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2005/06/18
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カテゴリ:随想
先日の産経新聞コラム「産経抄」にちょっと面白い記事があった。詳しくはリンク先をご覧頂きたいが、要するに「障害者」という表記を「障がい者」と改めようという自治体の動きがあり、産経抄は費用対効果の点からそれに批判的な論調を書いた、ということである。

ただ、産経抄も言うように 『この手の話は、うっかりすると「ごもっとも」と思えるし、反対もしにくい』わけで、仕方なく費用対効果の点からの批判をするにとどめたのかもしれない。施設の名称を改めなければならないところ、 『看板を付け替える費用で、いくつ車椅子が買えるか、道路の段差を無くせるか、ということだ』と書くが、あまり説得力が無いのはその「仕方なさ」ゆえかと思う。

福岡市議会にはすでに「障害者」の表記のある施設の名称を「障がい者」にあらためる条例案が提出されており、可決される見通しだという。産経抄子が福岡市議会に問い合わせたところ、全国で30余の自治体が「改名組」なんだそうだ。きっともっと広がるだろうと思われる。簡単だし、反対はされにくいし、いかにも「正しい」オシゴトだし、きれいだし人権派だし平和だし「優しい」し・・・

ところが面白いのは「日本障害者協会」の反応だ。産経抄の取材に対し、 『所属する七十団体に改名の動きはない。本質的な話ではないし、自治体主導の変な流行という気がします。』と解答した。

僕自身の体験からして、当の障害者自身はきっと「日本障害者協会」の意見に同意するんじゃないかと思う。そして、「改名」を推進しようとしているのはきっと健常者じゃないかと思う。その健常者も、全てを指すんじゃなくて、きれいで優しくて平和でおしゃれなものを偏愛する性向を持った人々、「弱者」と見れば菩薩のような微笑とともにすり寄っていって「優しくしてあげる」人々、そしてそんな自分の振る舞いにお腹一杯の満足を得る人々であるに違いない。「ある種の人々」としかいいようがないが。

障害者という言葉ほど「改名」が多く試みられたものは無いと思う。多く試みられたということは、即ち多く失敗したことを意味するんだけれども。「禁煙なんて簡単だ。俺はもう200回もやったよ。」というマーク・トウェインのジョークに似て。

一時期、ディスエーブルド(disabled)、と言い換えられた。これは「ある種の人々」に非常にありがちな外国語の直輸入だ。QOLとか、リプロダクティブライトとか、ジェンダーとかね。こうやって直輸入言葉を提示しておいて、その意味を問われると「それは非常に多義的で、とても一口に説明できるような問題ではないが・・・」などという前置きを必ずするんだよ。本人達がろくにものを考えていない証拠。なんとなくかっこいい、優しい、平和だ、つまり「ある種の人々」の心の琴線に触れるというに過ぎないのであって、思想も何もあったもんじゃない。ただの「気分」だ。だから直輸入言葉には気をつけなければならない。

ディスエーブルドが本場アメリカで「むしろ差別的だ」と批判されてから(考えるまでも無く当たり前だぞ馬鹿)、新たに輸入された言葉が「ハンディキャップト」だ。この言葉は今でも生きている。日本語と混ぜて「お体にハンディをお持ちの方」などといわれる。
どうですかね、この言葉。むしろいやらしいと思うんですが。極めて他人行儀で、距離感があって、つまりこの社会をともに生きるという覚悟のかけらもない人の発する言葉だと思いますよ。とりあえずトラブルが無きゃいいや、面倒くさいでしょ係わり合いになるのが、と言っているように聞こえる、とは言いすぎですが。でもあながち外れてなかったりして。

更に進んで、チャレンジド(チャレンジングだったかなと思うがどうでもいい)という表現もあります。「障害がありながら社会で自立して生きてゆくという『挑戦』をしている人」という意味なんでしょう。もうね、ここまで来るとその言葉が何をさしているのかも明らかでなくなってきます。だんだん対象の個性が薄まってきてますね。人権だの平等だのと言っているうちに気がついたら没個性を指向してしまっていた、というのは「ある種の人々」によく見られる傾向です。
ジェンダーフリーがいい例ですね。性差別をなくそうとするあまり、区々の性に特有の個性までなきものにしてしまう。最近になって多くのジェンダーフリー論者が「男女の個性まで無くそうというのではない」などと言い訳をはじめましたが、彼らが言ってきたこととやってきたことの全ては記録が残っている。民族紛争をなくすために民族そのものをなくしてしまえ、といってるに等しい罪を犯したんですからね、覚悟しなさい。

このチャレンジドという言葉を日本に輸入した人のことを、以前テレビで見ました。大阪?で障害者のためのパソコン教室を運営している人だったと記憶しています。その方の業績は100%尊敬しますが、ちょっとした違和感も・・・教室を立ち上げるとき「障害者の自立のために」とうたって企業に寄付を呼びかけといて、生徒には「障害者だからって月謝がただになるわけではない」と言うのはどうかな、と。ま、プロジェクトXの例もあるからあんまりテレビを信用してはいけないけれど。

で、今回は「障がい者」ですよ。外国語直輸入の技が通用しなくなったとの反省があったのなら一応評価してやる。

でも、日本障害者協会も言うように、単なる言葉狩りは実は本質的な話ではないという反省もしなきゃならない。本質的な点について考え、ときに自己を痛烈に批判しなければならないのは誰にとっても辛いことだ。でも障害者問題(ひいては差別一般の問題)自体を丸ごと無視するわけにはいかない。じゃあどうするか、となったときに非常に安易に「言葉狩り」をしようとするんじゃないか。

「いいじゃないか、間違ったことではないんだし。言葉は重要ですよ。」なんだけど、困難で辛い作業になるかもしれない本質論を避け、同時に一応仕事はしてますよというポーズをとるために(また同時に私は人権派で弱者に優しくて善人で内面美人です、という虚飾をするために)表面的な作業を行い、結果として連綿と続いてきた「言葉」という財産を食い物にしているとしたら、それは不作為以上の罪だ。

本質的な話とは何か。

僕は次の2点を挙げたい。

1.ある種の人々の「弱者好き」
2.単なる気分と権利の混同

でも長くなるのでまたいずれ。  ←オイッ(゚Д゚#)






Last updated  2005/06/19 07:13:02 AM
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