バトン書いていて
最近バトンをよく回していただいて、バトンを書いています。バトンを書いているとたまに昔の自分に関する質問があって少し昔のことを考えたりします。昔の自分に言いたいこと、昔の自分はどんなだったか。昔の自分ね。自分のことだからわかってるつもりなんだけど、よくわからない。今、僕は大学生をしています。高校時代、中学時代、それ以前とは違った価値観だったり考え方を持っていて、成長しているつもりです。だからこそ、今、「彼ら」と話してみたい。わかりにくい表現をしてごめんなさい。「彼ら」とは高校時代だったり中学時代だったり、つまり「昔の自分」のことです。だから僕の生きてきた時間分の「僕」を指します。人数は特定できませんね^_^;ところで、なぜ「彼ら」か。それは「今」の僕が「昔」の僕とは違うから。年をとっていくに従って当然長い時間を生きます。多くの友人と出会います。その中で色々な考え方に出会い、自分の人間性も少しずつ変化していきます。昔から僕は僕なわけです。しかし、その人間性は変化しています。事実、僕が高校時代に持っていた考え(物理にはまっていて妄想ばっかしてたときの考えです)は今「覚えて」いますが、少し「理解」できません。もちろん、高校時代の僕はその考えを「理解」していたわけですが。ここでは理解っていうより納得っていう方が正しいですね^_^;何が言いたいか。今の僕が「昔」の僕と話してみる。高校時代だったり中学時代の僕と話すということは同じような考えをもっているけれど、物事の捉え方や何に対して感動したり怒ったりするのか、ということが違っている「他人」と話すことに近いものだと思ってる。そんな「彼ら」と話してみることは今の自分にとってとても興味深い。「今の僕」を形成している人間はどんな感情を持っていてどんな話し方をするのか。「覚えて」いるけれど結局、「昔」が「今」の僕(つまり昔の僕)しか「わからない」。話すことで「忘れてしまった」考え方をもう一度しっかりと「思い出して」みたい。これは今の僕を成長させてくれると思うから。昔を思い返してみて、仲良かった友達だったり、部活だったり、とても尊敬している先生のことを思い出したりできた。そして今も「昔」から付き合いのある友達とは会っている。これからも多くの人と出会って、また新たな考えをもったりして「今」の僕の考え方は「覚えている」って感覚になるんだろうな。でも確実に未来の僕を形成する要素になる。「忘れる」のではなく、考えを「混ぜ合わせる」って考えようかな。これが成長していることと考えてもいいかな。久しぶりにこんな文書いたけど、わかりづらいな。自分の文章力のなさにちょっと悲しくなる・・・。またちょっと本読んで文章の書き方を勉強しなきゃな。