049055 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

読。書。考。─トントロ日記

読。書。考。─トントロ日記

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

トントロ2004

トントロ2004

Category

Comments

乗らない騎手@ ちょっとは木馬隠せw あのー、三 角 木 馬が家にあるってどん…
ボーボー侍@ 脇コキって言うねんな(爆笑) 前に言うてた奥さんな、オレのズボン脱が…
開放感@ 最近の大学生は凄いんですね。。 竿も玉もア○ルも全部隅々まで見られてガ…
通な俺@ 愛 液ごちそうたまでしたw http://hiru.kamerock.net/t3xfvpz/ フ○…
まさーしー@ なんぞコレなんぞぉ!! ぬオォォーーー!! w(゜д゜;w(゜д゜)w…

Recent Posts

Freepage List

2005/07/10
XML
カテゴリ:随想
深夜番組でやってるドキュメントですが、たまにいいものがありますね。
この番組の主人公は、大月智博さん。自殺願望を持つ若者を描いてきた作家で、自身でホームページも持ち、そこに自殺願望の若者がアクセスしてくる、と。オフ会も開いて実際の声を聞いたりもしている人です。

番組によると、彼が自殺問題にのめりこみだしたのは、ネットで知り合って結婚した彼の妻、まゆみさんこそが自殺願望の人だったからだそう。番組でもリストカットの跡を公開してました。見た目は本当に普通の主婦なんだけど、結婚後も近所の団地から飛び降りた経験があると言う。

◆「死ぬ」ではなく「消える」◆

多くの人が、「死にたい」ではなく「消えたい」と、その自殺願望を表現している、ということをはじめて知った。表現の多様性、ということなんだろうか。
僕はこれは実に気分の悪い言葉だと思った。「生きる」も「死ぬ」も、本来自分ひとりではかなわないものだ。

登場人物(高校生・女)の言葉:『死ぬ、って言うと両親とか悲しむじゃん。でも消える、っていうんなら、なんつーかはじめっからなかったことになる』

ならないよお嬢ちゃん。ある人を殺せば、遺族が悲しんだりあんたを恨んだりするだろうが、「消し」たら悲しみも恨みもしなくなると言うのかね。

物事には、そもそも「意味」ってのが厳然とあって、それは言葉表現を変えたところで実質的には何も変化しないものだ。だから「言葉狩り」は馬鹿げてる。
「意味」は実質だ。「言葉」は外見だ。
また、「意味」は客観だ。「言葉」は主観だ。

「死ぬ」を「消える」と言い換えて得心してるなんていうのは自己中心的で、浅薄なものの見方の現われだ。主観と客観の区別もつかない、あるいは事実と思想の区別もつかない、また気分と権利の区別もつかない人。このブログで何度も批判してきた幼稚な「自立した人々」、自殺者にもその手合いがいることを知った。

あれも権利これも権利、「それらを堂々と主張し、要求することが自立した市民のあるべき姿です」、と説いてきた浅知恵どものチルドレンだ。権利として主張するには、その主張内容が法律のみならず、条理や常識、倫理や道徳、そういった高次の規範に照らして正当化されるかどうかというテストを経なければならない。正当化されないものは単なる「気分」であって、多くの場合愚かな我々は、そんな気分でもって人を傷つけることがあるんだ。だから真に自立した人ならば、主張を控えるだろう。主張しないことが自立した人物の証明になることもあると言うわけだ。

◆「生きててもしょうがない・死ぬことってそんなに悪いことじゃない」◆

ズバリ価値相対主義の病理です。
生きるのは当たり前。死ぬのがつらいのは当たり前。人はみな生きたいし、死にたくない。みんなみんな当たり前。

・・・のはずだった。
ひところ、「なぜ人を殺してはいけないか」などという問いに哲学者や作家、評論家などがクソ真面目に回答を試みたことがあった。
馬鹿かこいつら、などと思って見てましたけどね。
悪いことをした、という意識が強ければ強いほど、強固に自己を正当化することを試みるもんだ。そのときよく使われるのが「○○しちゃいけないのはなぜ?」なんですよね。

善悪なんていう判断は、その人がその人の責任において決定しなければ成らないものだ。その責任を放棄し、そればかりか回答の責任を相手方に転嫁する。きわめて卑怯なやりかたですな。少女売春婦がよくいいますね。「なにが悪いの?これで人に迷惑をかけましたか?」みたいに。日の丸反対の教師然り。

「なぜ人を殺してはいけないか」という問いを発した人と、それにクソ真面目に回答した人の両方に、ずっと聞いてみたかったことがある。

回答に失敗したらどうするの?
『○○の理由により、人を殺してはいけませーん!!』っていう論証に失敗したら、なにかい?「人を殺してもいいでーす!!」って結論になってしまうのかよ。

ならないだろう。じゃあどうするのか。殺してよいかどうか、自分で価値判断をするしかない。非常に多くの場合、「殺してはいけない」という結論を出すはずだ。そのとき拠って立った考え方は何か。

「昔からそうだから」ってことにならないか。
「遺族のみならず、自分の家族も悲しむから」ってことにならないか。


価値相対主義者が反射的に嫌うところの「伝統的価値観」。これに従わざるを得なくなるはずだ。
相対主義は、破綻している。
ただし知識人はその知識と弁舌を持って、破綻を隠蔽する。
知識人ならざるものは、破綻を知らされず、価値観を決定することに臆病になっている。

◆娘から、母への思い◆

番組後半で、オフ会で知り合った女性が、大月宅を訪れる。彼女の口から語られたのは、冷淡な母への恨み節だった。

『(自殺・自傷を繰り返していることを)告白したときに、そのときはまだ母と一緒に治していきたいという気持ちがあったんですね、そしたら母から「私は関係ないから、あなたから手を引くわ」って言われたんですよ。』

『自分の中でも、同じような母親になっていくのが怖い』


この女性は、自分の内面を詩につづっている。吐き出さなくてはもたない、ということなんだろうか。原稿用紙に50枚。大槻さん宅にも持ってきていて、読もうとしたそのとき、ついに感極まってしまう。

すかさず大月まゆみさんがそばにいって「ぎゅう~」っと抱きしめた。

実はまゆみさんも母との間に葛藤を抱える人だったのだ。

ひとしきり泣いた後で女性は落ち着きを取り戻し、朗読した「詩」が以下:

母さん、僕が腹に宿ったとき、どう思いましたか?
怖くて聞けない どう思ったかを

今のあなたは平気で
「望んで生まれてきた子じゃないのよ」
と言われそうで

母さんより先に僕が死んだら
泣いてくれる?

自死したら、あなたは世間を気にして、そのことで泣き崩れるだろう

僕がいなくなったことより、世間を気にするでしょう


割と淡々と聞いていた大月さんとは対照的に、まゆみさんは号泣。今にも消え入りそうな涙声で

「やっぱり、お母さんは好きやけども、でも、それに答えてくれへん母親がいるっていう現実が・・・・もう辛くって辛くって、もうイヤ」

心理学なんかでは「母と娘問題」というのは重要な論点なんでしょう。ブックオフの本棚をざあっとみると、そんなタイトルの本は本当に多い。でも浅学だからこの問題には触れない。

ただ、気になっていたことがあるんですけどね。
自殺者の数が増え続けている、と言われます。手元にたまたまある統計によると、

1.1970年には自殺死亡率が15.3だった
2.2002年にはそれが25.3に上昇している
3.しかし、同期間中の女性の自殺率はほとんど変化なし
4.一方男性は2倍以上に増えている

ということです。つまり「自殺者が増えた」という表現は間違いで、「男の自殺者が増えた」と言わなければなりません。統計的には。

しかし、この番組で取り上げられているような、「新しい自殺」とでも呼ぶべき自殺には、非常に多く、女性がかかわっています。男性も多いが、同じくらい女性が登場する。

なぜだろうか。
番組でとりあげた、この「母と娘問題」は、その回答のひとつなのかもしれません。
つまり、「母」が変質している。
男に自殺者が多いのは、もともとあまり母の影響を受けないからかもしれません。母親への思いを少しでも口にすると「うげえっ、マザコン!」などという馬鹿もいるが、これは例によってろくに考えずに口だけ動いてる現象ですから一顧だにする必要はない。

もしかしたら、伝統的な「母」とは、自殺を防ぐ装置であったのかもしれない。

◆まとめ◆

番組を見た感想を縷々述べてきました。3つの章立てそれぞれに、問題の本質らしきものを提示したつもりです。つまり・・・

まず、表面的かつ形式的な「多様性」をやみくもに尊重しようとする態度が、「死ぬ」「生きる」と言う言葉の意味を変質させたかのような勘違いを招いていること。これが自殺志願者の「耐え難い軽さ」につながっているであろうこと。

次に、価値相対主義の影響であろう、死ぬ、生きる、の意味を問い直すかに見えて、実は自分では何も考えておらず、回答を他人任せにしていること。つまりただ「問う」そのこと自体に意義があるかのような錯覚を与えてしまっていること。もはや相対化できる価値観なんか残ってないのに、いわば「相対化という作法」のみが残ってしまっている状態、といったらいいか。

そして、「母」の変質。価値相対主義が最後にその毒牙をかけたところの「女性」、与えられたものは「モノとカネ」にすぎないのにね。

「新しい自殺」問題はとかくネットのダークサイドストーリーで語られることが多いけれど、僕の目には観念サヨクによる「ブレーキの壊れた価値相対主義」が引き起こしているもののように見える。
長谷川三千子の言う「理性の目」、僕はのどから手が出るほどそれが欲しい。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2005/07/12 06:26:46 AM
コメント(0) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.