ジャッジポイント
ジャッジの判断基準が厳しくなって来そうです? 脚側などは、犬が指導手に集中するのは当然ですが、美しい脚側でなければなりません。顔は指導手で、身体は真っ直ぐに動ける犬がもっとも美しい姿勢でしょう。いわゆる、私とRayではマンゲル君です(沈)。 集中より、むしろ指導手妨害脚側だもの(沈)。常に格闘している姿は全くもって美しくない!!!更には行進中の各指示では、被った姿勢なだけに、斜めになること間違いないし・・これも美しくありません。 (無意識的に動く犬はNG<私感>なので、それよりはましかもしれないけれど・・) ダンベル持来も、時には噛み噛みする・・美しくありません。 前進も・・・一瞬振り返る・・・美しくありません。 覇気が有るだけで、どれを取っても美しくない(爆沈)。 ジャッジを受ける以前の問題が山積みです(沈)。 精度を築くどころか、ただ単に乱暴に作業をすることを今日までかかって作ってきたようなもの・・大恥です。 あ"あ"~次回は、犬を動かす前に、もっともっと深く考えてチャレンジしたいなぁ(とふぉふぉ~ん)。 今を振り返って思うことは・・・コマンドの意味をおおよそは理解させられた事ぐらいかも?然るに日常の場では、とても助かってます。それだけが心の救いでしょう 極端な事を犬に要求し続ければ、犬は萎えてくる、或いは強い反動が起こるかも? 犬の瞬間を見逃さないで、正しい理解を伝えたい~永遠の目標です。 RayとWindyを通じて、色んな経験を積んできました。 諦める事は一つもないけれど・・・老後の管理とか、少しでも進化を遂げてゆきたい私です。まだまだ、色んな事を経験したい。 見付ける楽しみは、生きている限り無くならないもの未だに良い方向へ愛犬を導けない、ダメダメ飼い主じゃ(沈)。愛犬達にとっての私の存在は・・・遊び友達的感覚だもの(沈)リーダーって言葉は私の辞書には存在しないかもぉ?(大恥)。余談:世間で囁かれる犬の問題行動は、暮らしの中で犬が学んでそうなった結果じゃないかと?誠に辛辣ですが、私は実体験を通じて、その様に睨んでいます。 負の学習体験を犬が経験しなければ、きっと避けられると考えてます。 犬種に惚れ込んで犬を選ぶ人なら良いのですが・・・ ドッグスポーツやりたいから、犬を飼うって風潮が世の中の様々な問題を生んでいる気がします。昔の方がむしろ良かったかもしれません。 ドッグスポーツは、その昔は、犬との関係をしっかり築いたペアーが取り組むスポーツでした(私感)。然るに今は、人間が犬のスポーツしたいから、犬を選ぶって世の中になったかなぁ?(大汗)。 犬との基本的な関係をしっかり築いてから、その先にドッグスポーツ部門にチャレンジ出来るようになって欲しいかも?・・・超生意気で済みませぬぅ(大汗)。 誤って学習しちゃう行動を修正するより、正しい犬との関係を最初の一歩から、築く努力をしたいです。誤った学習結果も犬にとっては、「良い行動?やってよい認識」でしょうから・・・犬って人間よりずっと賢いかもしれません(私感)。誤った行動認識が定着た後に「どうしましょう?」を直せる人は極一部の超優秀な犬を扱える人でしょうか?誤った犬との暮らしを、修復するには、『何故、そうなったか?』を一つずつ紐解いてゆかねばならないでしょう。犬の能力を侮ってはなりません。人間より運動能力が高く、考えるスピードも速い、聴力・動体視力・優れた臭覚を持っている生き物なのです。犬って素晴らしい能力を持っている生き物なのだ♪トレーニングを犬とやるようになって、私はますます、人間より犬の方が遙かに高い能力を持っている生き物だとつくづく考えるようになりました。困ってからでは遅いのです!!!棺桶に足を突っ込んでいるようなもの?然るに世のニーズに合わせたこの種の商売が流行るって・・・とても不思議で溜まらない私です。世界では、犬を飼ったらトレーニングに通う、日本では困ってから通う?ここが、大きく違うかなぁ?犬との共通理解を築く前に、ドッグスポーツを始めちゃうかもなぁ?服従(オビディエンス)の大切さをもっともっと知って欲しいです。まだまだ未熟な私ですが、服従ってとても楽しいです。いつでも、どこでも、道具も要らずに、「犬と動ける・犬と確かめ合える」から、一番楽しいと思っています。