あとがき
皆さん長い間お付き合い頂きましてありがとうございました。今回は15回に続いて掲載してきた『天までとどけ』のあとがきとさせて頂きます。まず、作中の名前有りの登場人物にはちゃんと許可を貰っています。御協力いただいた方々には深く感謝致します。・・・とはいっても正確にはカナコとコウジさんだけですが。。(リョーコさんとミカには仏壇前で)この話を書こうと思ったのは、作中にもあったリョーコさんの死があったからです。ミカの死に関しては以前ブログで書いていますが、リョーコさんを語る為にはその背景を書かなければ伝わるものではありませんでした。そしてこれを書くことで、大きく分けて2つの意味を伝えたかったのです。私が彼女から学んだことはとても多く、大切なものばかりです。それこそ中学生の頃に命を絶たずに済んだのは彼女たちのおかげですから。今の私がこうして皆さんと知り合えたのも全て、彼女たちがいてくれたからこそです。それが私にとってどれ程の価値があったのかというのは、作中に描いたつもりなのでここでは省略します。その彼女たちに対して感謝の意味を込めて・・・というのがまず一つ。もう一つは・・・お気付きの方もいらっしゃるでしょう。そう、イジメです。日本は古来からイジメというものが当たり前に存在していました。身分制度というものはイジメの一つの形でしょう。被差別部落という言葉を聞いたことがある人も多いはずです。少し昔の高校や大学でも寮内のイジメや暴力を伴なう上下関係は慣習として行われてきていたでしょう。最近のイジメは陰湿で手がつけられないというイメージかもしれませんが、こんなことは昔から存在していたはずです。ただTVや新聞などのメディアで報道するから公になり、それが最近エスカレートしてきたような感覚に陥っているだけです。つまり何が言いたいのかというと、『いつの時代もイジメはあった』ということです。イジメを今現在経験をしている人は『何故自分だけ?』と思っているかもしれません。その報道を見ている人は『最近のイジメは酷い』と思っているかもしれません。ですがそれは『貴方だけ』ではなく他にもいますし、『最近のイジメは』ではなく昔から酷かったのです。昔と今の違いはインターネットなどの普及により情報伝達が早くなってしまったことと、完全匿名でもイジメに参加できるようになったことくらいでしょう。やってることは昔も今も変わりません。ではこの状況下で、如何に立ち向かえば良いのか。これはやはり作中でもリョーコさんが言っていた『自分でこの状況を変えると決意すること』だと思います。―――まず自分はどうしたいのか?これはもちろん『虐められたくない』が答えのはずです。―――虐められないようにするためにはどうすればよいか?戦う、逃げる、守ってもらう・・・選択肢は幾つかあるはずです。『守ってもらう』というのは基本的に他人任せにすることですね。先生、親、友達、警察。正直なところ教育委員会を単独で選ぶというのはないです。先生も親も友達も信頼できないのに、自分の中ではもっと実態の知れない教育委員会を信頼できるはずがない。それならば、そもそも『守ってもらう』を選択しないか兼用で頼った方が良い。それと、守ってもらうにしてもまずは相談しなければ始まりません。黙ったまま勝手に他人に期待していたところで変わるはずがない。『逃げる』は一番ダメなようなイメージですが、案外良い案だと思います。家にも学校にも居場所がない、というのが一番精神的に堪えます。だから『逃げる』というより『居場所を確保する』という感じでしょうか。それが不登校であれ転校であれ、居場所さえ安全に確保されれば良いのです。・・・勘違いしないで欲しいのは、不登校は立派な『自己防衛手段』ですよ。最近では引き篭もりだとかニートだとかが有名になって、マイナスのイメージが増長されてますけど、『やる気がなくて学校(仕事)に行きたくない』などと一緒にしてもらっては困ります。(何らかの理由があっての引き篭もりならともかく)こちらは命がかかっているのですから。『戦う』・・・根本的にイジメをなくしたいのならこれしかないでしょう。もちろん危険性は一番高いですし、苦痛を伴なわないなんてことはまずありません。ですがこれが最上の策だと敢えて言います。そもそもイジメっ子というのは、決して刃向かって来ないような者を選んでターゲットにするものです。そして刃向かって来ると思われる者に対しては、複数の仲間を用意して、刃向かっても無駄と思わせるのです。それに対抗しようというのだから、もちろん一人では勝ち目は薄いです。(私の場合は相手が思った以上にヘタレだったから助かりましたが)だから戦うのなら自分一人ではなく、仲間を募るくらいはしなければなりません。少なくとも親、友達、先生くらいは相談するべきです。そして家では親と、学校では友達や先生と共に対策を練るのが良いでしょう。逆に言えば、協力を取り付けられないのなら『戦う』より『逃げる』を選ぶべきだと言えます。私もそうでしたが、たった独りで誰にも相談できずにいると自分の存在意義を見失うことがあります。一番心がけて欲しいのは、自分の気持ちを打ち明けること。自分は黙ったままで気付いて欲しいなんて、我が侭もいいとこです。そうすれば誰かしらは協力者になってくれるでしょう。・・・しかし世の中には変わった親もいるものです。自分の子供が涙ながらに訴えていても、内申書や世間体を気にしてしまう人がいる可能性も0ではありません。正直そうなってしまうと親を説得するのは困難です。自分だけで力不足と感じるなら、児童相談所に自ら行って相談してみるのも良いかもしれません。『児童』という名前なので年齢のことが気になるかもしれませんが、大抵18歳未満が対象のはずです。作中にもありますが、私は自殺を考えたことがあります。それを選ばなかったのはリョーコさんを初め、ミカとカナコがいてくれたからです。そしてイジメを克服できたのも、この3人がいてくれたからこそです。特別私の心が強かったからでも、元々自殺だけはしないと決めていたからでもありません。たった3人が私を支えてくれたからです。たった3人でも人を死から立ち直らせることはできるんです。だからこのブログを見ている皆さん・・・これは私からのお願いです。友達、後輩、自分の子供、近所の子供と話していて少しでも気になるようなところがあったら、どうか相談に乗ってあげて下さい。最初は本心を話してくれないかもしれませんが、話し相手くらいにはなってあげて下さい。そこからその人のことをどんどん知っていって、受け入れてあげて欲しいのです。おそらくそれが、その人を救う道の第一歩だと私は思います。それと・・・もし今現在イジメにあっていて『自分の周りにはリョーコさんのような人はいない!』という人がいたとしても、別に心配はいりません。リョーコさんのような人はいなくても、リョーコさんが教えてくれた言葉は全て、貴方はここで知ったはずです。知ったのならあとは行動するだけ。戦うにしろ逃げるにしろ守ってもらうにしろ、それを選ぶのは貴方の自由です。ただし決して自殺だけは選ばないで下さい・・・と伝えたいだけです。自殺を選んだところで解決にはなりません。貴方と貴方を取り巻く家族や友達が不幸になるだけです。いじめっ子には何の影響もなく、また次なるターゲットに向けて同じ事を繰り返すだけですから。「死ぬくらいの勇気があるんだったら、奴らにガツーン☆と一発やっちまいなっ!!」このリョーコさんの言葉通りです。だからって犯罪はもってのほかですけど。。犯罪スレスレなら私は正当防衛だと思ってます。正直に言えば、これを書くに当たって辛い部分が多過ぎました。感情が昂ぶり過ぎてキーボードを打つ指が止まったことは数え切れないほどありました。けれど・・・私はこれを書き上げてよかったと思っています。リョーコさん、ミカ、カナコ・・・この3人に対しての想いは形にして残しておきたかったから。この想いがリョーコさんとミカのいる、天までとどきますように。そして、少しでもイジメを苦に死を選ぶ人がいなくなりますように。