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次なる挑戦 ・・・ 日本人の技

2011.10.12
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  鏝絵ウォッチャー 渡部孝幸 aaba.jpg

  この内容は、月刊 左官教室No.602(2006年8月)より、筆者の許可を得て転記しています。

 

 6月3日早朝、石州左官の森山恵二さんと二人、兵庫県は加古川へ向かう。 加古川の品川 博さん宅に着いたのは、10時ごろで、4時間ほどの距離であった。既に、藤田洋三さんは来ていた。前夜の船便で朝神戸港に着いたそうだ。 小林編集長を待つ間、しばし懇談、四方山話に花が咲く。

 昼を過ぎたころ、小林さんが到着。 博さんの兄の清志さんも一緒に、近くのレストランで昼食。 このレストランは、5年前、初めて、藤田さんと小林さんを品川さんに紹介し、一緒に食事した思い出がある。

 丹波笹谷まで行われている「第5回鏝鍛冶と左官の交流会」は、3日、4日の日程であるが、4日行くことにして、今日は、品川組の工事現場を見に行くことにした。

 2号線バイパスを西へ1時間ほど走った、赤穂市の北、上郡町岩木に建築中のお寺である。 上郡町はJR山陽本線や智頭急行の駅があり、千種川の中流域で交通の要所でもあり、開けたところだ。

     img379p.jpg

 

 建物は、本堂と客殿、庫裏からなる大規模なもの。 本堂が鉄骨造入母屋造りの平屋建てで妻入りの正面。 その右に鈎の手に建つ客殿は木造平屋建てで、平入りの入母屋造り、何れも銅板葺きで、檜をふんだんに使った豪華なものだ。 客殿の後ろに建つのが町屋風の木造2階建て瓦葺きの庫裏である。

  品川さんらがこの現場に入って1年が過ぎ、ほぼ完成に近づいた。 左官工事は、彼らが今までのセメントを塗る壁ではなく、伝統的な土壁を塗り、漆喰を塗る仕事であった。 

壁塗りの総面積は、約2000平方メートルになった。

土壁の仕事は、品川さんらにとってあまり経験のない仕事だが、長丁場であったことが、彼らの経験不足を救ってくれたという。 モルタルの現場と違い、、土との格闘に明け暮れる毎日であったが、品川さんの左官人生に新たな世界を切り拓かせるヒントになったようだ。 日々に研究し、試し塗りしながら、様々な壁塗りの工夫をし、左官道具の開発まで取り組んでしまった。

     shikkuiosaekote.gif 

 

 中でも、本誌2月号に品川さん自身が紹介した漆喰塗りの経験から生まれた「押エ鏝」の誕生物語は、この現場で昨夏の乾きの早い炎天下の悪条件の中生まれたものだ。

 まさに必要に迫られての発明であった。 品川さんの土壁塗り、漆喰壁塗りは、どちらかといえば道の分野で新鮮であったであろう。 だから、いい壁を塗るための生涯に対してはなんとかしたいという思いが強くあったに違いない。

 人が塗る壁は限りなく平滑面に近づくが、完全ではない。 少なからず凹凸が出るのもやむを得ない。 仕上げの押さえが硬い鏝だと、均一に押えることができないので、柔らかい鏝を使うことが普通であるのだが、漆喰との相性は、焼きの入った鏝より地金鏝の方がいいらしい。

 しかし、地金では柔らかい鏝ができないので、しなりのある焼き鏝を使ってきた。 そこで、考え出された鏝が、地金板と焼き入れした板を合わせるというもの。

 塗り壁面にフィットし、しなりのある優れものである。 客殿の漆喰壁からは、この押エ鏝が威力を発揮して気持ちよく仕上げることが出来たのだという。 製造販売されている 五百蔵製作所 さんも、近年にない発明で、売れ行きも普通の鏝とは違うと仰っていた。

     shikkuiosaekote2.gif        

 品川さんは、鏝絵をよくするアーティストでもある。

庫裏の現場では、その左官アートを2階の私的な部屋に見事な壁を演出した。 

 庫裏はいくつかの民家を寄せ集めて建てたものだ。 中心になる広間ぶぶんは、琵琶湖の北岸、余呉町の茅葺きの農家で240年たっているらしい。 元の形は、5.5間 ×3.5間、通り土間に四間取りの大きさであろうか。 石見銀山周辺で見かける柱配置とはちょっと異なる位置関係に頑丈な造りを想像した。

 壁の仕上げは、広間、台所の漆喰を除くほとんどが土中塗りである。

 小屋組みを見せるようにしつらえた2階へあがった最初の部屋に、赤茶のさびを雲海のごとく何層にもたなびかせた土中塗り壁が施されている。 品川さんは、これを「雲形さび壁」 と名付けた。 このとき使った鉄粉は、鏝を造るときに出る鉄粉で、磁石でもって集めたものだ。

 さらにこの部屋から、土壁をくり抜いたような入り口を入ると、4畳半ほどの小部屋がある。 窓際の正面の土中塗り壁を丸くくり抜いた中の 紅漆喰が目に飛び込んできた。 さらに、紅漆喰壁を背景に咲かせた桜が いい。 彼から頂いたガラスの鏝絵も赤い背景であった。 この現場では失敗が許されない一発勝負の鏝絵だろうが、見事である。

 玄関をあがった廊下の突き当たり付近の縦長の壁を見た。 紅葉を散らしたさりげない左官アートに思わず笑みがこぼれた。

 この現場で、「強化漆喰」 という名前を付けた漆喰塗りも行った。 回り縁の下の亀腹部分でモルタル下地に漆喰塗り仕上げなのだが、石灰に白セメントを適量入れて塗った。

 加古川の品川宅での夕食会では、さらに人が増え、夜中まで盛り上がった。

 明くる4日も快晴に恵まれ、篠山の左官・南さんが待つ森林公園へ向かう。

 公園では、篠山の文化的景観の一つ、小さな灰小屋が建築中であった。辺りは赤土の豊富な丘陵地で、多く遺跡が出土したようだ。古代の人たちは、赤土を用いて、生活に必要な焼き物を造ったりしたかもしれない。 灰小屋は、この赤土を練って造っている。 壁圧が30cmあり、三分の一の高さまで積み上げたところだ。 ボランティアのような仕事だと南さんが苦笑していた。

 「鏝鍛冶と左官の交流会」の会場、篠山技能高等学院では、研修生たちがキャンパス(?)に向かって下地から中塗りに掛かるところであった。 早い人は仕上げの上塗りからネルの布で磨きに入っているものもあった。

 今回のテーマの一つである伊賀の鉄壁の大きな壁面が既に完成して立て掛けてあった。 なるほど、伊賀独特の磨き大津と言われ、表面が南部鉄のように仕上がっているのがよくわかる。 均等にまんべんなく南部鉄の肌を出すのは、材料の選択から作り方、熟練した塗る技術がなければできないことだが、中塗りの段階が特に大事なところで、ここで表面の仕上げが決まるそうだ。

 同行した森山さんは、石見にはない大津壁に大きな関心を持ったようで熱心に見たり聞いたりしていた。 若い研修生が多いのに驚いたようだが、島根県の地元にもいい土がたくさんあるので「石見の大津壁」 を塗ってみたいという。

 

 品川さんの「押エ鏝」は、この会場でもその威力が試された。 久住章さんや佐藤ひろゆきさんらが実演して見せた。 彼らが不思議がるほど、何度当てても引きづらない。 佐藤さんは、大津磨きに使える感触をもったようだ。 まさに左官鏝の革命的な発明に違いないが、まだまだ進化しそうだと品川さんは言う。

 

  以上の内容は、月刊 左官教室 No.602(2006年8月) より、著者の了解を得て、転記しました。

 title01.jpgtitle02.jpg 渡部孝幸:著 カラー写真で見る島根の鏝絵集

     

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Last updated  2011.10.13 19:22:22

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