鬼官兵衞
3~5日と阿蘇を旅して来ました。本通を外れた旧道を少し入ったところに其処はありました。おそらく誰知ることなく訪れる人なく。しかし、由緒を知るとその時代に想い馳せることができます。私財で建てられ無料開放されている、会津藩士佐川官兵衛の「鬼官兵衞記念館」。Webで調べると下記の内容が・・以下2013.4.8 毎日新聞地方版記事より転載。> 白地に黒文字で「會」の会津藩の旗があちこちで風にはためく。南阿蘇村吉田新町の鬼官兵衛記念館を訪ねた。会津藩士、佐川官兵衛をしのぶため地元の興梠(こうろぎ)二雄(つぐお)さん(84)が92年、古民家を移築して開館した。入場無料で、官兵衛の資料などが並ぶ。阿蘇に出現した会津藩の残影に驚いた。 佐川官兵衛は会津藩きっての武闘派で、幕末に各地を転戦し、薩長軍から「鬼の官兵衛」と恐れられた。会津藩の敗北後、将たる器を見込まれ、彼を慕う元藩士300人を連れて東京警視庁へ奉職した。明治10年の西南戦争で、政府軍として阿蘇へ派遣され、西郷軍と戦った。敵将との斬り合いの最中に狙撃され、落命した。45歳だった。NHK大河ドラマ「八重の桜」では官兵衛を中村獅童さんが演じている。 彼が南阿蘇村にいたのは人生最後の4日間にすぎない。ところが村周辺に官兵衛をしのぶ記念碑の類いが次々に22基も建てられた。尋常ではない。 興梠さんは振り返る。「私が子供のころ、村の高齢者には『あの官兵衛さんに頭をなでられた』などと話す人がまだ健在でした。村民は官兵衛を『鬼さま』と呼んで慕ったようです」。村民に対する略奪や暴行が横行した西郷軍と違い、官兵衛の一隊には不正行為がなかった。その事実だけでも、古武士然とした風格とともに、村民に強烈な印象を残したという。<以上佐川官兵衛辞世の句 君が為 都の空を打出て阿蘇山麓に身は露となる出逢えて良かった阿蘇の旅。ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46