」 そう言われても牛若は知らぬ顔をした。 「いやそれがじゃな。わしに圧力をかけていた大名が急におとなしくなったのじゃ。蔵の物全部取られて力が落ちた故に私兵も雇えず破産寸前らしいのじゃ。収賄に関わっていた者も表沙汰になり罪の追及をしておる。まさに朝廷の変革が起きている」 「そうですか」 牛若はつれなく酒を煽っていた。 「ところで牛若、弁慶なる人物。千本刀の暴れ者と対決したと言う噂は本当であるか?」 天皇に聞かれ牛若は湯呑を置いた。 「その男を捕らえて死罪にするとかむごいことをしますか?」 「捕らえてみないと解らぬ。しかし千人切ったのであろう?」 「千人も殺したのを見た奴はいるのですか?」 「それは解らぬ」 天皇と対峙した牛若は、弁慶の手配書を外す約束をさせた。 手配書が外され気が楽になった弁慶ではあるが、弁慶の手にかかり命を落とした者もいたことは確かである。その身内などから恨まれ仇を取ろうとする者もいるはずである。身の危険に変わりはなかった。 「弁慶、やはりほとぼりが冷めるまでどこかに隠れるか?」 牛若はそう言うと 「わしは殺されても良い。恨み事は無い。しかし若の身に危害が及ぶのは耐えられません。わしとおると若が危険です」 「弁慶、わしは死なんよ」 「わしは若の足かせになってはならんと思う。どこかに消えます」 「弁慶……」 「ずっと考えておりました。若は何の縁もゆかりもないわしに……。いや、命を狙ったわしを助けてくれたばかりか、あかねに幸せな思いをさせてくれて、最後までみとってくれて、わしには何もできなかった。わしにもずいぶんと楽しい思いをさせてくれた。思い残すことはありません。わしを見放して下さい」 「弁慶、しばらくの間だけだ。どこかに身を隠せ。お前はどこの出だ?」 「生まれは知りませんが、物心付いた時には寺におりました」 「どこのだ?」 「比叡山にある寺です。自分も坊主になると思いながら修行をやっていた。でも酷い坊主ばかりで、我慢ができす大暴れした。それで飛び出してきたんです」 「フッ、お前は切れたら何をしでかすかわからん奴だからな」 「……」 「よし! そこへ行こう!」 牛若の発した言葉に「へ? あの寺に、ですか?」弁慶はまさかと思った。 「ああ、そこしかあるまい。お前を匿ってもらう」 「若……」 それは無理だろうと弁慶は思った。 いよいよ寺に向うことにした。 二人は京の町から直接比叡山に登らなかった。後ろを撒きながら琵琶湖の東側まで北上し、湖を西に渡る計画を立て、琵琶湖を左回りに半周することにした。 二人は湖のほとりに着いた。湖畔に船が見えた。 「おい船頭! この船はどこまで行くのだ?」 「へい! 向かいの大津までです」 「そうか、乗るぞ」 「へい! あ!」 船頭は気付いた。 「(あの大男はもしかして噂の弁慶ではないか。こんなところまで来て……。わし、殺されるのか?)」 怯えている船頭に「心配するな、向こう岸まで渡してくれれば礼はする」 「ええー?」船頭の独り言に牛若はとっとと答えた。 船頭が躊躇している間に、二頭の馬と大男と牛若は船に乗り込んだ。 「うわ~、揺れるぞ。こんな大きな馬を乗せてしまって、沈んでも知らんぞ。無茶な奴らだ」 船頭はおびえた。 「おとなしくしていろよ」 牛若は二頭の馬に言ってきかせた。 「フルフル……」馬は置かれた場所を分かっているようで終始おとなしくしていた。 二人と二頭は夕暮れの湖を静かに渡った。 「思ったより早く着いた。船頭すまぬな、無理を言って……。この事は誰にも言うな。言った場合はとことん追って行って殺す。末代まで追いかけて殺す」 牛若はきつい目で睨んだ。 「へ、へい!」 「絶対言うな! 聞かれても乗っていないと言え! わかったな」 「はい! わかりました」 牛若は懐から切り銀が入った袋を出してきて、一掴みすると、それを船頭に渡した。 「行け!」 船頭は手に渡された銀を見て 「ひえー銀か? それもこんなにたくさん! おわー!」 船頭は大いに驚き、馬上の若者に頭を何度も下げた。 寺にて 寺の門前に来た。弁慶が過去に修行した寺である。 「ここか……」 「はい」 弁慶は気乗りがしなかった。「受け入れるわけが無い」 「まかせろ!」牛若は軽い口調で門をくぐった。 「住職はいるか?」 子坊主に問うた。 「はい」 やがて奥から住職がやって来た。 「あ、べ、んけいか?」 すぐに弁慶だと解り身を固くした。 「この弁慶を匿ってくれるか?」 見知らぬ男に唐突に聞かされた住職は驚いた。 「ええ? 匿う? 手配中の者を? そ、それは……」 「お前の所で責任持たぬからこうなったのであろう」 「し、かし……、先代の頃のことで、先代は亡くなり……」 「あなたではないけれど、坊主であろう。最後まで責任持て!」 「んんん……」住職は苦い顔になっていた。 「男の道って言うのは、困った人間を助けるのが正道ではないのか? 預かってもらわねば困るな。それにもう昔の暴れん坊ではない。人の言う事はちゃんと聞くし、寺の助けにも少々なるであろう」 「むむ……」 「それでも放り出すのか? それでも良いぞ!」 牛若はキリッと睨んだ。 寺側は悩んだ。 「ところで、あなたはどなたですか?」 住職が問うてきた。 「わしは牛若だ。わしと勝負するか?」 「うっく……」 今をときめく牛若丸の剣の達人の噂は国中に広がっていた。弁慶を打ち負かしたはずの牛若丸が弁慶を庇ってこの寺に来た意味が理解できなかった。しかし考え直した。 「(避けられんな)」住職は観念した。 「わかりました」 「受け入れた! 信じられん」弁慶は驚きの顔をした。 「匿ってくれるか? さすれば、わしは用事がある。出て行かねばならん。頼むぞ」 牛若は背中から妖刀を引き抜いてそれを見せた。刀は青と白の炎がゆらめき、何ものも断ち切ってしまうであろう鋭い刃が皆の心を凍らせた。 ざわついていた周りの空気が一瞬冷めた。 「ぉぉ!」 「頼んだぞ」牛若は住職に弁系を委ねた。 「分かりました。それが弁慶を助けると言うことでしょうか。あなた様は仏様ですか? それとも神様ですか? そのような刀を持った御人はおりません。いったい弁慶をどうしたらよろしいのでしょう?」 住職は困惑した。 「修行をさせよ、精神の修行」 「修行ですか」 「また帰って来る。(役人に)通報もよいがどうなるか解っておるな」 牛若はやんわり脅した。 「分かりました」 住職は深く頭を下げた。 「渡しておく」 牛若はそう言うと銀の入った袋を二つ住職に渡した。 三月(みつき)が過ぎた。 「若!」 牛若を弁慶が喜んで迎えた。 「元気にしていたか?」 「はい、若のお陰です」 「そうか」 しかし牛若は弁慶の瞳の奥に影が見えた。 「牛若殿、お帰りなさいませ」 住職は牛若を快く迎えた。 「どうぞ、牛若殿はお酒でございましたね」 「うん」 住職の部屋で牛若は酒を馳走になっていた。 「弁慶は真面目にやっておるか? 暴れていたら困るが」 「どうですか、真面目にやっております。毎朝、四時に起きてぞうきんがけや掃除を一生懸やっております。皆、感心しております」 「不便はないか? 何でもよい。都合は付けるぞ」 もじもじしていた住職であったが、意を決して牛若に訴えた。 「あの……、実は見ての通りうちの寺は貧乏寺でございまして、荒れた寺の修復もままならず、尊像もいたわしい状態で……。それに仏像も痛み過ぎております。叶いますなら仏像を五体、迎えさせて頂きたい」 「解った、見てみよう」 住職と牛若は本堂に入り、状態を見た。 尊像である薬師如来像はほとんど金が剥げ、下の木目模様がしっかり見えるほど痛み、情けない姿を晒していた。 「あれを新しいのにするのだな」 牛若が言うと「いえ、そうではありません。あの尊像は先々代より預からせて頂いている物、代々伝わる宝像でございます。できますなら修復したいと存じます」 「そうか、解った。(新しいのを作る方が早いのだがな)ではそうしよう」 牛若は庭に出た。その先に弁慶と修行僧達の姿が見えた。 「ほら弁慶、水持って来い!」 「はい」 「おい弁慶ここも拭いておけ」 「はい」 「なんだこの掃除は、お前はいつまで経っても一人前に出来ないな」 「……」 弁慶は大きななりをしていたが、僧たちのいじめにぐっとこらえている様子だった。 「(あいつら、弁慶を怒らせて暴れさせ、追い出そうとしているな)」 牛若はすたすたと彼らの所まで行った。 「はっ」 と気付いた弁慶が慌てた。牛若が彼らをやっつけるのではないかとうろたえた。 「あ、牛若殿だ! 牛若殿だぞ! みんな!」 彼らの中にも牛若の光る刀を見たことがある者がいて話を聞いた事がある為、自分たちが切られるのではないかと一瞬怯えた。自分たちのしている事に追い目があった。 「おお、みんな、ご苦労さん。いつも弁慶と仲良くしれくれているのだな」 牛若はにこにこしながら皆の所に行き、声を掛けた。 「前のように弁慶は暴れないだろう? もしそれをやったらわしが謝らせるから、ここに置いてやってくれな」 「……」 修行僧たちは戸惑っていた。 「飯だけ食わせていればよく仕事をするからいじめないでくれるか」 牛若は優しく頼んだ。 「(いじめているなんて、和尚さんに言われたらどうしよう)」 僧たちは一瞬身がすくんだ。 「和尚さんには言わないついでにこのことも言うなよ」 そう言うと牛若は僧たちにそれぞれ〝切り銀〟を握らせた。 「なかなか外には出れないだろうが、持っておっても邪魔にはならんだろ?」 「うわー! 銀だ! 初めて見た」 「これ一つで家が建つのだぞ? 知ってるか?」 「へー! すごい! 宝だ、牛若様、どうもありがとうございます!」 皆、手にした三角形の切銀をまじまじと眺めながら、驚きと同時にとても喜んでいだ。 「弁慶と仲良くしてやってくれな」 「はい! 若さま!」 皆大はしゃぎであった。 「弁慶! 本堂へ行って仏像五つをそこの池の前まで持って来い!」 「え? ああ、はい、若」 その意味はわからないまま弁慶は牛若の顔色を見ながら本堂へ向かった。 「……」 弁慶は本尊の前に来るとうやうやしく両手を合わせ拝んだ後、それを抱き上げた。 「フンム……」 人の等身大ほどの本尊は薬師如来で、頭から尻までの木彫りの像。裸像である。頭髪は巻き毛で両手はゆるりと下に下ろし、そのまなざしは地(ち))を見つめていた。すでにぼろぼろに金は剥げ落ち、木目の像は充々痛々しかった。 「これでは誰も参りには来ないか……。御利益が期待できそうもない御本尊では参拝人が来ないと言うのも無理ないしな。しかし若はこれをどうする気なのだ?」 弁慶はぶつぶつ言いながらも重い仏像を一人で運んだ。 五つの像を前部出してきたところで牛若は言い放った。 「これらすべて池に放り込め!」 「え? 池に? 良いのですか?」 「良いに決まっている。早よせい」 そう言われて弁慶はうやうやしく像を池に入れた。 ドボン! 牛若は本堂へ赴いた。 すると桶と水と手ぬぐいを用意させた。そして像のあった跡の床を水で濡らした手拭いで自ら拭き出した。 「おお! 殿! それは私どもがやります」 住職はあわてて牛若を止めようとした。 「構わん、わしがやっておく。わしの仕事じゃ」「なりません! 殿!」 「住職、その殿というのはやめてくれぬか?」 牛若は殿という呼び名も若様という呼び名を嫌がった。 「しかし、若様は源家の御子息。いずれ殿さまに……」 「望んではいない事だ」 「では牛若様で……」 「(名前はあまり知られたくは無いのだが……)」 「若! すべて池に入れました」弁慶がやって来た。 「では五日ほど水に沈めておけ! 木が膨れてきて金が剥げてきたら転がして金箔をすべて取っておけ。取れたら水から出して乾かしておくのだ」 牛若は弁慶に後の事について指示を出した。 「はい、わかりました。金箔を取っておくのですね。任せて下さい」 二十日後 牛若は寺の敷地の一角に鋳造所を構えさせていた。 「ここで金の仏壇を作るのだ」 驚いたのは住職。 「若様、金箔ではないのですか?」 「当り前じゃ。わしは金の像と思ったが、住職が嫌がったので金を被せる事にする」 「おおー!(いったい金がどれほど要ることか)」 住職はその器の大きさに驚きを隠せなかった。 鋳造の職人と仏像作りの職人を呼び、いよいよ仏像を仕上げる事になった。 職人は溶かされた金を筆で塗っていた。 「おい! それでは話にならんな」 牛若は筆では金はうまく張り付かない事を嘆いた。 「はあ……、木目が浮き上がります」 「ではどうする?」 「はい、上からかけます」 「上からかけるか? はっはっはっ」 牛若は笑った。 「住職様は怒りませんか?」 職人はそっと聞いた。 「怒らぬけど……。まあ良いわ、そうせよ」 牛若はにこにこしていた。 仏像の上から金の液をバサリバサリとかけ、数日間乾かしてまたかける。下に貯まった金はまた溶かして腰のあたりに横からかけ、まんべんなく金をかけ回す。 全く贅沢な金の使いようであった。 ひと月以上かけ、光輝く金の仏像が五つきっちり仕上がった。 「できた!」 「出来たぞ」 「良い出来じゃ」 職人たちは満足感を覚えた。 「こんな良い仕事をしたのは初めてだ」 「何というすばらしさ! これは!」 本堂に運ばれた本尊は、金の分厚さにひと周り……、いや! ふた周りは大きくなった。 きらきらと輝くそれはお堂の中でも真昼の明るさ並みに反射し合っていた。 何よりその美しさである。なめらかな肌に妖艶な笑みをたたえた切れ長の目とやや膨らみのある唇は何とも言えぬ色気を漂わせた。 それが五体もあるわけだから、後光さえ覚え、皆の目と心を奪った。 「おおー! 如来降臨!」 住職はひざまづき、手を合わせた。 住職に続き寺のものは皆、手を合わせ、経を唱えた。 すでに寺の修復も行われ、着々と改装は進んでいた。 「和尚様、素晴らしい出来でございますね。このまま行けば離れつつある檀家衆が帰ってきますね」 一人の修行僧が口にした。 「うむ……」 「和尚様、牛若殿はいかにも信心深い方でござりますね」 にこやかに言うと 「ばかもの!」 和尚は一喝した。 「皆、本尊の前に集まれ!」 住職は皆を集めると説教を始めた。 「皆聞くが良い。この寺を立て直して下さっているのは知っての通り牛若殿じゃ。感謝に余りある。なんと奇特なお方であろう。しかし牛若殿は宗教になんの趣(おもむき)も心を寄せる事もない方である、この大事業は寺の為でもなく、私やお前たち僧の為でもない。まぎれもなくこれは弁慶の為にしておる事である。牛若殿は弁慶に刃を向けられたにもかかわらず、成敗するどころか一筋に弁慶を庇っている。弁慶は幼くして親に捨てられ、心を許した住職に裏切られ、やっと安らげる身内を見つけるも人に騙され、あげくに妹を失った。牛若殿は弁慶に純真を見たのである。何も良い思いをしていなかった弁慶のことが不憫であると同時にその純真さに何より弁慶を大事に思い、守りたいと思う気持ち一心からである。お前たち、人と言うのはただ一人の為だけにどれだけの事が出来るかを学ばせてもらってはいないか? 真面目に行(ぎょう)を積んで行こうとしている弁慶に対してお前たちはどうあるべきか? これからの日々を戒め、牛若殿に恥ずかしくない言動をすべきだとは思わぬか? 常に敵の目に晒されるいる牛若殿だから解る孤独であり、弁慶をいじめの的にされたくないのだ。つまり、弁慶ただ一人の為にこの寺に大金をはたいているのだ!」 「……」「……」 「……」「……」 「……」「……」 和尚に言われ、皆、頭(こうべ)を垂れた。 三月後 本堂に続く寺の参道には行列が続いていた。 「寺がすごい事になっているらしい」 「見たのか?」 「ああ、すごい仏様だ! お堂もきれいになっているんだ」 「如来様を拝むのだ」 「ありがたや。ありがたや。早く拝みたいよ」 次々に訪れる参拝の者たちは、きらきら光る仏様を見て驚き、またありがたがり、喜んで賽銭を投げ、幸せそうに帰って行った。 それは毎日続いた。 牛若はその横で深く頭を下げた。 「ありがとう」 僧たちにはなぜ牛若が頭を下げるのかが解らなかった。参拝の者が賽銭を投げて、頼みごとをして帰る。頭を下げるのは参拝客の方だ。 「みなさんお賽銭を入れてくれてありがとう。みなさんもお金にも苦労があるでしょう。私らも食べるものも大変で芋とか食べながらやっています。みなさんの寺への気持ちがうれしいです」 牛若は深く頭を下げ、みんなをねぎらった。 「ええー? はあ……」 「それは、どうも」 「頭の低い方だ」 寺に礼を言われるとは思っていなかった為、皆戸惑っていたが、良い気持ちになった。 牛若が頭を下げるので住職も頭を下げた。修行僧も頭を下げた。 参拝の者も頭を下げた。そこには心ゆかしい気で満ちていた。 ある日の事 牛若はある青年の姿が目に入った。その青年は思い悩む表情をしていた。その手には賽銭が入っているであろう小さな布袋を握りしめ『入れようか入れまいか』賽銭箱の前で迷っている風であった。 牛若は青年に近づくと「どうぞ中へ」と本堂の中へ案内した。 「なにか悩みごとがあるのですか? よろしければ伺いますよ」 青年はふっと顔を上げた。 「はい、実は母が胸の病で、助からないかもしれません。ここに来てお布施することで治るならばと、参ったのです」 胸の内を心細く語った。 「そうでしたか、その大金を布施に使うか病の母の治療に使うかさぞ迷われたことでしょう。解りました。一発で治しましょう!」 牛若は言いきってしまった。 「ええ!」 「おお?」 二人の会話は外に聞こえていたので皆がどよめいた。 「三日待って下さいよ。必ず治します」 「本当ですか、ありがとうございます」 牛若の頼もしい言葉に青年は大いに喜んだ。 その夜、牛若は青年の母を透視した。 「やはり肺に岩(腫瘍)が出来ている。他の臓にも移っている。少し手強いがやっておくか」 牛若は左手を開き、そして閉じた。 「くく……」 牛若は少し苦しそうに顔をゆがませた。 「ごぼっ……」 刹那血を吐いた。 「げほっ、ぐほっ……」 牛若は異物を咳いた後、口の周りの血を拭きとりそのまま寝間に倒れこんだ。 三日後 あの青年が牛若の元に駆け込んで来た。 「ありがとうございます! ありがとうございます! 母が……、母の顔色が良くなり、元気になりました。今朝はかゆが食べれました。なんといって良いか……ありがとうございます」 涙ながらに礼の言葉を述べた。 「治りましたか。それは良かったですね」 牛若はほほ笑んだ。 「本当に助かりました。あなた様は生き仏様です。ありがとうございました」 青年は手を合わせた。 「わたしは仏ではない。ふふっ、それより母親に言うておけ! 肺の病は小さな土や砂や埃が病のせいになることがある。肺は一度土などが入ると外に出る事はない。気をつけねばならん。きっと母親はいままで精を出して田畑を耕してきたのであろう。今度からは口・鼻は手ぬぐいなどで覆い、土埃には気を付けて仕事をするように言っておくが良い」 牛若は原因と予防を教えてやった。 「はい、ありがとうございます。そう伝えます」 青年は何度も頭を下げ寺を後にした。 その後寺には噂を聞いた者たちが次々と訪れ、寺の御利益を授かろうとが人々が押し寄せた。 「(これで弁慶も寺の行く末もうまくいくであろう)」 牛若は安堵した。 一月後 また問題が持ち上がった。 ある商売人が困り顔で牛若の元にやって来た。 「若様、どうか聞いて下さい。今、町では大変なことになっております!」 その男は非相な顔つきで飛び込んで来た。 「どうしました、だんなさん」 牛若は中へ案内した。 「若様『切り捨て御免』です」 「なに? 切り捨て御免?」 「若様、今町で『切り捨て御免』なる朝廷の制度が出来ております。朝廷及び武士に逆らった者は切り捨ててもよいという制度です。それを盾に誰かれ構わず切り捨てようとする者が出てきております。どうか助けて下さい!」 急ぎ牛若は町に出むいた。 町には反物屋やまんじゅう屋や飾り職の店などたくさんの店が出ていた。そこに数人の若者の集団が肩を揺らせながら通りをかっ歩していた。 ふと一人の若者が店に並べてある饅頭を掴んだ。そして口に入れ、そのまま歩いて行こうとした。 「あの、お代を……」 店の女は饅頭の代金を貰おうと、その男の背を追った。 「何だ?」 男が振り向いたと同時に 「無礼を言うた! 切る!」 と言い、刀を抜きバサッとその女を切ってしまった。 「ひぃ~」 「まただ」 「また無礼打ちだ」 町の者はここの所無礼だと称して民を切り捨てていた。 「『切り捨て御免』であるからな」 男はそう言い周りの者に知らしめ、その場を離れようとした。 そのとき、後ろから声がした。 「まんじゅう取って、金払わんで、無礼打ちとな……。その女、無礼言うたか?」 桃色の着物の人物が言い放った。 振り返り男は 「なに? お前どこのおなごじゃ」 睨みつけた。 「言わぬ」 桃色の着物の牛若は女のそばに寄り首に手を当てた。 「(脈は、ない……。か)」 そこへいきなり男ども三人が刀を抜いて襲ってきた。 「無礼打ちじゃー!」 すぐさま牛若は三つの剣をカカンッと鞘で跳ね返した。 男たちは尚もいっせいに襲いかかるが、牛若の素早さに一太刀も当てられない。 牛若は刀を抜くと、棟(むね:刀の刃の反対の背の部分)でドッズッドンと鈍い音を響かせ、三人の身体に命中した。 輩の一人は右腕を折られギャーギャーとわめいていた。 「うっ、うう……」 もう一人は背中を打たれ息が出来なくて苦しんでいた。残り一人は腹のあたりを押さえ門悦していた。一瞬の出来事であった。 「おい! 逃げるぞ」 到底勝てそうにもないと察した彼らは何か叫びながら転がるように逃げて行った。 パチパチパチ――。パチパチパチパチ――。 町の衆が手を叩いた。拍手の嵐であった。 「すごいな、強いな」 「あいつらとんでもない奴らだ。前もここで「切り捨て御免」と言って〝物乞い〟を切っていた。 「良くやってくれました。胸が透く思いだ」 「でも、仕返しに来ないかね。なにせ奴らの親はお武家とお役人だよ」 反物屋のおかみさんが心配そうに言った。 だが、牛若は平気な顔をしていた。 「(来るなら来い)」 会議室にて 「旦那さま(が)おいでました」 ス―っと部屋の下手の障子が開いた。 天皇が催す会議の部屋まで許しを得るでもなく素通りしてくる牛若。 天皇は牛若に気付くと「こっちへこい」と、手で小さくちょいちょいと手招きをした。 牛若は天皇より『ひいき』を受けているため御所であろうといつでもどこでもお構いなしに振る舞えた。まさに天皇は牛若が大のお気に入りで彼をいつでも歓迎した。 『判官贔屓』(はんがんびいき)という言葉がささやかれるほど天皇は牛若にひいきした。 牛若は判官の地位を受けてはいるが、仕事の命令を受ける事は無く自分の思ったように町を見周り、自分のやり方で罪人を取り締まったりしていた。 下座の左手から入ってあたりを見回した。 中央の座に後白河天皇が椅子に座っており、牛若に向ってにっこりと頬笑んでいた。 右手は赤い裃(かみしも)の官僚が十数人並び、左手は青い裃の官僚が十数人、それら全員が牛若の入室を唖然として見ていた。 「酒!」 その場にどっかと座り、ひと言発した。 すかさず天皇はぽんぽんと手を叩き、すぐに酒を持ってくるよう命じた。 御所では牛若が飲む酒は常に用意してある。その為ほとんど待たせる事なくすぐに酒が運ばれてくる。 酒徳利と大きな湯呑みが置かれると「殿、どうした。一杯注ぎに行きましょうか」 そう言い、牛若が立ち上ろうとした。 「おお! わしが行くわ。盃!」 天皇はそう言うと、真ん中をすたすたと歩いて牛若の前に歩み出た。 「あ、りえぬ……」 官僚たちは、事の流れにのけぞった。 牛若は運ばれてきた湯呑みに酒を注いだ。 「殿、楽しい酒飲めてますか?」 天皇に問うた。 「う~ん……」と鈍い返事であった。 その時、周りはひそひそと話をしだした。 「何の用事でしょう?」 「さあ、今は御前会議中ですぞ」 「どういうことだ」 「勝手に入場し無礼にもほどがある」 「あの牛若なる者、後ろに大きな男を連れていると言う。その男は千人切ったと言う弁慶ではないのか?」 「取り締まる役のあ奴が罪人を連れまわっている。これは由々しき事」 「しかも夜はその男寺におると言う。昼は牛若と共に。夜はわしら奉行所が手が出せない寺に守られている。やっきになって弁慶を狙っているが捕らえる事が出来ない」 「まことに賢い奴じゃ」 「上様も何を考えておいでか」 その時 「うるさいわ!」天皇は官僚たちに向かって一喝した。 そして牛若の報告に関心ありで問うた。 「ところであっちはどうであった? 豪農が百姓から無謀に取り上げた年貢米。それを豪商に渡り、またそれをどこぞの官僚に渡っていただと? そしてそれぞれ米をはねていたと言うたな」 「そうです殿」酒を煽ると牛若は認めた。 「で、それは?」 「取り上げた米は一旦朝廷の蔵に入れた後、民にまいて来たし、二重帳簿の件は今調査させておりますよ」 「で? 蔵から出した米や麦、どこまで行って来たのだ?」 「ああ、尾張の方まで行ってきました。全部撒いて来ました。多すぎてきりがないかと思いました」 「そうか、それは『朝廷からの……』になっておるのか」 「そうです」 「そうかそうか……。うんうん」 いささか天皇はご機嫌であった。 「ところで殿、近頃おかしな話が聞こえてきているが……」 牛若は官僚の面をぐるりと見渡した。 目があった官僚は「は!」と身体をびくつかせ、目を離した。 皆、頭を下げ顔を隠し、誰もこちら側を見ようとしなかった。 「(牛若含め源氏を取り込んでわれらの味方にすればよいのではないか?)」 「(敵に回しては合わぬ。しかし好き放題させておくわけにもいかぬ。近頃は上様もあ奴に惑わされておる。いざの時は……)」 当然牛若の存在は目障りだと思う者がほとんどであった。しかし妙な剣を使うし、切り殺される事を恐れ、正面切っての勝負は避けていた。 だが、すでに官僚たちの腹の声は地獄耳を持つ牛若には聞こえていた。 「(何のための政治か、自分の事しか考えない奴らめ。たたっ切ってやる!)」 さっと立ちあがった牛若は、背から妖刀をするするっと出した。 その青と白に光る妖刀は皆を威圧するにた易かった。 一瞬にのけぞった一同に向かって牛若は言い放った。 「わしは天皇の味方である! お前らの誰の味方でもない!」 官僚の中には後ろに逃げ小さくなる者もいた。 「やはりな、お主な」天皇は一言発した。 「お主とは?」牛若は問うた。 「わしを守ってくれるのはお主しかおらぬと言う事じゃな」 「そうですね」 牛若の言葉に手を叩いた天皇。 「酒、料理も持って来い!」パンパン! 気を良くした天皇は追加の酒と料理を命じた。 ふと一人の官僚が妖しい動きをした。目配せで兵を動かそうとしたのだ。 その時、牛若の手に持つ妖刀は下から上に切り上げられた。シュバー! 青と白の光が妖刀の先から飛び放たれ、目的に向かい走った。 シュン!! 光は先ほどまで座っていた天皇の王座の真ん中を抜けた。 玉座は右左に転がった。周りの者は皆息を呑んだ。と同時に「出あえ!」「出あえ!」何人かが叫んだ。 「天皇の王座を……、よくもやってくれたな」 この時とばかり、牛若を捕らえる口実が出来た。王座を断ち切るなど逆賊の他でもない。 「謀反だ! 上様を護れ!」 官僚の一人が兵を出す命を出した。 「家来でも護衛でもなんでも呼ぶがよい。そのくらい予測しておるわ。出して来てみよ。お前らも無事では帰れぬけどな!」 牛若の目は怒りに赤く燃えていた。 天皇が立ちあがった。 「椅子くらい構わぬ! 牛若が何故にこれだけ怒っているのか解らぬか? お前ら金を追うては派閥じゃ領土の獲り合いじゃと勝手に争いばかりしおって。うんざりじゃ! 終いには命(めい)を下すぞ! どんな命か解っておるのか!」 一同は天皇の意外な言葉に『えっ?」』と動きが止まった。 「牛若に〝皆殺し〟を命ずるぞ!」 ギョっとした官僚たちはうろたえた。 「生き残りたい奴は出て行け!」 天皇は叫んだ。 その言葉に皆、すごすごと部屋を出て行った。 結局牛若が無礼三昧をしても誰一人として天皇を守れなかった。天皇はがっくりと力なく肩を落とした。 〝信用できる者などいない。命がけで天皇を守るものは一人もいない〟と言う事を牛若は天皇に教えた。 「飲め!」 牛若は酒を注いだ。 「誰が出したのだ」 「何?」 「〝無礼打ち〟だの〝切り捨て御免〟だの、そんな決まり事を誰が作ったのだ」 「う……」 牛若はものが言えないでいる天皇に詰め寄った。 「わしがここで切り捨て御免で片っ端から切り捨てて行って良いか?」 「うう……」 天皇は言葉が出ないでいた。 「武士は偉くないぞ。農民たちが田畑を耕してくれるから武士らは飯が食えるのだぞ。どうして農民や民が無礼なのだ。なぜこのようなものができるのだ!」 「……」 返事が出来ない天皇に向かって 「取り消しにするか!」 牛若は聞いた。 「そうしよう」 天皇は素直に従った。 その日より『切り捨て御免』の制度は無くなった。 しかし、『仇討(あだうち・かたきうち)』の制度は残っていた。 身内を殺された遺族は君主の免状があれば仇討が出来る制度である。 「あだうちか……」 ある町中で睨みあう三人がいた。 「夫の仇!」 頭に白い鉢巻きを捲き、襷(たすき)をかけ、短刀を構えていた女がいた。横にはまだ幼い女の子が――。同じように額に白の鉢巻きをつけ、短刀を握っていた。 二人の前にいる男は武士らしく、およそ女子供では勝てる相手では無さそうだ。 「おい、あれは仇討ちだぞ」 「おお!」 町の衆がぞろぞろと集まってきた。 その男は今にも腰の刀を抜こうとしていた。 「もし……」 牛若は声をかけた。 「は!」と振り向く女。 「免状は持っていますか?」 その言葉に女は胸から君主の免状を出してきた。 「おい(弁慶)!」 そう言われて弁慶は前に進み出た。 牛若は免状を確かめると弁慶に親子の援護するよう目配せをした。 「助太刀は構わぬからな」 牛若の言葉が言い終わらぬうちに 「やー!」――ブン! 弁慶の振り切った薙刀はた易く武士の首をはねた。 ドン。――ドサッ。 「ええ?」 「すごい」 「一発だ」 周りの見物人は事の早さに大いに驚いた。 「あの、だんなさま……」 女はうろたえていた。なにせ命を懸けて挑もうとしていた相手を助太刀とはいえ、一撃で終わらせてしまったものだから動揺が止まらない。 仇打ちの場面にちょうど通りかかった牛若たち。彼らの助っ人によって女は見事仇を取る事が出来た。 「おい(弁慶)」 「はい」 弁慶は女の元に行き、手を出して包みを求めた。 女は胸元から紫色のかきつばたをあしらった家紋入りの風呂敷包みを出した。 弁慶は打ち落とした武士の首をそれで包んで女に手渡した。 女は牛若の元に近づいた。 「ありがとうございました。これで主人の仇を打つ事が出来ました。主人も思い残すことは無いと思います。今より城に向かいこれを届け、見聞して頂きます」 「そうせよ、褒美をもらうが良い」 牛若はほほ笑んだ。 女とその子供は深々と頭を下げ、国に帰って行った。 牛若は寺に帰った。 「おお、若様、お帰りなさいませ」 「住職、達者であるか?」 「寺も人は多く出入りし、檀家も増え随分賑やかな寺になりました。これも若様のお蔭でございます」 「そうか」 「あのような立派な仏様を安置させていただきますと今度は警備に力を注ぎませんと……」 金の仏像に今度は違った心配が出てきた住職であった。 「おるではないか、警備は……」 牛若はにこにこしていた。 「ああ、弁慶でございますか。確かに薙刀を振っております。しかしあの薙刀は堅固でございますな。一流の刀鍛冶の仕事と身受けます」 「(それはそうだ、千本の刀の中から良い物を溶かして叩きに叩いたものだ)」 二人はにこりと頬笑み合った。 ある日の事 「弁慶!来たぞー! 飯食うたか?」 牛若は弁慶を訪ねた。 「若!」 弁慶は嬉しそうに出てきた。その顔は腕が鳴ってむずむずしていた表情であった。 「いっぺん勝負するか!」 「はっ」 牛若に言われ、嬉しそうに答えた弁慶。腕を試したくて仕方がなかった所だ。 もちろん真剣で――。身がまえた二人。 「参りました言うなよ弁慶」 「はい、若!」 「その時は死ねよ」 「はい、若!」 試合が始まった。 ブン――、弁慶は思い切り長い薙刀を音を鳴らして振って来た。 キン! ガッ! ブン! ブン! キンキン!! 力を試す弁慶だが牛若一歩も引かない。僧侶たちは必至でそれを見ていた。 「酒持て来い」 牛若は手加減用に酒を飲んだ。 弁慶の力とは、普通の人間がまともに受ければひとたまりもなく押されるが、牛若は内から出る妖力で戦う為、出過ぎる力を加減する必要があった。酔うたように身体を柔らかく揺らし、弁慶の薙刀をすいすいとかわした。 しばし剣を交えた後、弁慶に疲れが見えてきた。 牛若は左手を開き一瞬で弁慶の身体を止めた。ピタッと止まった弁慶の額の真中を人差し指でコンッと突いた。 すると弁慶はいとも簡単にころんと後ろに転がった。 「へえ~」それを見ていた周りの者は驚いた。 「今一度!」弁慶はまた向かってきた。 カンカンカン! 普通の刀で受けていた為、カーン! と牛若の刀の半分が飛んで行った。 「たー!」 弁慶はこの時とばかり勢い込んで剣を振りおろして来た。 ブン! 牛若はサッと左手を突き出した。と同時に弁慶は何かにふき飛ばされるように勢いよく後ろに吹っ飛んだ。 どおん!「うーん……」 弁慶はその拍子にのびてしまった。 するとある者がやってきた。 「わしが出る」 なんと齢七十の住職が前に出てきた。 「う、なんと……」 牛若は困った。 「転がすわけにもいかず……」 「やー! やー! とー!」住職は自慢の薙刀で仕掛けてきた。 仕方なしに住職の剣を全て受け、疲れ果てるまで相手をした。が、やがてその時が来た。 「はあっはあっ……、参りました、勝てません」 住職は降参した。 「酒!」 牛若は縁台に上がると酒を飲みだした。 「おい! 住職、飲もう! おい! 弁慶も飲め!」 そう言うと住職にも酒を飲ませた。 「わっはっは……」 「あははは……」 三人は夜更けまで酒を飲んで騒いだ。 「良いか弁慶、今後とも人は殺すな。わしの許しがあるまで殺すな。わかったな」 「はい、若」 「弁慶には寺の警護をしてもらう。頼んだぞ弁慶」 住職はとても機嫌が良かった。 牛若が口を開いた。 「弁慶の身体は人の二倍はあるゆえ、合う鎧がなかったな。穴のあいた銭を結んで作らせようと思う。待っておれ」 牛若の言葉に「いえ、若、わしに鎧など要りませぬ。わしの身体を射る矢も貫く刃もありませんわ。わしは剛鉄のからだゆえ……。わっはっは……」 「剛鉄の身体か、わっはっは……」 「はっは……」 今宵、久しぶりに酒を飲んで皆良い気分になった。 人を憎みながら生きてきた弁慶にとって、本心から安らぎを覚えるひと時であった。 その騒ぎに町の民たちが集まって来た。 「こいつら何かと難癖付けて私らの上がりを奪って行く族だ。悪い奴らだ」 「僕の妹を無理やり連れて行こうとした奴だなお前!」 「こいつは役人とつるんでいる奴だ。皆でやっつけよう!」 町の衆はこの時とばかり手に棒を持ち奴らを叩き始めた。 「痛てー、やめろ!」「やめろー」 足蹴にされ地べたに転がされた彼らは、体中泥だらけであった。 「やろう! 覚えてろよ!」 やがて輩達は逃げ帰って行った。 「はっはっは……」 牛若は笑いながら一人の男を呼んだ。 「勇気とは良いことだ。店主、明日の昼、人をたくさん呼んでおけ! 良い事があるぞ、ははは……」 「人を? よい事?」 「おお、弁慶御苦労! 帰るぞ!」 「はい若! 乗って下さい」 弁慶は近づくとすっとしゃがんだ。 そして肩に牛若を座らせるとすっくと立ち上がった。 「おおー! 良く見える! 絶景かな! ふふ……」 弁慶の肩に乗った牛若は喜んだ。 牛若を乗せた弁慶は、勇々と帰って行った。 「日が暮れて来た。弁慶、出かけるぞ」 「へ? どこへですか」 「付いて来い」 小川の横の道を通って町に出る途中にある集落が出来ていた。牛若はちらと見たが、先を急いだ。 牛若と弁慶はある屋敷の門の前にいた。 「弁慶、お前はここで待っていろ。入って来るな」 そう言うと牛若は門に近づいた。 そして門に吸い込まれるように牛若の身体はすーっと消えて行った。 「え? 若? 若?」 門の所まで行き、押してみたが開かない。当然門にはかんぬきが掛かり、開かなかった。 「若、どこへ行ったのだ。こんな頑丈な門、入ってくるなと言われてもなあ」 いきなり目の前の牛若が消えたものだから、弁慶は驚いた。どうしたらいいのか困り果てた。 「わし、夢を見たのか? いやいや、確かに若とここまで来て……、こんなこと前にもあったしな、若はいったい何者なのだ?」 そうこう悩んでいるうちに ドシン、ドシン! ドーン、ドーン! 重々しい振動に弁慶は尻もちをついた。 「うわ! なんだ?」 なんと地を震わせたのは米俵であった。 「なにー? こ、米俵? なぜここに?」 何もなかった所に米俵が四俵も落ちてきた。 弁慶は尻を突いたまま口をあんぐり開けていた。 「あ~あ」 突然、ため息をついて牛若が現れた。 「あの蔵には米しかなかった。おや何をしている弁慶、早く運べ!」 いつの間にか牛若がそばに立っていた。 「え? 若! いつの間に? ああ、はい」 弁慶は言われるままに両肩に米俵を二つずつ抱え上げた。 「よいせ! 若! どこへ?」 四つの米俵を抱えているにもかかわらず、にっこり笑っている弁慶。米俵を担ぐのは嫌いではない。 「お前本当に担げるのだな、大したものだ」 牛若は自分でやれと言っておきながら、今さらながら弁慶の怪力に驚いた。 昼立ち寄っていた茶屋の前に来た。 「おい店主」 「はい、若様。昼間はお疲れ様でございました」 「これを預かってくれ」 「え? それは、米……ですか? 解りました、お預かりします」 「弁慶、三つ置いておけ」 「はい」弁慶は米俵三俵をどん! どん! どーん! とその場に置いた。 「明日の昼また来る」 牛若はそう言うと、さっと店を後にした。 左の肩に米俵、右の肩に牛若を乗せて弁慶は家路を歩いた。 「若!」 「なんだ?」 「今日の事は……、ええっと、何ですかね?」 弁慶は聞かずには居られなかった。目の前で牛若が消えたり現れたり、米が降って来たり――。夢ではないかと思ったが、こうして米を担いでいるし――。 「弁慶」 「はい若!」 「気にするな!」 「ええー?」 「明日も行くぞ!」 「若ぁ―!」 途中、出かけるときに見かけた小川のほとりの小屋まで来た。 「弁慶、それをここに置いて行け」 「へ? わしらの米でないのですか?」 「違うぞぉー」と軽く牛若に言われ、弁慶は久しぶりに米がたらふく食えると喜んでいたのにがっかりであった。 「……わかりました若」ドンとその場に米を置いた。 「誰だ!」 「なんだ?」 「何?」 ぞろぞろと小屋の中から子供らが出てきた。 年長の男の子が警戒しながら 「何者だ!」 棒きれを構えて威嚇した。 「お前が長(おさ)か? 置いておくぞ。これ食え!」 牛若はその子に言い渡した。 「え? これは?」 男の子は中身が何かは想像はついた。 「食っておけ」 牛若はその場を後にした。 「あの」 男の子が声を出した。 「ありがとうございます」 男の子は牛若たちに向かって深く頭を下げた。 「ありがとうございます」 小さい子らも長に続いてぺこりと頭を下げた。 「なに?」「わあー、わー」 子どもたちの歓声が二人の背中に聞こえた。 「ぶつぶつぶつ……、ぶつぶつぶつ……」 帰り道、弁慶は何か呟いていたが 「よいではないか弁慶、あいつらは戦などで親がいなくなったり、食えなくて捨てられたり、預けられた所から逃げ出して来たりした子らの集まりだ。食えていないのだ。米の一つや二つ大した事ではない。お前は人助けをしたのだからがっかりするな。明日うまい物を食わしてやる」 牛若はにこにこ顔で言った。 「人助け……」 人助けなどやったことがない弁慶は、その言葉に足が止まった。 「人助けをしたらあの世に行ったとき、閻魔様に救われると聞いたことがある。若、本当ですかね?」 「え? さぁ……、あるかもな」牛若はすましていた。 「わし、これからはたくさん人助けをするぞ。そして死んだら閻魔様に会ってお頼み事をする。あかねに会わせてもらうのだ」弁慶は目を輝かせた。 そして希望がわいた顔で、牛若を「ほいよ」と肩に乗せ、勇んで家に帰って行った。 次の日 牛若は桃色の着物に濃い桃色の袴をはき、市女傘(真ん中が高くこんもり盛りあがった女性用の編み傘)をかぶり、白く透けた上着を羽織っていた。さながら市場に買い物に行くお嬢様の出で立ちであった。 それは弁慶が牛若と出会ったあの橋の上での出来事を思い出させる衣装であった。 「若……、その格好は……、わしてっきりあのとき若がおなごかと思い刀を取りに行こうとしました。大きな間違いでした」 「勝てると思うたか? ふふ、弁慶、牛若の名は知れ渡っていて、わしもいろいろ狙われておる。お前も有名となっている。お前はお尋ね者で今だ手配書は剥がされておらぬ。あのときお前を死んだ事にすればよかったな。その二人が並んで歩けば大いに目立つ。ゆえにわしは女とも男とも分からない者とする。お前はわしのお付きの荷物運びとして欺くしかない」 「は、はい、若」 間髪いれず牛若は 「その名は言ってはならん」 「え? 若……、あ」 「それを言えばわしが牛若で、お前が弁慶であると解ってしまう。一緒におれば、千人刀の命(めい)をわしが下した事になる。二人一緒ではまずかろう?」 「は、はい。解りました若、あ、いや、でもどうして私を連れて歩いてくれるのですか?」 弁慶は危険と知りつつ匿い、一緒に過ごしてくれる牛若の心を聞いてみたかった。 「(不憫ではないか、生い立ちもそうであるが、ばあさんに騙され金を取られ、又、たった一人の家族に死なれて、あのままではばあさんを殺しに行ったであろうし、また罪を重ねる。そして捕らえられ死罪に……。見てはおけなかった。わしが千人目でよいではないか)」 牛若は先を見通せていたかのように思い起こしていた。 「(それに、お前の命も……、そう……。)」 弁慶にはすべては言えなかった。が、どうにか弁慶にとって良い道をと、考え探っていた。 「お前がまだ見たことない物や食ったことない物を教えてやろうと思ってな」 振り向き、にっこり微笑んだ。 「ところで(わか)初めて会った時、あの橋のところで向う脛を叩かれました。あの笛は相当痛く感じました。あの一撃で私の戦いは終わってしまいました」 弁慶は思い出し、感心していた。 「笛? 笛など持っておらん」 牛若はそう言うと 「いやいや(わか)! 持っておりましたでしょう。あの固い竹笛」 弁慶は説明した。 「ああ? ああ、あれね、あれは竹笛ではなくきびじゃ」 「き? きび? きびって?」 「ああ、さとうきび」 「さとうきび……、なぜに、なぜに……、さとうきびを?」 大いに不思議に思い弁慶は問うた。 「かじっていた」 「なぜにかじっていた?」 すました顔で牛若は 「はらへっていた」 「……」 弁慶はじぶんを懲らしめた若者の―― 〝さとうきびの一撃〟に倒れたことを今知り、とてつもなく叫びたくなった。 「やめておけ」 牛若に心を読まれ、また〝一撃〟を見舞われた。 牛若と弁慶は例の旗ごの前にいた。 「ほらほら、皆! ちゃんと並んで、皆の分はあるから」 二人は米俵の米を配っていた。 「米だ! 米が食えるぞ」 皆はとても喜んだ。 「これはな、朝廷からの賜り物だ、受け取れ」 「朝廷からの? これはありがたい、昨日いい事があると言ったのはこれの事なのか、いい事すぎるよ」 「上様、ありがとうございます」 民たちは御所の方角に向かって手を合わせた。 「(どうせ民から取り上げ過ぎた米だ。豪農から取り上げたこの米はもともと民の物だ、返してもらったに過ぎぬ)」 その米俵には『朝廷より ウシワカ』と貼り紙がしてあった。 「『朝廷より』だな、で? なんだこの木を並べたような印は、字か? 名前か?」 一人の若者が米俵に貼られた紙の文字を読んでみたが、その下の字は顔を右に左に傾けてもどうしても読めなかった。 その場に『ウシワカ』の文字を読めるものはいなかった。 その日の深夜 牛若と弁慶はまた別の屋敷の前にいた。 「おい(弁慶)ここで待て」 「はい若!」 「こら、『若』と呼ぶな」 牛若は弁慶をたしなめた。 「いや、でも、夜はいいでしょう? なんて呼べばいいんですか? わか」 申し訳なさそうに弁慶は聞いた。 「お館様とでも呼べ」 「おやかた……、さま」 慣れぬ言葉に弁慶はうつむいていた。 「お!(弁慶)そこに餅が落ちている」 牛若は弁慶の後ろを指差した。 「え? 餅?」 好物の餅と聞いて弁慶はあわてて振り向いた。 しかしどこにも餅は無かった。きょろきょろ捜しながら「若、餅なんてどこにも、あ!」 すでに牛若の姿は無かった。 「若、また消えたぞ。どうなってるんだ。ま、今日も米が降って来るのだろうな。二つでも四つでも六つでも降って来いだ。皆持って帰ってやる」 独り言を言いながら夜空を見あげていた。 ドン、ドン、ドンドン! 米俵が降って来た。 「そら来ました。いらっしゃい!」 弁慶はにこにこしながら米俵を撫でた。 牛若は続いてまた別の蔵の中にいた。 「匂う匂う。ここか!」 蔵の奥の扉を見つけ鍵をガチャっと開けた。 扉の奥には重々しい木箱がいくつも積み上げられていた。 「これよこれこれ」 牛若はその箱のそばに寄った。 そして左の掌をぱっと開いた。そこに青と白の渦巻きが出来た。 「ほいよ!」掛け声をけ、木箱をその渦の中に放り込んだ。 「ほいほい!」 四つほど放り込んだ後 「よし!」 そう気合いを入れると、その渦に牛若も飛び込んだ。 ドン! ドン! ドカ! ドカ! 外で待つ弁慶の目の前に木箱が落ちてきた。 「おおー! 何だこれは!」 弁慶はその木箱を見ると、鍵は外されていた。そしてふたをそっと開けてみた。 「おあー! 金判だー! ええー! 初めて見たぞ、金だ! これは千両箱だ! いっぱい入っている! すごいぞ!」 ドタッ! あとから牛若が落ちてきた。 「あいたた……」 尻をさすりながら牛若は「何をしている弁慶、早よ入れんか!」と催促した。 牛若に促され 「あ、はい、若!」 弁慶は持たされていた麻の袋を懐から出し、木箱の金判を入れにかかった。 カチャ、カチャ、ガチャガチャガチャ――。 金判は二つの麻袋にたっぷりと収まった。 それを弁慶の袖に一袋づつ入れ、先ほど落ちてきた米俵を昨夜のように二つずつ持とうとした。 「うおー!」 弁慶の左右の袖にそれぞれ箱二つ分の金判、そして両肩にそろぞれ二つずつの米俵。 さすがに今日は重いであろうが弁慶は根性で持ち上げた。 「ふんぬー!」 「お前すごいな」牛若はニヤッと笑った。 「うう……、せっかくの若の稼ぎを無駄にはしません」 夜路をでっしでっしと歩いて帰った。 牛若は途中貧しい集落に米を二俵置いた。 その後、ある鋳造所の前に来ていた。 門の前では二人の門番が槍を構えそこの警備をしていた。 「開けろ」 牛若は門番に声を掛けた。 カッ! 「お前何者、ここをどこか知っておるのか」 門番の槍は交差され、二人の侵入を阻んだ。 ここは、朝廷から許しを得ている鋳造所の一つである。誰かれなしに中に入る事は許されない。 「開けぬか!」 牛若はそう言いながら懐に手を入れた。 カチャカチャ 二人の門番は槍を牛若に向けた。 「う!」 弁慶は米を担いだまま足を踏ん張り身構えた。 牛若は懐から札(ふだ)を出してきた。 「解るか?(触ってみるか?)」 その札を見せられた門番は「あ!」っと声を発した。 「え? 判官の? (つまり天皇の?)札!」 二人の門番は槍を下に降ろした。 「ど、どうぞお入りください」 門番達は丁寧に誘導した。 「この判官札を持っておれば、どこなと通れる。お前の好きに使うが良い」 後白河院の言葉であった。 牛若は迷わず鋳造所敷地内の奥まで入って行った。夜中でも鋳造をやっていることは牛若は知っていた。 ザッっと戸を開け 「おい! 米を降ろせ」と弁慶に命じた。 ドドン! 降ろされたのは二つの米俵であった。 親方らしき男がやって来た。その目は疑いの眼であった。 「誰だ! 何だお前たち」 「親方か? これを溶かしてもらいたい」 そう言うと弁慶の懐の麻袋を出させた。 「お! 金判だ」 親方は中の金判を見て反応した。牛若はもう一つの袖から袋を出させた。 「こんなにたくさん、これは確か、うちで作った金判だな」 親方は目の前の男はいったい何者なのだ? という不可思議な顔をして言った。 「朝廷の方でございますか?」 と聞いた。 「(そうしておくか)内密にせよ」 牛若は札を見せながらそう言った。 「解りました、仰せの通りに至しましょう。どうやらお急ぎのようですね」 親方はそう言うと早速金判を炉に入れた。 熔けた金は四角の小さな穴がある鋳型(いがた)に入れられていった。その穴は四十個くらいあり、持ってきた金のすべてを溶かし、順に鋳型に入れて行った。温度が下がって来るとその鋳型はひっくり返されそれの裏をガンガンと勢いよく叩いた。 親指の先ほどの四角いそれはコトコトコトと転がり出された。 普通、赤々と燃えるその塊は、そこから剛鉄の鎚で叩かれ平たく伸ばされ、金判となるのだが、牛若が求める物は塊である。 「伸ばさずともよい。そのままが良い。冷やすのだ」 溶かして小さくされた金の塊は水に入れられた。 ジューっと水が熱せられる音を響かせ、勢いよく湯気が立ち上がった。 「これでよろしいか」 親方は出来上がりの合図を牛若に伝えた。しかし「もっと水をかけろ! 熱くて持って帰れぬわ」 その金は熱が冷めるのに一晩中かかった。 すでに夜は明けていた。 小さな四角い金は持ってきた麻布にすべて収められた。 「親方、ご苦労、礼じゃ」 牛若は弁慶に合図すると米俵を差し出させ、さっさと帰って行った。 親方は不思議そうに二つの米俵をじっと見ていた。 ある日のこと 「おい(弁慶)! 出かけるぞ」 「はいわか、あ、いや、おやかたさま」 「おい、絶対に『若』と言うなよ、わし女の恰好をしているのだから若はないだろう」 「あ、はい、すみません」 毎回これであった。 「いいかげん慣れろ」 「はい、わ、おやかたさま」 京の町は多くの店が出て、たくさんの人で賑わっていた。牛若は武家の娘の恰好で歩いた。その後ろを弁慶は荷物持ちとして付いて歩いた。 いろいろな店の前を通ったが、弁慶はさして興味を示さなかった。が、髪飾り屋の前に来た時、弁慶の足が止まった。 店頭に並んでいる髪差しをじっと見ていた。その中には赤や草色の色が付いていたり、綺麗なつやのある茶色い石が付いていたり、それらを見ながら弁慶は夢中になって見ていた。 それを見た牛若は 「おい(弁慶)! 入るぞ!」 そう言うと牛若は店の中に入って行った。 弁慶は後に続いた。 「主、髪飾りを出せ」 中から番頭らしき人が出て来て 「はい、これは御寮様、どうもいらっしゃいませ」 丁重に近づいてきた。 「一番良い品を出せ」 「はい? 一番良い品でございますか」 「おう」 牛若は懐から袋を出し金塊を五つ取り出すと、それを畳に転がした。 「え? これは、もしかして?(この金で金判8枚分はあるはず。金判八枚分のかんざし……)」 番頭は考えていた。 「(もし偽物なら大損だ)あの……、御寮様。御無礼とは存じますが、金の一つをお預かりさせて頂いてもよろしいでしょうか」 低姿勢で主は牛若に許しを請うた。 「ああ」 牛若は軽く答えた。 しばし待たされた後、奥から出てきたのはその店の主であった。 「これはどうも御寮様、私、店主の左衛門と申します。先ほどは店の者が失礼をいたしました、お許し下さい」 その手には肩幅ほどの横幅の四角い桐の箱が抱かれていた。 「これはうちで最も腕利きの職人が作り上げた最高級のかんざしでございます。御覧下さいませ」 この主、先ほど牛若が渡した金が本物であることを確かめたようだ。 主はうやうやしく桐の箱のふたを取ると、白い絹に包まれたままその箱を差し出した。 牛若はその白い絹を剥いだ。 それはまばゆいばかりの銀製の髪飾りが三つ揃いで納められていた。 向かって右に銀製の桜の花がちりばめられたこめかみのあたりから挿すかんざし、真ん中はそれより大きく台の銀に金や赤い石がほどこされた豪華なもので中央に挿すかんざし、そして左は細いビラがたくさんついてゆらゆらとたなびくようになっている銀製のかんざし、これもこめかみの上のあたりから挿すもので、非常に美しく蝶の飾りがひらひらと揺れるのである。この三つ揃いである。 それを見た弁慶は目を剥き、息を吸い込んだまま止まっていた。 「気に入ったか?」 牛若は弁慶の顔を見た。 「〝てふ〟が……、てふが……」 弁慶は頭をこくこくと縦に振るだけであった。 「もらう」 牛若は主にそう言うとそれを箱から外し、絹の布で包むとそれを弁慶に渡した。 布の中でシャリンっと涼しげな音がした。 「うっ」 弁慶はそれを両手に抱き目を潤ませた。 「では」 二人は店を後にした。 店の者らは皆驚いた。定価の倍の金子を置いて行ったあの者たちはどなたであろうかと……。 「牛若殿であろう」 主は小さくつぶやいた。 「飯食うか」 二人は旗ごで休んだ。 「おい(弁慶)食え!」 そう言われても弁慶は落ち着かなかった。懐に入れたかんざしの事で頭がいっぱいであった。 「この前は豚一頭平らげてしまうほど食っていたのに。飯がのどを通らないか? はは、早く持って行ってやりたいのか?」 牛若に言い当てられ弁慶は 「おやかたさま……」 ぐっと湯のみの酒を飲み干した牛若は 「では、行って来るか?」と優しく言った。 「え?いいんですか?」 弁慶の目が輝いた。 「ああ、行って来い。ただし、もう少し日が暮れてからじゃ」 許しが出た弁慶は大喜びであった。 弁慶は山道を走った。走りに走って一気に山を駆け抜けた。 そしてあっという間に目的の途に着いた。 「はあっはあっ……、はあっはあっ……」 弁慶は妹のあかねの墓の前まで来た。 「あかね」 弁慶は跪まづいた。 「あかね、おにいが来てやったぞ。これ、お前に持ってきた」 懐からかんざしの入った布を出してきた。 シャリンと銀のかんざしの上品な音が綺麗な空気の中で小さく響き、蝶の飾りがゆらゆら揺れた。 弁慶は布を解いてあかねに見せた。 「ほら、きれいだろ? きっとお前に似合うぞ」 じっと前を見つめていた弁慶の目から涙が振れてきた。その涙はとめどなく流れ落ちた。 「くっ……」 弁慶は石の前の土を手で堀り出した。 深く掘ってからそのかんざしをそっと埋めた。 「うう……、うおぉ……」 土を被せながら泣き続けた。 そして最後の別れを済ませた。 その頃牛若は、酒を口に運びながら赤い月を見ていた。 御所 「おい(弁慶)ここで待っていろ」 弁慶を門の外に待たせ牛若は御所の中に入って行った。 「おお! 参ったか牛若! 久しいよのう」 機嫌よさそうに後白河天皇が出てきた。 「今日は何の御用で?」 居心地の良くない御所にはなるべく来たくはない牛若であった。 「おお牛若、たまには話をしようではないか」 かまってもらいたい天皇は牛若の話が聞きたかった。 「酒! 肴!」牛若はそっけなく口を開いた。 「近頃盗賊が現れておる。そして米や金銀が盗まれておるのじゃ」 「そうですか。私は知りません」 牛若が答えると 「お主しかおらぬであろう」 疑いの目で天皇は言った。 「ええ? 誰か私の姿を見た人はいるのですか? 私が泥棒ですか?」 そう言うと 「いや見た者はおらぬ。しかし大名たちの蔵から財がいつの間にか消えておるのじゃ、そしてそれが朝廷の名を書いて民たちに米を配っておるのじゃ。そんなことをするのはお主しかおらぬ」 そう言われても牛若は知らぬ顔をした。 「いやそれがじゃな。わしに圧力をかけていた大名が急におとなしくなったのじゃ。蔵の物全部取られて力が落ちた故に私兵も雇えず破産寸前らしいのじゃ。収賄に関わっていた者も表沙汰になり罪の追及をしておる。まさに朝廷の変革が起きている」 「そうですか」 牛若はつれなく酒を煽っていた。 「ところで牛若、弁慶なる人物。千本刀の暴れ者と対決したと言う噂は本当であるか?」 天皇に聞かれ牛若は湯呑を置いた。 「その男を捕らえて死罪にするとかむごいことをしますか?」 「捕らえてみないと解らぬ。しかし千人切ったのであろう?」 「千人も殺したのを見た奴はいるのですか?」 「それは解らぬ」 天皇と対峙した牛若は、弁慶の手配書を外す約束をさせた。 手配書が外され気が楽になった弁慶ではあるが、弁慶の手にかかり命を落とした者もいたことは確かである。その身内などから恨まれ仇を取ろうとする者もいるはずである。身の危険に変わりはなかった。 「弁慶、やはりほとぼりが冷めるまでどこかに隠れるか?」 牛若はそう言うと 「わしは殺されても良い。恨み事は無い。しかし若の身に危害が及ぶのは耐えられません。わしとおると若が危険です」 「弁慶、わしは死なんよ」 「わしは若の足かせになってはならんと思う。どこかに消えます」 「弁慶……」 「ずっと考えておりました。若は何の縁もゆかりもないわしに……。いや、命を狙ったわしを助けてくれたばかりか、あかねに幸せな思いをさせてくれて、最後までみとってくれて、わしには何もできなかった。わしにもずいぶんと楽しい思いをさせてくれた。思い残すことはありません。わしを見放して下さい」 「弁慶、しばらくの間だけだ。どこかに身を隠せ。お前はどこの出だ?」 「生まれは知りませんが、物心付いた時には寺におりました」 「どこのだ?」 「比叡山にある寺です。自分も坊主になると思いながら修行をやっていた。でも酷い坊主ばかりで、我慢ができす大暴れした。それで飛び出してきたんです」 「フッ、お前は切れたら何をしでかすかわからん奴だからな」 「……」 「よし! そこへ行こう!」 牛若の発した言葉に「へ? あの寺に、ですか?」弁慶はまさかと思った。 「ああ、そこしかあるまい。お前を匿ってもらう」 「若……」 それは無理だろうと弁慶は思った。 いよいよ寺に向うことにした。 二人は京の町から直接比叡山に登らなかった。後ろを撒きながら琵琶湖の東側まで北上し、湖を西に渡る計画を立て、琵琶湖を左回りに半周することにした。 二人は湖のほとりに着いた。湖畔に船が見えた。 「おい船頭! この船はどこまで行くのだ?」 「へい! 向かいの大津までです」 「そうか、乗るぞ」 「へい! あ!」 船頭は気付いた。 「(あの大男はもしかして噂の弁慶ではないか。こんなところまで来て……。わし、殺されるのか?)」 怯えている船頭に「心配するな、向こう岸まで渡してくれれば礼はする」 「ええー?」船頭の独り言に牛若はとっとと答えた。 船頭が躊躇している間に、二頭の馬と大男と牛若は船に乗り込んだ。 「うわ~、揺れるぞ。こんな大きな馬を乗せてしまって、沈んでも知らんぞ。無茶な奴らだ」 船頭はおびえた。 「おとなしくしていろよ」 牛若は二頭の馬に言ってきかせた。 「フルフル……」馬は置かれた場所を分かっているようで終始おとなしくしていた。 二人と二頭は夕暮れの湖を静かに渡った。 「思ったより早く着いた。船頭すまぬな、無理を言って……。この事は誰にも言うな。言った場合はとことん追って行って殺す。末代まで追いかけて殺す」 牛若はきつい目で睨んだ。 「へ、へい!」 「絶対言うな! 聞かれても乗っていないと言え! わかったな」 「はい! わかりました」 牛若は懐から切り銀が入った袋を出してきて、一掴みすると、それを船頭に渡した。 「行け!」 船頭は手に渡された銀を見て 「ひえー銀か? それもこんなにたくさん! おわー!」 船頭は大いに驚き、馬上の若者に頭を何度も下げた。 寺にて 寺の門前に来た。弁慶が過去に修行した寺である。 「ここか……」 「はい」 弁慶は気乗りがしなかった。「受け入れるわけが無い」 「まかせろ!」牛若は軽い口調で門をくぐった。 「住職はいるか?」 子坊主に問うた。 「はい」 やがて奥から住職がやって来た。 「あ、べ、んけいか?」 すぐに弁慶だと解り身を固くした。 「この弁慶を匿ってくれるか?」 見知らぬ男に唐突に聞かされた住職は驚いた。 「ええ? 匿う? 手配中の者を? そ、それは……」 「お前の所で責任持たぬからこうなったのであろう」 「し、かし……、先代の頃のことで、先代は亡くなり……」 「あなたではないけれど、坊主であろう。最後まで責任持て!」 「んんん……」住職は苦い顔になっていた。 「男の道って言うのは、困った人間を助けるのが正道ではないのか? 預かってもらわねば困るな。それにもう昔の暴れん坊ではない。人の言う事はちゃんと聞くし、寺の助けにも少々なるであろう」 「むむ……」 「それでも放り出すのか? それでも良いぞ!」 牛若はキリッと睨んだ。 寺側は悩んだ。 「ところで、あなたはどなたですか?」 住職が問うてきた。 「わしは牛若だ。わしと勝負するか?」 「うっく……」 今をときめく牛若丸の剣の達人の噂は国中に広がっていた。弁慶を打ち負かしたはずの牛若丸が弁慶を庇ってこの寺に来た意味が理解できなかった。しかし考え直した。 「(避けられんな)」住職は観念した。 「わかりました」 「受け入れた! 信じられん」弁慶は驚きの顔をした。 「匿ってくれるか? さすれば、わしは用事がある。出て行かねばならん。頼むぞ」 牛若は背中から妖刀を引き抜いてそれを見せた。刀は青と白の炎がゆらめき、何ものも断ち切ってしまうであろう鋭い刃が皆の心を凍らせた。 ざわついていた周りの空気が一瞬冷めた。 「ぉぉ!」 「頼んだぞ」牛若は住職に弁系を委ねた。 「分かりました。それが弁慶を助けると言うことでしょうか。あなた様は仏様ですか? それとも神様ですか? そのような刀を持った御人はおりません。いったい弁慶をどうしたらよろしいのでしょう?」 住職は困惑した。 「修行をさせよ、精神の修行」 「修行ですか」 「また帰って来る。(役人に)通報もよいがどうなるか解っておるな」 牛若はやんわり脅した。 「分かりました」 住職は深く頭を下げた。 「渡しておく」 牛若はそう言うと銀の入った袋を二つ住職に渡した。 三月(みつき)が過ぎた。 「若!」 牛若を弁慶が喜んで迎えた。 「元気にしていたか?」 「はい、若のお陰です」 「そうか」 しかし牛若は弁慶の瞳の奥に影が見えた。 「牛若殿、お帰りなさいませ」 住職は牛若を快く迎えた。 「どうぞ、牛若殿はお酒でございましたね」 「うん」 住職の部屋で牛若は酒を馳走になっていた。 「弁慶は真面目にやっておるか? 暴れていたら困るが」 「どうですか、真面目にやっております。毎朝、四時に起きてぞうきんがけや掃除を一生懸やっております。皆、感心しております」 「不便はないか? 何でもよい。都合は付けるぞ」 もじもじしていた住職であったが、意を決して牛若に訴えた。 「あの……、実は見ての通りうちの寺は貧乏寺でございまして、荒れた寺の修復もままならず、尊像もいたわしい状態で……。それに仏像も痛み過ぎております。叶いますなら仏像を五体、迎えさせて頂きたい」 「解った、見てみよう」 住職と牛若は本堂に入り、状態を見た。 尊像である薬師如来像はほとんど金が剥げ、下の木目模様がしっかり見えるほど痛み、情けない姿を晒していた。 「あれを新しいのにするのだな」 牛若が言うと「いえ、そうではありません。あの尊像は先々代より預からせて頂いている物、代々伝わる宝像でございます。できますなら修復したいと存じます」 「そうか、解った。(新しいのを作る方が早いのだがな)ではそうしよう」 牛若は庭に出た。その先に弁慶と修行僧達の姿が見えた。 「ほら弁慶、水持って来い!」 「はい」 「おい弁慶ここも拭いておけ」 「はい」 「なんだこの掃除は、お前はいつまで経っても一人前に出来ないな」 「……」 弁慶は大きななりをしていたが、僧たちのいじめにぐっとこらえている様子だった。 「(あいつら、弁慶を怒らせて暴れさせ、追い出そうとしているな)」 牛若はすたすたと彼らの所まで行った。 「はっ」 と気付いた弁慶が慌てた。牛若が彼らをやっつけるのではないかとうろたえた。 「あ、牛若殿だ! 牛若殿だぞ! みんな!」 彼らの中にも牛若の光る刀を見たことがある者がいて話を聞いた事がある為、自分たちが切られるのではないかと一瞬怯えた。自分たちのしている事に追い目があった。 「おお、みんな、ご苦労さん。いつも弁慶と仲良くしれくれているのだな」 牛若はにこにこしながら皆の所に行き、声を掛けた。 「前のように弁慶は暴れないだろう? もしそれをやったらわしが謝らせるから、ここに置いてやってくれな」 「……」 修行僧たちは戸惑っていた。 「飯だけ食わせていればよく仕事をするからいじめないでくれるか」 牛若は優しく頼んだ。 「(いじめているなんて、和尚さんに言われたらどうしよう)」 僧たちは一瞬身がすくんだ。 「和尚さんには言わないついでにこのことも言うなよ」 そう言うと牛若は僧たちにそれぞれ〝切り銀〟を握らせた。 「なかなか外には出れないだろうが、持っておっても邪魔にはならんだろ?」 「うわー! 銀だ! 初めて見た」 「これ一つで家が建つのだぞ? 知ってるか?」 「へー! すごい! 宝だ、牛若様、どうもありがとうございます!」 皆、手にした三角形の切銀をまじまじと眺めながら、驚きと同時にとても喜んでいだ。 「弁慶と仲良くしてやってくれな」 「はい! 若さま!」 皆大はしゃぎであった。 「弁慶! 本堂へ行って仏像五つをそこの池の前まで持って来い!」 「え? ああ、はい、若」 その意味はわからないまま弁慶は牛若の顔色を見ながら本堂へ向かった。 「……」 弁慶は本尊の前に来るとうやうやしく両手を合わせ拝んだ後、それを抱き上げた。 「フンム……」 人の等身大ほどの本尊は薬師如来で、頭から尻までの木彫りの像。裸像である。頭髪は巻き毛で両手はゆるりと下に下ろし、そのまなざしは地(ち))を見つめていた。すでにぼろぼろに金は剥げ落ち、木目の像は充々痛々しかった。 「これでは誰も参りには来ないか……。御利益が期待できそうもない御本尊では参拝人が来ないと言うのも無理ないしな。しかし若はこれをどうする気なのだ?」 弁慶はぶつぶつ言いながらも重い仏像を一人で運んだ。 五つの像を前部出してきたところで牛若は言い放った。 「これらすべて池に放り込め!」 「え? 池に? 良いのですか?」 「良いに決まっている。早よせい」 そう言われて弁慶はうやうやしく像を池に入れた。 ドボン! 牛若は本堂へ赴いた。 すると桶と水と手ぬぐいを用意させた。そして像のあった跡の床を水で濡らした手拭いで自ら拭き出した。 「おお! 殿! それは私どもがやります」 住職はあわてて牛若を止めようとした。 「構わん、わしがやっておく。わしの仕事じゃ」「なりません! 殿!」 「住職、その殿というのはやめてくれぬか?」 牛若は殿という呼び名も若様という呼び名を嫌がった。 「しかし、若様は源家の御子息。いずれ殿さまに……」 「望んではいない事だ」 「では牛若様で……」 「(名前はあまり知られたくは無いのだが……)」 「若! すべて池に入れました」弁慶がやって来た。 「では五日ほど水に沈めておけ! 木が膨れてきて金が剥げてきたら転がして金箔をすべて取っておけ。取れたら水から出して乾かしておくのだ」 牛若は弁慶に後の事について指示を出した。 「はい、わかりました。金箔を取っておくのですね。任せて下さい」 二十日後 牛若は寺の敷地の一角に鋳造所を構えさせていた。 「ここで金の仏壇を作るのだ」 驚いたのは住職。 「若様、金箔ではないのですか?」 「当り前じゃ。わしは金の像と思ったが、住職が嫌がったので金を被せる事にする」 「おおー!(いったい金がどれほど要ることか)」 住職はその器の大きさに驚きを隠せなかった。 鋳造の職人と仏像作りの職人を呼び、いよいよ仏像を仕上げる事になった。 職人は溶かされた金を筆で塗っていた。 「おい! それでは話にならんな」 牛若は筆では金はうまく張り付かない事を嘆いた。 「はあ……、木目が浮き上がります」 「ではどうする?」 「はい、上からかけます」 「上からかけるか? はっはっはっ」 牛若は笑った。 「住職様は怒りませんか?」 職人はそっと聞いた。 「怒らぬけど……。まあ良いわ、そうせよ」 牛若はにこにこしていた。 仏像の上から金の液をバサリバサリとかけ、数日間乾かしてまたかける。下に貯まった金はまた溶かして腰のあたりに横からかけ、まんべんなく金をかけ回す。 全く贅沢な金の使いようであった。 ひと月以上かけ、光輝く金の仏像が五つきっちり仕上がった。 「できた!」 「出来たぞ」 「良い出来じゃ」 職人たちは満足感を覚えた。 「こんな良い仕事をしたのは初めてだ」 「何というすばらしさ! これは!」 本堂に運ばれた本尊は、金の分厚さにひと周り……、いや! ふた周りは大きくなった。 きらきらと輝くそれはお堂の中でも真昼の明るさ並みに反射し合っていた。 何よりその美しさである。なめらかな肌に妖艶な笑みをたたえた切れ長の目とやや膨らみのある唇は何とも言えぬ色気を漂わせた。 それが五体もあるわけだから、後光さえ覚え、皆の目と心を奪った。 「おおー! 如来降臨!」 住職はひざまづき、手を合わせた。 住職に続き寺のものは皆、手を合わせ、経を唱えた。 すでに寺の修復も行われ、着々と改装は進んでいた。 「和尚様、素晴らしい出来でございますね。このまま行けば離れつつある檀家衆が帰ってきますね」 一人の修行僧が口にした。 「うむ……」 「和尚様、牛若殿はいかにも信心深い方でござりますね」 にこやかに言うと 「ばかもの!」 和尚は一喝した。 「皆、本尊の前に集まれ!」 住職は皆を集めると説教を始めた。 「皆聞くが良い。この寺を立て直して下さっているのは知っての通り牛若殿じゃ。感謝に余りある。なんと奇特なお方であろう。しかし牛若殿は宗教になんの趣(おもむき)も心を寄せる事もない方である、この大事業は寺の為でもなく、私やお前たち僧の為でもない。まぎれもなくこれは弁慶の為にしておる事である。牛若殿は弁慶に刃を向けられたにもかかわらず、成敗するどころか一筋に弁慶を庇っている。弁慶は幼くして親に捨てられ、心を許した住職に裏切られ、やっと安らげる身内を見つけるも人に騙され、あげくに妹を失った。牛若殿は弁慶に純真を見たのである。何も良い思いをしていなかった弁慶のことが不憫であると同時にその純真さに何より弁慶を大事に思い、守りたいと思う気持ち一心からである。お前たち、人と言うのはただ一人の為だけにどれだけの事が出来るかを学ばせてもらってはいないか? 真面目に行(ぎょう)を積んで行こうとしている弁慶に対してお前たちはどうあるべきか? これからの日々を戒め、牛若殿に恥ずかしくない言動をすべきだとは思わぬか? 常に敵の目に晒されるいる牛若殿だから解る孤独であり、弁慶をいじめの的にされたくないのだ。つまり、弁慶ただ一人の為にこの寺に大金をはたいているのだ!」 「……」「……」 「……」「……」 「……」「……」 和尚に言われ、皆、頭(こうべ)を垂れた。 三月後 本堂に続く寺の参道には行列が続いていた。 「寺がすごい事になっているらしい」 「見たのか?」 「ああ、すごい仏様だ! お堂もきれいになっているんだ」 「如来様を拝むのだ」 「ありがたや。ありがたや。早く拝みたいよ」 次々に訪れる参拝の者たちは、きらきら光る仏様を見て驚き、またありがたがり、喜んで賽銭を投げ、幸せそうに帰って行った。 それは毎日続いた。 牛若はその横で深く頭を下げた。 「ありがとう」 僧たちにはなぜ牛若が頭を下げるのかが解らなかった。参拝の者が賽銭を投げて、頼みごとをして帰る。頭を下げるのは参拝客の方だ。 「みなさんお賽銭を入れてくれてありがとう。みなさんもお金にも苦労があるでしょう。私らも食べるものも大変で芋とか食べながらやっています。みなさんの寺への気持ちがうれしいです」 牛若は深く頭を下げ、みんなをねぎらった。 「ええー? はあ……」 「それは、どうも」 「頭の低い方だ」 寺に礼を言われるとは思っていなかった為、皆戸惑っていたが、良い気持ちになった。 牛若が頭を下げるので住職も頭を下げた。修行僧も頭を下げた。 参拝の者も頭を下げた。そこには心ゆかしい気で満ちていた。 ある日の事 牛若はある青年の姿が目に入った。その青年は思い悩む表情をしていた。その手には賽銭が入っているであろう小さな布袋を握りしめ『入れようか入れまいか』賽銭箱の前で迷っている風であった。 牛若は青年に近づくと「どうぞ中へ」と本堂の中へ案内した。 「なにか悩みごとがあるのですか? よろしければ伺いますよ」 青年はふっと顔を上げた。 「はい、実は母が胸の病で、助からないかもしれません。ここに来てお布施することで治るならばと、参ったのです」 胸の内を心細く語った。 「そうでしたか、その大金を布施に使うか病の母の治療に使うかさぞ迷われたことでしょう。解りました。一発で治しましょう!」 牛若は言いきってしまった。 「ええ!」 「おお?」 二人の会話は外に聞こえていたので皆がどよめいた。 「三日待って下さいよ。必ず治します」 「本当ですか、ありがとうございます」 牛若の頼もしい言葉に青年は大いに喜んだ。 その夜、牛若は青年の母を透視した。 「やはり肺に岩(腫瘍)が出来ている。他の臓にも移っている。少し手強いがやっておくか」 牛若は左手を開き、そして閉じた。 「くく……」 牛若は少し苦しそうに顔をゆがませた。 「ごぼっ……」 刹那血を吐いた。 「げほっ、ぐほっ……」 牛若は異物を咳いた後、口の周りの血を拭きとりそのまま寝間に倒れこんだ。 三日後 あの青年が牛若の元に駆け込んで来た。 「ありがとうございます! ありがとうございます! 母が……、母の顔色が良くなり、元気になりました。今朝はかゆが食べれました。なんといって良いか……ありがとうございます」 涙ながらに礼の言葉を述べた。 「治りましたか。それは良かったですね」 牛若はほほ笑んだ。 「本当に助かりました。あなた様は生き仏様です。ありがとうございました」 青年は手を合わせた。 「わたしは仏ではない。ふふっ、それより母親に言うておけ! 肺の病は小さな土や砂や埃が病のせいになることがある。肺は一度土などが入ると外に出る事はない。気をつけねばならん。きっと母親はいままで精を出して田畑を耕してきたのであろう。今度からは口・鼻は手ぬぐいなどで覆い、土埃には気を付けて仕事をするように言っておくが良い」 牛若は原因と予防を教えてやった。 「はい、ありがとうございます。そう伝えます」 青年は何度も頭を下げ寺を後にした。 その後寺には噂を聞いた者たちが次々と訪れ、寺の御利益を授かろうとが人々が押し寄せた。 「(これで弁慶も寺の行く末もうまくいくであろう)」 牛若は安堵した。 一月後 また問題が持ち上がった。 ある商売人が困り顔で牛若の元にやって来た。 「若様、どうか聞いて下さい。今、町では大変なことになっております!」 その男は非相な顔つきで飛び込んで来た。 「どうしました、だんなさん」 牛若は中へ案内した。 「若様『切り捨て御免』です」 「なに? 切り捨て御免?」 「若様、今町で『切り捨て御免』なる朝廷の制度が出来ております。朝廷及び武士に逆らった者は切り捨ててもよいという制度です。それを盾に誰かれ構わず切り捨てようとする者が出てきております。どうか助けて下さい!」 急ぎ牛若は町に出むいた。 町には反物屋やまんじゅう屋や飾り職の店などたくさんの店が出ていた。そこに数人の若者の集団が肩を揺らせながら通りをかっ歩していた。 ふと一人の若者が店に並べてある饅頭を掴んだ。そして口に入れ、そのまま歩いて行こうとした。 「あの、お代を……」 店の女は饅頭の代金を貰おうと、その男の背を追った。 「何だ?」 男が振り向いたと同時に 「無礼を言うた! 切る!」 と言い、刀を抜きバサッとその女を切ってしまった。 「ひぃ~」 「まただ」 「また無礼打ちだ」 町の者はここの所無礼だと称して民を切り捨てていた。 「『切り捨て御免』であるからな」 男はそう言い周りの者に知らしめ、その場を離れようとした。 そのとき、後ろから声がした。 「まんじゅう取って、金払わんで、無礼打ちとな……。その女、無礼言うたか?」 桃色の着物の人物が言い放った。 振り返り男は 「なに? お前どこのおなごじゃ」 睨みつけた。 「言わぬ」 桃色の着物の牛若は女のそばに寄り首に手を当てた。 「(脈は、ない……。か)」 そこへいきなり男ども三人が刀を抜いて襲ってきた。 「無礼打ちじゃー!」 すぐさま牛若は三つの剣をカカンッと鞘で跳ね返した。 男たちは尚もいっせいに襲いかかるが、牛若の素早さに一太刀も当てられない。 牛若は刀を抜くと、棟(むね:刀の刃の反対の背の部分)でドッズッドンと鈍い音を響かせ、三人の身体に命中した。 輩の一人は右腕を折られギャーギャーとわめいていた。 「うっ、うう……」 もう一人は背中を打たれ息が出来なくて苦しんでいた。残り一人は腹のあたりを押さえ門悦していた。一瞬の出来事であった。 「おい! 逃げるぞ」 到底勝てそうにもないと察した彼らは何か叫びながら転がるように逃げて行った。 パチパチパチ――。パチパチパチパチ――。 町の衆が手を叩いた。拍手の嵐であった。 「すごいな、強いな」 「あいつらとんでもない奴らだ。前もここで「切り捨て御免」と言って〝物乞い〟を切っていた。 「良くやってくれました。胸が透く思いだ」 「でも、仕返しに来ないかね。なにせ奴らの親はお武家とお役人だよ」 反物屋のおかみさんが心配そうに言った。 だが、牛若は平気な顔をしていた。 「(来るなら来い)」 会議室にて 「旦那さま(が)おいでました」 ス―っと部屋の下手の障子が開いた。 天皇が催す会議の部屋まで許しを得るでもなく素通りしてくる牛若。 天皇は牛若に気付くと「こっちへこい」と、手で小さくちょいちょいと手招きをした。 牛若は天皇より『ひいき』を受けているため御所であろうといつでもどこでもお構いなしに振る舞えた。まさに天皇は牛若が大のお気に入りで彼をいつでも歓迎した。 『判官贔屓』(はんがんびいき)という言葉がささやかれるほど天皇は牛若にひいきした。 牛若は判官の地位を受けてはいるが、仕事の命令を受ける事は無く自分の思ったように町を見周り、自分のやり方で罪人を取り締まったりしていた。 下座の左手から入ってあたりを見回した。 中央の座に後白河天皇が椅子に座っており、牛若に向ってにっこりと頬笑んでいた。 右手は赤い裃(かみしも)の官僚が十数人並び、左手は青い裃の官僚が十数人、それら全員が牛若の入室を唖然として見ていた。 「酒!」 その場にどっかと座り、ひと言発した。 すかさず天皇はぽんぽんと手を叩き、すぐに酒を持ってくるよう命じた。 御所では牛若が飲む酒は常に用意してある。その為ほとんど待たせる事なくすぐに酒が運ばれてくる。 酒徳利と大きな湯呑みが置かれると「殿、どうした。一杯注ぎに行きましょうか」 そう言い、牛若が立ち上ろうとした。 「おお! わしが行くわ。盃!」 天皇はそう言うと、真ん中をすたすたと歩いて牛若の前に歩み出た。 「あ、りえぬ……」 官僚たちは、事の流れにのけぞった。 牛若は運ばれてきた湯呑みに酒を注いだ。 「殿、楽しい酒飲めてますか?」 天皇に問うた。 「う~ん……」と鈍い返事であった。 その時、周りはひそひそと話をしだした。 「何の用事でしょう?」 「さあ、今は御前会議中ですぞ」 「どういうことだ」 「勝手に入場し無礼にもほどがある」 「あの牛若なる者、後ろに大きな男を連れていると言う。その男は千人切ったと言う弁慶ではないのか?」 「取り締まる役のあ奴が罪人を連れまわっている。これは由々しき事」 「しかも夜はその男寺におると言う。昼は牛若と共に。夜はわしら奉行所が手が出せない寺に守られている。やっきになって弁慶を狙っているが捕らえる事が出来ない」 「まことに賢い奴じゃ」 「上様も何を考えておいでか」 その時 「うるさいわ!」天皇は官僚たちに向かって一喝した。 そして牛若の報告に関心ありで問うた。 「ところであっちはどうであった? 豪農が百姓から無謀に取り上げた年貢米。それを豪商に渡り、またそれをどこぞの官僚に渡っていただと? そしてそれぞれ米をはねていたと言うたな」 「そうです殿」酒を煽ると牛若は認めた。 「で、それは?」 「取り上げた米は一旦朝廷の蔵に入れた後、民にまいて来たし、二重帳簿の件は今調査させておりますよ」 「で? 蔵から出した米や麦、どこまで行って来たのだ?」 「ああ、尾張の方まで行ってきました。全部撒いて来ました。多すぎてきりがないかと思いました」 「そうか、それは『朝廷からの……』になっておるのか」 「そうです」 「そうかそうか……。うんうん」 いささか天皇はご機嫌であった。 「ところで殿、近頃おかしな話が聞こえてきているが……」 牛若は官僚の面をぐるりと見渡した。 目があった官僚は「は!」と身体をびくつかせ、目を離した。 皆、頭を下げ顔を隠し、誰もこちら側を見ようとしなかった。 「(牛若含め源氏を取り込んでわれらの味方にすればよいのではないか?)」 「(敵に回しては合わぬ。しかし好き放題させておくわけにもいかぬ。近頃は上様もあ奴に惑わされておる。いざの時は……)」 当然牛若の存在は目障りだと思う者がほとんどであった。しかし妙な剣を使うし、切り殺される事を恐れ、正面切っての勝負は避けていた。 だが、すでに官僚たちの腹の声は地獄耳を持つ牛若には聞こえていた。 「(何のための政治か、自分の事しか考えない奴らめ。たたっ切ってやる!)」 さっと立ちあがった牛若は、背から妖刀をするするっと出した。 その青と白に光る妖刀は皆を威圧するにた易かった。 一瞬にのけぞった一同に向かって牛若は言い放った。 「わしは天皇の味方である! お前らの誰の味方でもない!」 官僚の中には後ろに逃げ小さくなる者もいた。 「やはりな、お主な」天皇は一言発した。 「お主とは?」牛若は問うた。 「わしを守ってくれるのはお主しかおらぬと言う事じゃな」 「そうですね」 牛若の言葉に手を叩いた天皇。 「酒、料理も持って来い!」パンパン! 気を良くした天皇は追加の酒と料理を命じた。 ふと一人の官僚が妖しい動きをした。目配せで兵を動かそうとしたのだ。 その時、牛若の手に持つ妖刀は下から上に切り上げられた。シュバー! 青と白の光が妖刀の先から飛び放たれ、目的に向かい走った。 シュン!! 光は先ほどまで座っていた天皇の王座の真ん中を抜けた。 玉座は右左に転がった。周りの者は皆息を呑んだ。と同時に「出あえ!」「出あえ!」何人かが叫んだ。 「天皇の王座を……、よくもやってくれたな」 この時とばかり、牛若を捕らえる口実が出来た。王座を断ち切るなど逆賊の他でもない。 「謀反だ! 上様を護れ!」 官僚の一人が兵を出す命を出した。 「家来でも護衛でもなんでも呼ぶがよい。そのくらい予測しておるわ。出して来てみよ。お前らも無事では帰れぬけどな!」 牛若の目は怒りに赤く燃えていた。 天皇が立ちあがった。 「椅子くらい構わぬ! 牛若が何故にこれだけ怒っているのか解らぬか? お前ら金を追うては派閥じゃ領土の獲り合いじゃと勝手に争いばかりしおって。うんざりじゃ! 終いには命(めい)を下すぞ! どんな命か解っておるのか!」 一同は天皇の意外な言葉に『えっ?」』と動きが止まった。 「牛若に〝皆殺し〟を命ずるぞ!」 ギョっとした官僚たちはうろたえた。 「生き残りたい奴は出て行け!」 天皇は叫んだ。 その言葉に皆、すごすごと部屋を出て行った。 結局牛若が無礼三昧をしても誰一人として天皇を守れなかった。天皇はがっくりと力なく肩を落とした。 〝信用できる者などいない。命がけで天皇を守るものは一人もいない〟と言う事を牛若は天皇に教えた。 「飲め!」 牛若は酒を注いだ。 「誰が出したのだ」 「何?」 「〝無礼打ち〟だの〝切り捨て御免〟だの、そんな決まり事を誰が作ったのだ」 「う……」 牛若はものが言えないでいる天皇に詰め寄った。 「わしがここで切り捨て御免で片っ端から切り捨てて行って良いか?」 「うう……」 天皇は言葉が出ないでいた。 「武士は偉くないぞ。農民たちが田畑を耕してくれるから武士らは飯が食えるのだぞ。どうして農民や民が無礼なのだ。なぜこのようなものができるのだ!」 「……」 返事が出来ない天皇に向かって 「取り消しにするか!」 牛若は聞いた。 「そうしよう」 天皇は素直に従った。 その日より『切り捨て御免』の制度は無くなった。 しかし、『仇討(あだうち・かたきうち)』の制度は残っていた。 身内を殺された遺族は君主の免状があれば仇討が出来る制度である。 「あだうちか……」 ある町中で睨みあう三人がいた。 「夫の仇!」 頭に白い鉢巻きを捲き、襷(たすき)をかけ、短刀を構えていた女がいた。横にはまだ幼い女の子が――。同じように額に白の鉢巻きをつけ、短刀を握っていた。 二人の前にいる男は武士らしく、およそ女子供では勝てる相手では無さそうだ。 「おい、あれは仇討ちだぞ」 「おお!」 町の衆がぞろぞろと集まってきた。 その男は今にも腰の刀を抜こうとしていた。 「もし……」 牛若は声をかけた。 「は!」と振り向く女。 「免状は持っていますか?」 その言葉に女は胸から君主の免状を出してきた。 「おい(弁慶)!」 そう言われて弁慶は前に進み出た。 牛若は免状を確かめると弁慶に親子の援護するよう目配せをした。 「助太刀は構わぬからな」 牛若の言葉が言い終わらぬうちに 「やー!」――ブン! 弁慶の振り切った薙刀はた易く武士の首をはねた。 ドン。――ドサッ。 「ええ?」 「すごい」 「一発だ」 周りの見物人は事の早さに大いに驚いた。 「あの、だんなさま……」 女はうろたえていた。なにせ命を懸けて挑もうとしていた相手を助太刀とはいえ、一撃で終わらせてしまったものだから動揺が止まらない。 仇打ちの場面にちょうど通りかかった牛若たち。彼らの助っ人によって女は見事仇を取る事が出来た。 「おい(弁慶)」 「はい」 弁慶は女の元に行き、手を出して包みを求めた。 女は胸元から紫色のかきつばたをあしらった家紋入りの風呂敷包みを出した。 弁慶は打ち落とした武士の首をそれで包んで女に手渡した。 女は牛若の元に近づいた。 「ありがとうございました。これで主人の仇を打つ事が出来ました。主人も思い残すことは無いと思います。今より城に向かいこれを届け、見聞して頂きます」 「そうせよ、褒美をもらうが良い」 牛若はほほ笑んだ。 女とその子供は深々と頭を下げ、国に帰って行った。 牛若は寺に帰った。 「おお、若様、お帰りなさいませ」 「住職、達者であるか?」 「寺も人は多く出入りし、檀家も増え随分賑やかな寺になりました。これも若様のお蔭でございます」 「そうか」 「あのような立派な仏様を安置させていただきますと今度は警備に力を注ぎませんと……」 金の仏像に今度は違った心配が出てきた住職であった。 「おるではないか、警備は……」 牛若はにこにこしていた。 「ああ、弁慶でございますか。確かに薙刀を振っております。しかしあの薙刀は堅固でございますな。一流の刀鍛冶の仕事と身受けます」 「(それはそうだ、千本の刀の中から良い物を溶かして叩きに叩いたものだ)」 二人はにこりと頬笑み合った。 ある日の事 「弁慶!来たぞー! 飯食うたか?」 牛若は弁慶を訪ねた。 「若!」 弁慶は嬉しそうに出てきた。その顔は腕が鳴ってむずむずしていた表情であった。 「いっぺん勝負するか!」 「はっ」 牛若に言われ、嬉しそうに答えた弁慶。腕を試したくて仕方がなかった所だ。 もちろん真剣で――。身がまえた二人。 「参りました言うなよ弁慶」 「はい、若!」 「その時は死ねよ」 「はい、若!」 試合が始まった。 ブン――、弁慶は思い切り長い薙刀を音を鳴らして振って来た。 キン! ガッ! ブン! ブン! キンキン!! 力を試す弁慶だが牛若一歩も引かない。僧侶たちは必至でそれを見ていた。 「酒持て来い」 牛若は手加減用に酒を飲んだ。 弁慶の力とは、普通の人間がまともに受ければひとたまりもなく押されるが、牛若は内から出る妖力で戦う為、出過ぎる力を加減する必要があった。酔うたように身体を柔らかく揺らし、弁慶の薙刀をすいすいとかわした。 しばし剣を交えた後、弁慶に疲れが見えてきた。 牛若は左手を開き一瞬で弁慶の身体を止めた。ピタッと止まった弁慶の額の真中を人差し指でコンッと突いた。 すると弁慶はいとも簡単にころんと後ろに転がった。 「へえ~」それを見ていた周りの者は驚いた。 「今一度!」弁慶はまた向かってきた。 カンカンカン! 普通の刀で受けていた為、カーン! と牛若の刀の半分が飛んで行った。 「たー!」 弁慶はこの時とばかり勢い込んで剣を振りおろして来た。 ブン! 牛若はサッと左手を突き出した。と同時に弁慶は何かにふき飛ばされるように勢いよく後ろに吹っ飛んだ。 どおん!「うーん……」 弁慶はその拍子にのびてしまった。 するとある者がやってきた。 「わしが出る」 なんと齢七十の住職が前に出てきた。 「う、なんと……」 牛若は困った。 「転がすわけにもいかず……」 「やー! やー! とー!」住職は自慢の薙刀で仕掛けてきた。 仕方なしに住職の剣を全て受け、疲れ果てるまで相手をした。が、やがてその時が来た。 「はあっはあっ……、参りました、勝てません」 住職は降参した。 「酒!」 牛若は縁台に上がると酒を飲みだした。 「おい! 住職、飲もう! おい! 弁慶も飲め!」 そう言うと住職にも酒を飲ませた。 「わっはっは……」 「あははは……」 三人は夜更けまで酒を飲んで騒いだ。 「良いか弁慶、今後とも人は殺すな。わしの許しがあるまで殺すな。わかったな」 「はい、若」 「弁慶には寺の警護をしてもらう。頼んだぞ弁慶」 住職はとても機嫌が良かった。 牛若が口を開いた。 「弁慶の身体は人の二倍はあるゆえ、合う鎧がなかったな。穴のあいた銭を結んで作らせようと思う。待っておれ」 牛若の言葉に「いえ、若、わしに鎧など要りませぬ。わしの身体を射る矢も貫く刃もありませんわ。わしは剛鉄のからだゆえ……。わっはっは……」 「剛鉄の身体か、わっはっは……」 「はっは……」 今宵、久しぶりに酒を飲んで皆良い気分になった。 人を憎みながら生きてきた弁慶にとって、本心から安らぎを覚えるひと時であった。
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Last updated
2025.02.27 12:05:16
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